3.11の震災の授業ありがとうございました。
私は当時祖父の家に姉と一緒に居て、姉は祖父とお手洗いに行っていて、私は部屋で1人でした
あの日の記憶はあまり覚えていないけれど、立っていられないほどの大きな揺れが来たことぐらいしか覚えていません。
あの日の天候とかは覚えていないけど、すっごく怖かったのを覚えています
私はパニックになりやすい性格のため、昨年の12月の青森沖の地震で、スマホから緊急地震速報が鳴ったときはほんとにパニックになってしまってどうしよどうしよ!?となってしまい大変でした
自然災害は完全に防ぐことはできないけど、被害を最小限に抑えることはできると思っています
そのために普段から防災グッズの準備や、避難経路などを確認しておきたいです
改めてSOLは居場所なんだなあと感じることができた2時間でした
明日もよろしくお願いします
また明日。
この日を、
この時間を、
忘れてはいけないのだと思います。
歴代の校長と教頭の声をたどり、
当時の記憶に触れるこの時間を大切にしていきます。
こもり校長、
アンジー教頭、
生徒さん、
職員さん、
今夜も向き合う時間をくれて本当にありがとうございました。
こもり校長の、
「違う場所で生徒を想う」
という言葉にそばで見守ってくれているぬくもりを感じました。
この言葉を大切に、
胸に抱きしめながら歩いていきます。
明日もまた登校します!
おやすみなさい、
また明日!
3.11の日って私は山口で6歳で、直接被害に遭ってるわけでもなくて、正直あまりピンと来ずに分かりきらずに生きてきたから、話を聞いたりしてなんとも言えない気持ちにはなるんだけど、私が何かを言う資格はないんじゃないかと思って、言葉を並べても軽く感じて、SOLで聞いても何も投稿とかしなかったんです。けどこうやって今日、一重に東日本大震災の話って言っても、ふなをさんが歴代校長教頭を跨いだように時って流れていくって、一人一人に人生があるって、改めて感じました。これが風化しないようにと、遅いかもだけど初めて本気で思いました。ここからまた1年、また1年、未来に続けていけたらと思います。
2015年9月1日に宮城県仙台空港近くにある千年希望の丘に行きました
2012年頃にこの番組で紹介されてました
住宅街が公園に変わったことが信じられなかったです
津波10m地点に丘や震災の記念碑が置いてありました
曇りと防災の日と重なり寂しさをより感じました
いつかの震災特番で見守ること生き続けることが未来に繋がると話してたけど、伝える上で大事だと思います
東日本大震災以降のこの15年間でも、数々の災害が発生しており、まず来月で10年の節目となる熊本地震、そして2021年と2022年に東北を襲った震度6強の地震、2024年に発生した能登半島地震、そして2025年12月に発生した青森県東方沖地震などと、数々の災害が立て続けに起きています。
15年経ったとしても、東日本大震災での教訓を忘れずに今後の防災意識を高める上での大切な記憶材料になるので、自分の命を守るために毎日少しでもいざという時の行動を確認しておくべきであると自分は思います。
15年前の今日、私は1歳くらいで、プラス長野県に住んでいるため全く覚えていませんが、母から聞いたことを書き込みます。
当時、母は草取りをしていたそうです。すると、私の泣き声が聞こえ、慌てて戻ったときに東北で地震が起こり、長野県も揺れたそうです。テレビでは地震や津波の被害の映像が流れていて、恐怖を感じた、と言っていました。
今日、ふと思い立って調べてみると、まだ行方不明の人や、亡くなった方がたくさんいることを知りました。
自分の中で、「これは絶対風化させちゃだめだ」と感じました。亡くなった方のご遺族に、心からご冥福をお祈りします。
当時の私は中学校の卒業式終わりで、兵庫県の自宅で家族で団欒中でした。「卒業おめでとう」「来月から高校生やな」「まだ今月末までは中学生やわ」などとたわいのない話をしていました。
突如とても長くゆっくりとした揺れがあり、乗り物に乗って酔った時のような気持ち悪さが続きました。テレビのテロップの情報や酷く揺れている映像などを見て動悸が凄かったのを30歳になる今でも覚えています。
震源地から兵庫まで離れていてもこんなに揺れるなんて…と地震の恐怖がグッと身近に来た感覚がありました。
約2年後に福島県の郡山市へ行く機会があり、マイクロバスでの移動中に復興が間に合っていない瓦礫の山やアスファルトの割れを目にしてとても心が痛かったのも覚えています。
震災後からテレビもラジオも震災の情報で溢れかえっていましたが、SOLでは地震速報や緊急特番も挟みつつ普段のSOLを届けてくださったのがとても嬉しかったです。
あれから15年も経ったのかと思う事が殆どになりましたが、昨日の事のように思い出す時もあります。今の私にできることは、防災グッズの見直し、ハザードマップの確認、緊急時どうするかの話し合いかなと思います。
福岡県なので被災地から離れてはいますが、あの日のことは覚えています。
僕は当時、幼稚園の年長で、祖母の家に帰ってテレビを観ていました。そのとき突然、全チャンネルが地震と津波の映像やニュースに切り替わったのを覚えています。それは初めて、「地震」と「津波」を知った瞬間でした。
今日もテレビや新聞で、関連するニュースや記事を観て、改めて、今生きていることは当たり前ではないと思いました。
掲示板を見て、当時もこのSOL!の存在が、本当に多くの人たちの心のよりどころになっていて、これからも変わらず存在してくれるのだろうと思いました。
自分にできることに取り組んで、与えられた命に感謝して、これからも生きていきます。
校長、教頭逆電ありがとうございました。
今日言ったことをいつか実現させます。
避難する子どもたちから高齢者の方々までの幅広い世代の人たちに安心してもらえるように頑張ります。