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書き込みを考えていて思ったこと。

きっと、この共感を、理解しようとした気持ちを、ここだけで終わらせちゃダメなんだ。

テーマは1日経てば終わってしまう。でも、ここにいる人たちの人生はずっと続く。1日経ったら虐待が無くなってたなんてことはあり得ない。

だから、今日の授業を忘れちゃいけない。

だから、ほんの少しでも、傷つけてしまう可能性から目を逸らしてはいけない。

残念だけれど、人間に例外はない、と思う。誰でも虐待に走ってしまう可能性はある。自分が愛するはずだった子供を傷つけてしまう可能性は0じゃない。
だから、その可能性から目を逸らしちゃダメなんだ。自分だけは違うと思っちゃいけないんだ。

そしてそれは、自分なら誰かを助けられるかもしれないという可能性に関しても。
私はついつい、『でも私には助けることはできないんだろうな』って思ってしまう。
でも、思ったらそこで終わりだ。それは、自分なら助けられたかもしれない誰かを諦めたことになるんだ。
だから。
私に世界から虐待をなくす魔法が使えなくても、全ての傷ついた人を癒す魔法が使えなくても、今できることから逃げちゃいけないんだ。

校長、教頭、それからこの書き込みを読んでくださったみなさん。私は今から皆さんに勝手に誓います。

私は虐待をしません。思いつく限りの誰かを傷つけるような行為もしない。もしも配慮に欠けていて相手を傷つけてしまったら、ちゃんと謝ります。
そして、自分が誰かを助けられる可能性を捨てないように生きたいと思います。私に劇的なことはできない。きっとそれは全員にとって同じだけれど、だったら世界を変える可能性のある一人にもなれるはず。

これが、今の私の精一杯。

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お願いします。認めてください。

『辛い』ってことを。
自分で認めて欲しい。周りに認めて欲しい。

今日の授業は虐待についてだけど、考えれば考えるほど、経験がないことについては語れないなって思ったから、私に言えることを、私が伝えたいことをここに残そうと思います。

私は辛いことを自分で認めることができませんでした。
RADWIMPS先生の『One man live』に「もしも折れかけたその足に痛みを感じなければ君は何も知らず歩き続けるだろう 傷ついたことに気づいてと願うその痛みたちは君を守るためにそこにいたんだよ」という歌詞があります。
その通りだったんです。
痛みを感じずに歩き続けても、知らないうちに辛さは私の心の中に溜まっていて、気づいた時には動けないほどボロボロでした。
そんな経験してほしくないから、辛いときには、それを誤魔化してほしくない。辛いことは辛いって言っていいんです。自分の感覚で。
そして絶対に無理はしないで。
無理をすると、無理しても動けなくなるまで頑張ってしまいます。
周りに求められることがあるのもわかってる。学校に通っている限りは絶対にそう。
でも、自分の魂を差し置いてまでやらなければならないことなんてない。
ここにいる人たち一人一人に自分のことを大事にする権利がある。

そして、その「辛い」という声を受け止める人たちは、その辛さを認めてほしい。
私も親に言ったことはあったんです。小学生の頃の辛さ。でも、姉と比べられてしまった。『大したことないでしょ』って言われてしまった。
その一言で、私は人を頼れなくなってしまった。
その人が悩んでいたこと、辛い苦しいと感じながらも今日まで生きてきたこと、その強さを認めてほしい。
決して比べないでほしい。好き嫌いが違うのと同じくらい当たり前に、辛さを感じるタイミングは違うと思うから。

辛いと思ったとき、辛いって聞いた時、絶対にそれを認めてほしいです。

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いじめた側

僕は中1の頃、ひとりの友達をいじめたメンバーに入っていました。理由は小学の時にハブられていたからです。最初は遊ぶ予定を誘わなかったりしてその後、ゲームの中を荒らしたり、無視したり、ハブったりしました。それが半年くらい続いて学校の問題になり、先生の力で事実上解決しました。ですが、その友達と僕らの関係がよくなるわけはなく、それからお互い距離を置くようになりました。僕はこの頃にやっと自分のしていることの恐ろしさに気づきました。友達を傷つけてその友達を1人にして。その時に自分の意思で動けばよかったのに僕が何もしないうちに、その友達は不登校になってしまい、このことが原因で転校してしまいました。その中学でも不登校気味だったと友達伝いで聞きました。それからお互い高校へ進学して、別々の高校になり、その友達と全く接点がなくなってしまいました。僕は今とても後悔しています。とても後悔しています。本当にどうにかして謝りたい。もしかしたらただの俺の自己満で、相手は望んでないのかもしれない。けれどどうしても思いを伝えたいんです。そして許してもらえるならもう一度やり直してみたいと思っています。小学の最初の頃から仲よかった友達なのでいまだに彼の家の電話番号を暗記しています。今から電話をかけて思いを伝えることもできます。ですが、僕には電話をかける勇気が出ません。どうしたらいいでしょうか。

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SOLへのお手紙(長文)

※私は最近SOLに登校したばかりなので、SOLの印象を投稿します!

初登校から1週間ほどした日がちょうどセンター前の放送でした。センター前日の応援部。
私、あれを聞いて泣いてました。
会ったこともなければ名前も顔も知らない。それなのに、これだけの熱量を持って生徒に接してくれる。校長・教頭が本気で応援してくれてるのが聞いてるだけで分かる。
あんな体験初めてだったんです。
登校を続けるうちに、SOLっていう居場所への驚きと信頼がどんどん積もっていきました。
逆電した生徒と一緒に先生たちが悩んでくれる、答えのない問いにも親身になって考えてくれる、僕たちは現場には行けないからって私たち生徒のことを教職の先生に頼んでくれる。言動の一つ一つが生徒全員に配慮されていて、単純にすごいなって。
そして、気づいたんです。ここなら素のままでいいんだなって。頑張らなくてもいいんだって。ありのままの自分を受け止めてもらえる居場所なんだなって。
それに気づいて、勝手に先生たちと約束したような気分になったんです。

『俺たちはここにいて君のことを待ってるから』

って、言ってもらえたような気分になった。すごく不思議です。校長・教頭をはじめ、講師の皆さんともお話したことはないのに、私はどこからこの言葉を聞いてきたんでしょう笑
私は勝手に約束してもらった通りにこれからも登校します!
これからもよろしくお願いします!

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先生と生徒と正解

テーマが「学校の先生」で、話題はズレるけど、それきっかけでSOLの先生たちと現実の先生たちの違いを考えた。(もちろん単純な違いはあるけれどあくまで先生として比べた場合の話)
それでとっさに出てきたのは「自由度」かなーと。

SOLの先生たちはすごく生徒のことを考えてくれる。教科書が教えてくれないことも教えてくれる。私の大好きなRADWIMPS先生の言葉を借りると「正解などまだ銀河にもない」問いにも真摯に向き合って、その人にとっての正解を一緒に考えてくれる。

でも学校の先生ってきっとそうはいかない。どちらかといえば「世間的な答え」を生徒に提示しないといけない。教師じゃないからもちろんわからないけれど、きっと"先生に求められている答え"って"社会が求める答え"なんだろうなぁと。

私の担任の先生は「先生としての答え」と「個人としての答え」を分けて話してくれる先生です。だからこの考え方でいけばSOLの先生たちと学校の先生とを掛け合わせたところがあって、だから好きなんだと思う笑 ただ、学校全体で言うと「世間的な正しさ」しか教えてくれない先生がかなり多い。
もっといろんな先生が、「教職」っていう肩書きに飲み込まれずに接してくれたら素敵なのになーと思います(←何様)そしたら崩壊する部分もあるだろうけれど、それはそれでちょっと楽しそう笑
考えてみると先生って大変なんだなぁ……いつもありがとうございます。