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ボフ。
いきなり頭の上に置かれた、真新しい教科書の感触が、俺を現実に引き戻した。
「おはよ、ヒロ。」
振り向くと、黒いセーターが立っていた。大きな黒目が特徴的な、少しパンダに似ているタレ目。クラスの女子顔負けのサラサラの黒髪には、軽く寝癖がついている。
「レディオヘッドのライブDVD見つけたんだ。帰りブックオフ寄ってかね?」
「いーぜー、ついでに高野楽器も寄ってい?ギタマガの最新号買いたい。」
「りょーかい。」
予鈴が鳴った。廊下が騒がしくなってきた。
「そーいやーさー、スティービン・タイラーが今度日本ツアーやるってな。」
「あー、知ってる。ファイナル武道館だろ?」
「そーそー。」
カオルとの会話の中心は音楽の話だ。好きなバンドは大体被っているし、飽きることはない。
本鈴が鳴った。遅刻ギリギリの同級生達が、担任に追い立てられながら教室に駆け込んでいる。
「行くか。」
「うん。」
3分の2くらい開いていた廊下の窓は、全部閉めずに、少しだけ開けたままにして、 カオルと一緒に、振り返ってすぐの教室に入った。
きっと、運命でしかなかったんだろう この物語が始まったことが。
風が通り過ぎた。めくったYシャツと、少し伸びた前髪を揺らした風が思いの外柔らかくて、俺は小さく目を閉じた。
住宅街の奥に小さな山があるだけの、ありふれた景色を眺めるのが好きだ。高校に入ってから、気づくとこうやって窓の外に心を向けている。
ガタゴトガタゴト…
この路はどこへ繋がっているのだろう
ふとそう思った
「この路は〇〇駅まで続いている」
頭ではわかってても
そこには別の何かがある気がする
目には見えぬ 何かが
運転手さんの淡々とした姿
乗務員室に置かれた
愛妻弁当らしき桃色の包み
ふと夫婦の温かい家庭が
目に浮かんだ気がした
係員から渡された綺麗な封筒。
僕はそれを掴んだままどうすれば良いのかが解らなかった。
「中...見ないの?」妻の一言で我に返る。
封筒の中に恐る恐る手を入れる。
そこにはこれまた眩しいほど綺麗な白い紙が折りたたまれ入っていた。
僕はゆっくり開ける。黒い文字が一文字二文字姿を現す。
僕は一文字一文字噛み締めるように見つめた。
そこには震えながらも尖った細い線で堂々と
「おめでとう。またウチに来な。」
とただ一文記されていた。差出人の名は無かったが僕はすぐに誰かは解っていた。
その優しい文字が滲むように涙が止まらない。
こんな晴れ舞台新郎が泣いていてどうする。そう自分に言い聞かせるも涙はまだ流れる。
あぁ...しくじったな。招待状。出しておけば...
僕は少しうつむいてた後涙を拭って顔を上げる。
そんな僕に妻は
「なに書いてあったの?」と優しく問う。
僕は無理矢理な笑みを浮かばせ
「なぁに。小さな小さなパーティの誘いだよ。」
「良かったね。」妻の優しい声が鼓膜を通る。
僕は後悔をしながらもどこか清々しかった。
まだこの世界にいないあなたのことを考えると涙が出てくるのよ、って10年後教えてあげるから、いまは、まだ、ゆっくり、眠っていてね。