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ザリガニはこう言った

 ザリガニと話せるようになってしまった。このことに気づいたのは、売却を依頼された別荘を見に千葉に行ったときだった。
 査定をすませて鍵を閉め、バルコニーを降りると、足元から声がした。
「素敵な下着だ。通販かな」
 見下ろすと、ザリガニがいた。
「すみません。何か言いました?」
「ああ。浮かない顔だがどうした」
 ザリガニはそう言って、両方のハサミをちょきちょきやった。ザリガニの声は、渋い低音だった。声フェチのわたしは、ついうっとりしてしまった。ザリガニは続けた。
「何か悩みでもあるのかね」
 実際わたしは悩んでいた。親しい友だちが結婚して、疎遠になってしまったのだ。
「はい……ところであの、どうして人間と話せるんですか?」
「フレンチレストランでザリガニソースを浴びたことがあっただろう。そのせいだ」
 そんな記憶はなかったが、わたしはうなずいた。このところ仕事が忙しすぎて、エピソード記憶が曖昧になっているからだ。わたしは素直に、親友だと思っていた友だちが結婚後、向こうから連絡をよこさなくなってしまった。友だちが幸せになるのは嬉しいが、なんか虚しい。憎んでしまいそう。こんな自分が嫌だ。といった悩みを打ち明けた。
 するとザリガニはこう言った。
「男の友情は自己犠牲の上に成立するものだが、女の友情は自己愛で成立している。自己防衛本能の産物なのだから長続きしなくて当然だ。日々を平穏に暮らすために君だって都合よく、その友だちを使ってきたわけだろ。だから責めてはいけない。その友だちも、自分も」
 わたしは少し笑顔になって、ザリガニと別れた。都会にザリガニがいないのを、寂しく思う。