3.11、今日のニュースとかで体験された方とかのお話を聞いた後にこの曲を聞くと、涙が出てきます。
GLAY/君にあえたら
Bible
今日LINEとかヤフーで3.11と検索すると10円寄付できるみたいなので、まだの方はやってみてください。
今日東北の方のお話を聞いて、それを下の世代に伝えていきたいです。
私は当時小学2年生でした。
教室の窓が割れるそうなぐらい揺れて恐怖だった事を覚えています。
教室中恐怖で泣いている人が大勢いました。
体育館に避難し親が迎えに来ました。
私には兄弟がおり3月で卒業式でしたが学校の体育は避難所となり別の小さな町の施設を借り卒業式をしたそうです。思えば卒業式をする為に先生方が大変な思いをしながら準備して頂いていた事に感謝でしかないです。
校長、教頭こんばんは。
掲示板へ書き込みをするのは10年ぶりくらいになります。
当時の私は小学5年生でした。あと1ヶ月で学年もかわり、福島県への修学旅行を楽しみにしていたころ地震が起こりました。すぐにお家へ帰ってテレビをつけるとそこには衝撃的な映像が映っていました。今でも忘れられません。
あれから月日が経ち15年。私も結婚し1児の母になりました。東日本大震災のことは忘れてはいけないことで、娘にも伝えていかないといけないことだと思っています。
命の大切さを改めて考える日になりました。
人生一度きり、今を大切に生きていきたいと思います。
校長、教頭、初めまして。
今日で15年、当時21歳でした。関西在住でしたが、今でも当時のことをよく覚えています。
バイト前のニュースを見て、衝撃を受け、東北住みの友人の安否確認を祈りながらしたこと、何度も余震が続いていた地震速報を覚えています。
震災地の方々を思うと、眠れない日々が続くのですが、高校生で卒業したスクールオブロックを久しぶりに当時聞いて、被災された皆さんのお話を聞いて(印象に残っているのは、募っていた支援物資のお話で、バスケ部の生徒さんが、バッシュが欲しいと仰っていたことを思い出します)、出来ることをやろうと思ったこと、今でもすごく覚えています。
時は流れていきますが、あの日のことを、私は忘れません。
尊い命のご冥福をお祈り申し上げます。
わたしは東日本大震災で、
身近な人を亡くしました。
当時、
震災が起こる前にきいていたうたをきくと、
当時の本当に数少ない記憶が蘇ってきます。
そのうたは、
今でもわたしの大切なうたです。
合唱部でうたったこともあるうたで、
わたしにとっては音楽への入り口のようなうたです。
そのうたをきいていると、
そのひととずっとつながっていられるような気がします。
ずっとお守りのようなうたです。
大切にだきしめて、
歩いていきたいです。
15年前の今日、自分は3歳くらいでした。埼玉も結構揺れたと聞いて、自分の記憶は曖昧だけど、多くの人が犠牲になり、自然の理不尽さを実感したのは事実です。
今日、3年生を送る会が開催され、みんなが盛り上がって、楽しい時間を共有しました。でも、2時46分が近づくにつれ、この楽しんでいる時間は当たり前じゃないんだと1人心の中で思っていました。
その時、同じクラスの人とか、周りの友達とか、震災のことを意識したり、考えたりしてる人はどれくらいいるんだろうと思いました。周りのみんな記憶が曖昧な人も多いから、いつも通り過ごしていると震災のことをどこか他人事として考えてしまっていると思います。記憶が曖昧だからと言って忘れていいわけでは絶対ないです。これから先震災を経験した人が減っていくからこそ、あの日のことを語り継いでいく必要があると思いました。
校長・教頭はじめまして。
あの日から、15年... 長かったようで短かったような...
私は現在北海道に住んでいますが、
当時の私は、まだ生まれてなかったけれど、その年に生まれました。
毎年この日にテレビで東日本大震災のことを放送しているのを見ていると、想像しただけで心が痛くなって辛い。
そして今でも、自分の家に帰れていなくて苦しんでいる人が2万人以上いるという現状があるということやこのこと全てを風化させてはいけないことを15年たった今でも改めて感じされられます。
東日本大震災からもう15年。でも、まだ15年。 震災を経験し生きた大人の私が伝えたいこと。『明日が来ることは、決して当たり前ではない』と言う事です。 だからこそ、今日を精一杯生きる。伝えたい思いは伝える。会いたいひとには会う。
普通で何もない日常が、本当は1番幸せなんだと感じてほしいです。
東日本大震災から15年。
自分は当時小学6年生でした。
卒業式を直前には控え、6年間通った学校に感謝を込めて大掃除をしている時間でした。
校庭に避難し、揺れが収まったあと荷物を取りに教室に戻る最中、図書室の前を通ったのですがふと目を向けると、人の力では動かない本棚が全て倒れ、地震の怖さを実感しました。
当時は停電で電気が使えず、唯一の情報源はラジオでした。よく地元のコミュニティ放送局を聞いていたので、ラジオをつけるといつも聞いているパーソナリティさんの声に安心しました。
3〜4日で電気が復旧し、当初はできるかわからなかった卒業式を学校の先生方・PTAの方々のご協力により、開催していただきありがたかったです。
毎年。3月11日になると心がザワザワし、落ち着かなくなります。