じゃあ英人くんのこと呼んでくるねと明るく言い残した歌名は、幾秒もたたず英人を引っ張ってきた。ちゃんとお弁当は持ってきているあたり、ぬかりない。
「ふたりの方が忙しいと思うので、予定は合わせます。」
英人に、いいよね?と目配せすると、頷きが返ってきた。
肩書きのあるふたりは仕事が多い。そう伝えると、一瞬考え込む様子を見せた。
「どうせなら、休日にしよう。」
そう言った望は続ける。
「ぼく、先生や先輩に取り入って色々聞いているんだ。だから、平日はもう少し泳がせておいてくれるとありがたいな。」
あのあと、望は生徒会にも入った。もしかしたら、委員長も生徒会も、すべて情報収集のためだったのかもしれないと、ふと思った瑛瑠。
やはりみんなレベルが高いなあと、改めてそんなことを思うのだった。
「これがそれだよ」
そう言ってガルタはその封筒をアーネストに手渡した。いぶかしげに眺める。すると、その封筒の封印に気がついた。
「ガルタさん、この封印って......」
「ああ。王都の紋章だ」
「王都?!」
永世トルフレア王国王都ケンティライム。世界で最も優れた街とされる。アーネストはトルフレアに来て三年あまりだが、まだケンティライムには行ったことがなかった。
「だからお前が、連行されるような何かやばい事でもしたんじゃないかと思ってだな...」
「余計なお世話です」
とは言ったものの、一体何の件か全く覚えがない。アーネストは少し不安になってきた。僕の知らない間に何かとんでもないことをしでかしてやしないだろうか。まだトルフレアの法律はマスターしてないからな...。いや、そんなことはない。もしそうだったとしても、そんな大したことではない。しかし王都の兵が来たとなると...。
「とにかく、帰って読んでみることにします」
「ああ、そうするといい。気を付けろよ」
「はい。ありがとうございます。」
不安と若干の好奇心を手に、アーネストは下宿へ帰った。この手紙が、彼の運命を大きく変えることになるとは、彼に知るよしもなかった。
[ガルタのパン屋]の営業時間も終わって、明日の準備をしている頃。
「アーネスト、ちょっと来い」
不意に、ガルタに呼ばれた。朝の遅刻の件だろうか。またこってり絞られんだろうなあ、等と考えながら、厨房の奥にある小部屋に入る。
「...何でしょう、ガルタさん」
「今朝はどうして遅れた。珍しいじゃないか、いつも俺より先にここに来るのによ」
「すいません」
「怒ってる訳じゃない。理由を聞いておきたいと思ってな」
「はあ...それが、夢を見たんでして」
「夢、なあ」
「ええ、ひどい夢でした」
ガルタはなぜか訳知り顔のようである。気のせいか?
「どんな夢だった」
「それが全く覚えてないんです。ひどく恐ろしい夢だったことはしっかり覚えてるんですが」
「ふん...そうか。まあそんなことはもうどうでもいい。それよりお前......何かしたのか?」
アーネストは首をかしげた。ガルタは何の話をしてるんだ?全く見当もつかない。一体なんのことだろう。
「どういう意味ですか、僕がなんかしましたか?」
「いやな、昨日のことなんだ。お前が帰ったあと、俺はまだ暫く仕込みを続けていたんだ。したら、突然ドアが開いて、数人の兵士が入ってきたんだ」
「!」
「そりゃあ驚いたよ。もうとっくに店は閉めていたから、何のようですか、と聞いたんだ」
ガルタのことだ、きっとそんな穏便に訊ねたのではないだろう。アーネストはそう思った。
「そしたら、その兵士たちはお互いに顔を見合わせて、うちの一人がこう言ったんだ」
『アーネスト・イナイグム・アレフはいるか。』
アーネストは怪訝な顔をした。なんだそれは?フルネームで訊いた、と言うことは、たぶん僕の知り合いじゃない。
「怪しいと思うだろ?俺も何がなんだかわからなかった。で、もちろん俺はいない、と答えた。するとその兵士はこの手紙を寄越したんだ」
そう言うとガルタは一通の手紙を取り出した。
ガチャッ、バタン!!!
「おはようございますッ!!!」
「全くお早くねえわッ、何しとったんじゃ貴様ァ!!!」
「すっすいません!!!」
「このクソ忙しい日に寝坊たぁいい度胸だ、それなりの覚悟あるんだろうなあ!!!」
「すいません、ガルタさん!!!」
「もういいからさっさと着替えんか!」
[ガルタのパン屋]はいつも賑やかだ。ダルケニアにあったパン屋はみんなおおらかでふくよかでなんか、こう、フワッとしたパン屋特有の香りがあったのだが、ガルタはそれとは全く違った。ゴリッゴリのムッキムキなのである。短く刈り上げたごま塩の髪、そのガタイには全く似合わないエプロンをつけて、アーネストや他の店員に始終怒号を飛ばしている。
なんでそんなパン屋で働いているのかというと、ガルタのパンは、それはそれは美味しいのだ。歯で弾けるようなバゲット、口の中でほどけていくクロワッサン、あり得ないほど甘いバターロール。
別にアーネストはパン屋になりたいわけでもなんでもないのだが、なぜかここで働きたい!と思えたのだった。
「オーブン止まったぞ、さっさと開けんか!!!」
「なんだその切り方は、肉でも切ってるつもりか!向かいの肉屋にでも行ってこい!!!」
「とろとろしてんじゃねえよこのノロマ!!!」
「そんなんはいいから手を動かせ手を!!!」
「アーネスト!!!」
とはいっても、思った通りではあるが相当に厳しかった。なんでこんなことやってんだろ、といいたくなるときもあったが、それが妙に楽しくもあった。別にマゾヒストではない。
日曜が通りすぎ、翌週。
学校生活はもう慣れきってしまった瑛瑠は、お昼休みは歌名と昼食をとっている。
「わかっているところまで話合わせをしてきたんです。結果的に混乱を極めたのでそこでお話はやめてしまったのだけれど、今度はおふたりとも話合わせをしたいなって。」
前の席にいる望にも声をかけて、土曜日の報告である。すると、振り返っている望は顔をしかめる。
「霧とふたりで出掛けたの?」
……そこ?
「ずるいね。今度ぼくとも行こう。」
え?
思っていた反応と違う反応に、思考が追い付かない。
「はいはい、それは今度ね。
ねえ瑛瑠。それは、近いうちに集まるってことで良いの?」
なるほど。出し惜しみなしというのはこういうことなのだろうか。
歌名の華麗なあしらいに苦笑しつつ、頷く。
手ぶらでお見舞い
頭にはいっぱい
お話いっぱい
そんなことない
笑うかどうかは君しだい
いつでも笑顔になんてなんない
それでも僕は買いかぶられたい
ハロウィンの酔いが覚め
後夜祭。
茶色の木の葉が増え
冷たいからっ風が吹く。
外に出よう
マフラー巻いて
コートを羽織って
今日から足元はブーツにしてみよう
今年もあと2か月。
自分から言わないと
なにも伝わらないよ
その立派な口が
頭が目があるのに
どうして
僕はクマの人形として生まれた
あの有名なアニメみたいに
冒険もしないし友達も多くはない
お願い諦めないで
この気持ち伝わればいいのに
僕はどうして人形なの
僕はきみにただ。
「......はあッ!!!」
ガバッ!と、アーネストは突かれたように跳ね起きた。荒い息だ。全速力で100メタ走った時だって、こんなに汗ビッショリになったことはない。
「...はあ。また夢か...」
このところこんな夢ばかり見る。しかし、どんな夢だったか、ハッキリとはいつも思い出せない。つい昨日のおいしかった晩御飯がなんだったか思い出せないみたいに、凄く悪い恐ろしい夢だったことは覚えているのだが、その情景が思い出せないのだった。
アーネストは布団から出ると、
「うぅっ、さっみい!」
ブルリと身を震わせた。ケヤキの月もじき終わりだから当然と言えば当然だ。窓際まで歩いていくと、サッと両のカーテンを引いた。朝の光がシャラリと部屋に差し込む。
「うーん、いい朝!...あれ?」
ふと気づいた。いつもより人通りが多い。こんな時間におかしいな...。今日は何の日だったかな。いや、それとも...。
「まさか...」
アーネストはドアのちょうど真上の壁に掛かっている時計に目をやった。
8時40分。
「......?!」
もう一度時計をよおく見た。やっぱり8時40分。アーネストは青ざめた。なんでこんな時間なんだ...!
のんびり「いい朝!」なんて言っている場合ではない。アーネストは慌てて支度を始めた。昨日枕元に今日着る服を置いていたことも忘れて大騒ぎだ。見る間に彼の部屋に足の踏み場はなくなった。
支度を終えると、アーネストは転がるように階段を駆け下りた。そこで気づく。
「あっ、そうだ奥さんいないんだった...!」
アーネストの下宿の奥さんは昨日からバヴェイルに観光に行っているのだ。それをすっかり忘れていた。
『留守の間よろしくね。私がいないからって、朝ごはん抜かしちゃダメよ?』
ごめん奥さん。早々に守れなかったよ。明日はちゃんとするから...。そう一人で呟くと、ミルクを一杯だけ飲んで、大通りへ飛び出した。