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なまいとつむぎ #1

きこきこ、きこきこ。
私は生糸を紡ぐ。
そう、見えない布を創るために。


ノスタルジックな気持ちの時ほど出かけたい時はない。
足は自然とペダルを踏む。
その時私はこう思うのだ。
はるか先まで見える直線の線路を見たい、
誰もいない田園の稲穂に囲まれたい、
河川敷で自分の住んでいる街を見たい、と。

当然、
直線の線路を見たからと言って、
稲穂に囲まれたからと言って、
街を眺めたからって、何かが起こるわけじゃない。
そこに言った時に思うことは一つ。

ああ、来るところまで来てしまったな。
それだけである。

達成感と言えば片付くのだろうか。
否、それはきっと違う。
私が自ら体験したかったのは達成感等ではなく、
時間という名の虚無感、それにつきる。

時間というのは幾つものレイヤーの重なりだというのは自明の理であろう。
私はその景色にきっと死んでしまったレイヤーを見つけようとしているのだろう。
もし時間というモノを死んでしまったレイヤーの重なりと定義するならば、死んでしまったレイヤーを確認できない時間とは、そのレゾンデートルを満たしていないということだろう。

つまり、私はそのノスタルジックな気分に動かされ見に行く景色に、今を生きる時間のレゾンデートルを求めているのである。

しかし、私は何処かで真逆の思いを求めてはいないであろうか。
つまり、
そのレイヤーが生きているという期待である。

何処かでこんな話があった。
『もし、亡くなった家族が居たとして、その家族が急に朝に「やあ、元気かい?」ってドアを開けて来ても私達は何の違和感も感じない。
つまり、私達は心の何処かで諦めとともに叶うはずもない願いに無意識に期待しているのだ。』と。

私は期待しているのであろうか。
もし期待しているならば、私は先に定義した時間が壊れることを望んでいるのか。
私はそれに、イエスともノウとも応える。

此処で私は筆を置くことにする。
後は君たちが考える番だ。

2

やわらかな激情

『この世の「きれい」を集めて、日の光と流れ星で繋ぎ合わせたものが、彼女という人だと思う。

春の花のようなてのひらを、夏の風のような笑顔を、秋の月のような眼差しを、冬の露のような声をした彼女に、僕は恋をしている。

身の程知らずにもほどがある、愚かしい恋だ。美しい彼女を、僕なんかの「すき」で穢すわけにはいかない。

恋人になりたいだとか、せめて友達になりたいだとか、そういう罰当たりな願いは、持つことも許されないのだ。たとえ世界が許しても、僕が許さない。

ごめんなさい、好きになってしまってごめんなさい。こんなにきみが好きでごめんなさい。諦められるまでは、諦められないままでいさせて。

すきです。きみが、すき。』

100均のルーズリーフに吐露した心中を握りつぶして、後ろ手でそのあたりに放った。勉強をしに来たはずの図書室で、僕はひとりため息をつく。下校時刻はとっくに過ぎていた。

開いただけの教科書を閉じてリュックに詰め込み、「戸締まりは頼むわ」と笑った先生の顔を思い出して、ここの鍵は一体どこにあるのだろうと視線を巡らせた。

息がつまる。彼女がいた。

胸がぎゅうっと締め上げられたように痛み、血が煮え立ったかのように全身が熱くなって、―――それから一気に冷たくなる。彼女の手には、先ほど僕が投げ捨てたはずの、ぐしゃぐしゃのルーズリーフがあった。

彼女は広げた紙面と僕とを順々に眺めた後、困ったように笑う。わたし図書委員でね、まだ勉強している人が居るって聞いたから、鍵を渡しにきたの、だって。何か、何か言わなければ。

魚のように口をぱくぱくさせている僕に、彼女は1歩、また1歩と近づいてくる。来ないで、来ないでくれ、きみがよごれてしまう。できればそのラブレターもどきも見なかったことにしてくれ。

そうしてそのまますぐそこまで歩み来た彼女は、僕の胸中などお構いなしに僕の手をとり、葬り損ねたこいごころを、そっと握りこませてくる。目を見開いた僕に、彼女はまた笑う。

「あなたにここまで想われるなんて、あなたの好きな人は幸せ者だね」

春の花のようなてのひらで、夏の風のような笑顔で、秋の月のような眼差しで、冬の露のような声で、ああ、ああ。ずいぶん変わった自己紹介をするんだね。

すきです。きみが、すき。