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アツク語れること!

宝塚歌劇団のことについてなら熱く語れます!!!まだどうなるかわからないけれど将来宝塚の演出家になりたいと思っているほど大好きです!
第一にあげられる宝塚の魅力は、唯一無二の華々しさだと思います。フィナーレで登場する大階段とトップの背負う羽根は圧巻です。衣装もキラキラしているし、なんといっても生徒さんが皆スタイルが良い!また、女性だけで構成される歌劇団ということで女性目線のかっこいい男性像が舞台で具現化されるわけです。現実の世界では不自然なキザなセリフも宝塚という夢の世界だからこそ、楽しめるのです!
二つ目は儚さです。宝塚といえば、第一にあげた豪華さ、華々しさを思い浮かべる人が多いと思いますが、そこには儚さと感動が入り混じっているのです。かの有名な演目ロミオとジュリエットも、家の違いにより生きているうちにその恋が叶うことはありませんでした。完全な夢物語であれば結ばれてもいいものですが、そこに現実の厳しさを残す所に人間の脆さというものを感じます。また、生徒さん自身も、多くの場合は時を経て退団してしまいます。ずっと応援していた生徒さんが成長し、退団してゆく姿は、第二の人生を応援すると共に少し寂しさが残るものです。

まだまだ語れますが、最後にこれだけ!
宝塚の演目を見るなら「エリザベート」「ロミオとジュリエット」「ファントム」がオススメです。また、再演はないかもしれませんが、DVDなどで是非「金色の砂漠」を見てほしいです!「風と共に去りぬ」もオススメです。ちなみに、今秋、月組でエリザベートをやるので機会のある方は是非!

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文化祭!!

昨日一昨日文化祭でした!そして今日は閉会式で賞が発表されました。結果はPR賞、演出部門二位のダブル受賞でした。私は(一つはボツになりましたが)劇二つの脚本を書き、総監督をやり、ミュージカルの演出をし、音響をやり、ナレーションをやり、、、とかなりの仕事を掛け持ちしていたので、大変でした。ダンスの振り付けが全く進まず、全体通し練習が前日の30分しかできなかったり(!)当日の変更点で急にナレーションをやるはめになったり、ずっとずっと皆の怒りや愚痴などを聞いたり、体調を崩していても頑張らなきゃいけなかったり…。本当に本当に何度学校に行きたくない、この階段から落ちてしまいたいと思ったことか…。でもそんな思いを重ねてきた中でずっと隣で笑って話をしてくれる人とか、急に頼んだ仕事を嫌な顔一つせず引き受けてくれた人とか、表舞台に立つ人で私以上に頑張ってくれた人とか沢山の人に支えられました。とにかく、理系のクラスが劇をやるという今までにない試みで賞を取れたのはとても嬉しかったです!このクラスじゃなきゃやらなかったし、このクラスじゃなきゃ出来ませんでした。最高のクラスです!また、初めて自分の書いた脚本を使って舞台で演出もできたことも、本当に本当に嬉しかったです。LJKの文化祭最高でした!!!!!
切り替えて勉強頑張ります!

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自分のことが嫌い

もう数え切れないほど生きることをやめようと思って何だかんだ今も生きてしまっていますが、その根底にあるのはやはり自分嫌いだと思います。興味あることにはどんだけでも熱を燃やしてしまい、限界まで頑張って結局周りに迷惑かける私。理想の自分になるために頑張っても、努力の仕方を間違えたり、要領が悪かったりして絶対に成功できない私。そんなこんなで絶望したときにとことんまで考え抜いてしまい、さらに深い闇を広げてしまう私。でもそんな状況でも少し光が見えるとやってみたいと思ってしまう私。大嫌いです。ほんとに大嫌い。生きててほしくない。でも、大嫌いだけど、今なんかわからないけどとても楽しいです。
学校なんて行きたくて、怖くて、始業式の前日なんて号泣してカミソリ取り出したりなんかして。でも「きついときは無理してこないで休みなよ。でもとりあえず今は全力で楽しもうよ!」って言ってくれた友達が学校にはいて。異性となんて一言も話さなかったのに、今は一緒に帰ってて大爆笑してて。ほんとに教室には疲れてしまうくらいずっと笑わせてくる人たちがいたんです。教室がこんなに温かいものだったなんて知りませんでした。
なんもうまくいってないし、毎日体力的にはしんどいし、自分嫌いなのは変わらない。きっとこのまま生きていても嫌なことは沢山ある。けれども、なんか今はどんな嫌なことも笑い飛ばせる感じです。だから、今は今だけは、この時間を全力で楽しむために、自分が好きかどうかなんて関係なくこの嫌いな自分のままで生きていたいです。
それもこれも延々と笑わせてくるあの人たちのせいだ!
長文乱文失礼しました。

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昨日のことについて

一晩たって、色々考えて、思ったことがあったので書き込みます。

一つは、私はほんとに他人主体で生きているんだということを再認識したこと。以前にも、恩師に似たことを言われたことがあったので、もう少し自分のしたいことと向き合う方法を考えてみようと思いました。
一つは、普通、死は恐怖であり、やってはいけないことであるということ。今まで死にたいと思っている時に、死ぬなと言われたことは無かったので新鮮でした。
一つは、「自分を変える」ということ。私は昔は変わりたいと散々思っていましたが、最近はめっきりその気持ちがなくなってしまいました。しかし、お話しを聞いてそのあと色々考えて、どんなことをしても根本の私は変わらないかもしれないけれど、そうだとしても私という存在は絶えず変化するものであって、だとしたらよい方向へ変化したいという思いに達しました。

常に恐怖ばかり感じネガティブになるのではなく、ダメそうだったらその場から逃げて、でも希望からは逃げずに戦っていきたいと思いました。
正直まだ生きたいという思いは起こらず、きっとこれからも長い間生きたくないという思いを持ち続けながら生きていくことになるでしょうが、本当に追い詰められて身を投げようとしているときに話を聞いて下さって、また、話をしてくださる方がいることだけが私の生きる支えになっています。本当にありがとうございます。

長文乱文失礼しました。

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進路相談

ドロス先生こんばんは!
進路相談です。私は医学部を目指していましたが、高3の春に進路変更しました。脳の研究がしたくて医学部を目指していたのですが、一方で制作にも興味があり、医学部に行くと進路がせばまると考えたためです。しかし、高3になってから変更したため、進路変更するにも教科が足りず、かなり受けられる大学の幅が狭まってしまいました。だから、正直今は科目が足りている大学を受けるという予定です。また、推薦を考えていたのですが、自分自身と向き合える気持ちがなくなってしまい、諦めて一般入試での受験にしました。私の中ではこのままでいいのかという不安が大きいです。進路の幅を広くするために変更したのに、変更後は自分が何をしたいのかがわからなくなってしまい、今はただひたすら気を紛らわせるためだけに勉強している状態です。それも、人が怖くなってしまった今、人のあるところで勉強するのもしんどくて、塾の自習室での勉強ができず、家にこもってやっています。
このままとりあえず何も考えずに勉強を続けた方がいいですか。それとも、自分自身と向き合う時間を作りなるべく人と関われる努力をするべきですか。アドバイスをお願いします!

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声が聞き取れない

今日は押見先生が生放送教室にくるということで!とてもとても楽しみです。本当はこのシーンがこういう風に好きだとか熱弁したい気持ちがつよいのですが、押見先生の作品を読んだ後の私の心は言葉に出来るものではありませんし、なんとか言葉にしようとしてもうんと長くなってしまいます。ということで、本日の授業テーマについて話します。みんなにわかってもらいたいこと。耳が聞こえにくいこと。言葉が聞き取りにくいこと。なんでだかは全くわからないので、私がただ聞いてないだけだといわれればそれまでなんですが。だから、わかってもらえるとは思っていないんですが。絶対あいつ聞いてないだけだって言われるけれど、聞き取れないんです。そんで何回も聞き返して、嫌な思いさせてしまうことが度々あります。だから、集団の中にいるのに孤独を感じるんです。三人とかでいれば、他の二人が話しているときにぼーとしていても文句いわれません。聞き取れるときだけ話に入ったりして無難に過ごすのが私の日常です。でもそれさえ許してもらえず完全に孤独化したときは本当に苦痛です。そういうときは悪口だけはっきり聞こえます。それで人が怖くなって、自分から輪の中に入る努力をしなくなったのが今日この頃です。

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理不尽な規則

中学の時はめっちゃあったなぁ。代表的なのはチャック三本指。学校の指定ジャージが、前のファスナーが胸のあたりからついているタイプのジャージで、下から指三本分閉めなきゃいけなかったんです。二本でも四本でも駄目なんです。生活委員がチェックするんですけど、二回以上指摘されたら皆の前で名前を呼ばれ、その後呼び出しをくらって部活にいけなくなるんです。私は兄のおさがりを使っていて、チャックが勝手に下がっていくタイプだったので、五分ごととかにあげなきゃいけなくて、ほんとに困ってました。
あとやっぱり部活では色々ありましたね。テニス部だったんですけど最初にサーブを打ってそれが入らなかったらその日1日打てないとか。人助けをしてたり、あるいは他の先生に呼び出されて話をしていても、練習の始まる三十分前までに先生の携帯に連絡しないで遅刻をすれば、次の大会に一切出させてもらえないとか。部長副部長は部員の全責任を負うので、部員が何か問題を起こした時は部員の三倍の時間怒られるとか。
振り返ってみると規則でガチガチに縛られ、怒られていた記憶しかないです。今でも理不尽だったと思いますし。高校になってからは特にそういうのはないですね。でもその分自由になって全力でやることも減ったような気がします。どうにかしてこの理不尽な状況を打破しようと皆で一致団結する事がないので、いい意味でも悪い意味でも皆他人事です。その意味では今ではあの時の理不尽な規則も意味があったのかなと思ってます。