音が、聞こえる。
ピンポーン、と下の階の玄関からインターホンが鳴る音。
最初は無視しても問題のない訪問かと思って放置していたが、何度も何度もインターホンの音が鳴っているのを聞くとだんだん目が覚めてくる。
うっとうしい、と思いつつ伏している勉強机から顔を上げ、眠い目をこすりつつ愛猫のいる自室を出て階段を下る。
そして廊下を少し歩き、玄関の鍵を開けて扉をガチャリと開いた。
「…」
玄関先には、見覚えのある少女と少年が立っていた。
「よっ」
傘、回収しに来たよ、と目の前の小柄な少女は手を振る。
自分は思わず目をぱちくりさせる。
なぜなら、この少女は昨日傘を貸してくれたあの少女なのだ。
…確かに、昨日の晩この少女から折り畳み傘を貸してもらって、『明日回収する』と言われた。
しかし、少女に自分の家の住所なんか教えていない。
彼女が自分の家の近所に住んでいる気はないし、かと言って昨日の夜にあとをつけられた覚えもない。
どういう事…?と困惑していると、不意に少女があっ、と声を上げた。
「おい、急に走り出すなよ…って誰こいつ」
少女の友達らしい走ってきた傘を差す少年が、こちらを見つつ少女に尋ねる。
それに対し少女はえ、と返した。
「いや、誰だか知らない」
「マジかよ」
少年は少女に対して思わず突っ込む。
しかし少女はいいじゃんと笑った。
「かわいそうでしょ、傘ないし」
少女が言うと少年はまぁそうだなと返すが、ふと、あっ、と何かに気付いたように呟く。
「…てかお前、早く帰らないと親にまた怒られるぞ?」
少年の言葉に少女は、はいはい分かってます~とにやにやした。
そして少女はこちらに向き直る。
「それじゃあね、ちゃんとこれ回収するから」
少女は折り畳み傘をこちらに無理やり押し付けると、自分の隣をそのまま通り過ぎていった。
少年はあっお前…と言いかけるが、彼の方を見る自分の視線に気付くと、じゃ、気を付けて…と少し会釈してから少女を追いかけていく。
自分と同じような匂いのする2人を、自分は雨の中見送っていった。
もちろん、夜の寿々谷公園はかなり暗いので普通の人にとっては近付き難い。
だが暗い中でも大丈夫な自分にとってはその方がよかった。
人気がない方が、自分にとってはやりやすいのだ。
そう思いつつ夜の公園を、両目を光らせつつ早歩きをしていると、後ろの方から誰かが走ってくる音が聞こえた。
自分と同じように傘を持っていなくて雨の中を走っている人だろうか。
そう考えつつ、自分はパーカーのフードを深く被り直す。
足音が近付き、自分を追い越す…そう思った時、真後ろから、ほい、という声が聞こえた。
振り向くと、そこには黒いパーカーを着てフードを被り傘を差した小柄な少女が、折り畳み傘を差し出していた。
自分は目を丸くする。
「使いな」
少女の言葉に自分はどうしたら良いのか分からずまごついていると、少女は遠慮はいらないと笑顔を見せた。
「この通り、こっちには傘あるし…明日回収するからさ」
少女はそう言って自らが持つ傘を傾ける。
こういう時は受け取るべきなのか、と自分は困惑するが、そうこうしている内に公園の入口の方からもう1つ足音が聞こえてきた。
外は雨が降っている。
玄関口では他の小中学生たちも雨…しかも土砂降りの雨が降っている事に驚いて、立ち尽くしている。
もちろん、こういう時のために折り畳み傘を持ち歩いているような人もいて、そういった人たちはさっさと傘をさして建物から出ていっていたし、傘を持っている者の傘に入れてもらって帰る者もいた。
それでも自分含め多くの子ども達は、傘を持っていないので何もできずにいた。
「…」
暫くの間、雨がやまないか待ってみたが止む気配がない。
そしてパーカーのポケットに入っているスマホを取り出して時刻を確認した。
午後6時過ぎ、そろそろ帰って来ないと親が色々言い出す時間だ。
かと言って、親に連絡して迎えに来てもらうのは少し嫌だった。
…こうなったら、雨の中を突っ切って帰るしかない。
そういう訳で、自分は豪雨の中を傘なしに帰宅することにした。
愛用のパーカーのフードを被り直し、建物の出入り口を飛び出す。
ゲリラ豪雨のただ中という事で辺りはかなり暗く、外は生暖かく気持ち悪い感じだったが気にせず歩き始める。
しかし雨に濡れてカゼを引いては困るので、早歩きで寿々谷公園を突っ切るルートを選ぶ事にした。
(横跳び……脇から打ってくるか)
現在、蒼依は“奇混人形”を生み出すために、『恐』、『驚』、『悲』の3つの感情を切り離している。そのため、鬼の不自然な動作にも驚愕は無かった。“奇混人形”を動かし、横からの攻撃に備える。
しかし、2秒弱の静寂――鬼からの攻撃が無いことに、冰華が先に気付いた。蒼依の庇護下にあったことが、逆に周囲の状況を冷静に観察することを可能としたのだ。
「……蒼依ちゃん。アイツ、来なくない?」
「……逃げたのか!」
気付いたのと同時に、蒼依は鬼が逃げた方向へ駆け出した。
「あ、待ってよ蒼依ちゃん! 私も行くから!」
僅かに遅れて冰華が、その背中を守るように“奇混人形”が続く。
数分、寝静まった村の中を走り続けると、蒼依は星明りの下に“鬼”の姿を発見した。
鬼は集落内に多く見られる畑の上を躊躇なく通り抜け、逃走行動を継続している。
(あの野郎……山に隠れるつもりか?)
蒼依がその後を追うように畑に踏み入ろうとしたその時だった。
「あああぁぁーっ!」
悲鳴にも怒声にも似た冰華の叫び声が、深夜の村に響き渡った。
「うえっ、冰華ちゃん?」
「あああアイツ! アイツ畑に! めっちゃ! めっちゃ踏み荒らしてる! スイカ、ナス、キュウリ、レタス、長ネギ! アイツ! アイツ絶対逃がさないで!」
蒼依に追いついた冰華は、叫びながら蒼依の両肩を掴んで揺さぶる。
「分かった分かった……取り敢えず放して……」
冰華が手を放すのと同時に、蒼依は軽く真上に跳躍する。彼女が着地したのは、“奇混人形”が水平に持ち上げた片足の脛の上だった。
「……打ち出せ」
“奇混人形”が放った回し蹴りは、投石機のように蒼依の肉体を高速で射出し、一瞬にして鬼の背中まで追いつかせることに成功した。
更に“奇混人形”もまた、蹴りの直後にオオワシような形状に変化し、飛行によって蒼依の手の中へ舞い戻る。
蒼依は慣性そのままに、手の中で人形を薙刀の形状に変え、鬼の脳天を目掛けて振り下ろす。しかし鬼も前方に飛び込むようにして躱し、畑から転げ出て森の奥へと逃げ込んでしまう。
「逃がすかよ……!」
蒼依は振り下ろした勢いのまま畑の土に薙刀の刃を突き刺し、薙刀で地面を押すようにして棒高跳びの要領で畑の範囲外まで飛び出した。
ほとほと疲れて
ふと見上げた空に
ただ雲が寝そべっていた
ぼくも寝そべってみた
名前のない一日に
名前のない雲を見る
名前のない草原のなか
果たして明日は名前がつくだろうか
風は何処からか吹いて去っていく
きみも何処からかやって来て去っていく
緑道に八月はすみつく
さようならが言える明日を追いかけて
きっと意味のない相槌をこぼしていたら
ついに一年が経ってしまった
きみはもちろんいなくて
ぼくは寝そべったままで
たったひとり
ぼくだけのために
パレードをやめない雲
私の信じるなにかは、音を立てて崩れた。
私は「何もしてない!」「私ではない!」と
伝えていた。
しかし
あなたは信じてくれなかった。
あなたが私と同じ立場になったら
分かってくれるかな。
「分かち合えた。守るからね。ずっと思ってるよ。」この私の思いは、引き裂かれ今に漂っている。
ただ操られただけ。意思ではなくなっただけ。
その事が私を悩ませる。
この私の心は何度も引き裂かれて、踏みにじられた。
けど
私はみんなを守るから。
安心してね。