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こもり校長、聞いてください!

こもり校長へ

初めて逆電をしたのは高校3年生のときですね、その時、「作家になりたい」と話したこと、覚えていますか?
あの時から時間が経ってあっという間に今年から大学4年生になります。
結論から言うと、私は今後作家への道を目指しながら、精神疾患と闘病しつつではありますが介護福祉士と、心理士の資格を取得したいという新たな目標ができました。
東京という都会へ行くことも考えました。
ただ、この目標ができたのは、今年85歳になる祖母のためです。
自分の道を走りたいとばかり思っていたけど、家族との時間を大切にするために地元に戻って、これから地道に目標に向かうことにしました。

私は今、noteで作品やエッセイ等を更新し続けていますが、それももちろん続けます。
ただ続けるためには自分の身体のことも、家族のことも考えないといけないし、今後もいろいろ学ぶことは山積みです。
だからこれからも負けないで頑張ります。

最後に。
体調の関係でマイジェネに行くことは断念しましたが、今後のこもり校長の活躍をずっと遠くから応援しています。
もし自分の作品が世に広まったら、真っ先にこもり校長に読んで頂きたいです。

こもり校長、ずっとずっと大好きです!!

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東日本大震災から15年

私は宮城県の沿岸部に生まれ育ち、被災した当時は6歳でした。卒園式間近のことでした。
3倍以上歳を重ね、年齢的には大人になって
今年も黙祷を捧げました。

発災当時はまだ幼稚園生で、余震が強く夜中におばあちゃんの腕の中で泣いたこと、子どもながらに津波の映像を見てすごく衝撃を受けたこと、すぐに近くの公会堂に避難できるように1階の台所で母と隣り合わせで眠った夜のこと、中学1年生のときに亡くなってしまった祖父が、車に不安がる姉と私を乗せて、「じいちゃんが絶対守るからな」と強い眼差しで励ましてくれたこと。
停電で何も人工の明かりがないなか、星はきらきら輝いていたこと、全部全部覚えています。

人生の半分以上を「復興後」の景色を見て育ったので、震災の前の景色を時々恋しいと思います。
パズルのように散らばった断片的な記憶ですが、絶対に忘れずにこの日のことを伝えていきたいです。

今日も生命が誕生したり、天国へと向かう生命もあります。
震災を経験してからは、いのちのことを沢山考えるようにしています。
私の周りは奇跡的にみんな無事でしたが、
そうではない人ともこれまで沢山接してきました。
友人の中には、震災で身内を亡くした方もいます。

皆さんへ
今ある幸せを、大切にしてください。
今ある普段の日常を、大切にしてください。

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RADWIMPS先生

いつぶりに書き込みするか分かりません。
それくらい、お久しぶりに書き込みをします。

まず、SCHOOL OF LOCK!!とRADWIMPS先生の20周年を心から祝福します。

映画「君の名は。」でRADWIMPS先生を知って、そこから思春期の真っ只中を彩ってくれたアーティストのなかのひとつが、RADWIMPS先生でした。
私はその中でも、3.11について曲を書いたアルバム『2+0+2+1+3+1+1= 10 years 10 songs』
が1番好きなアルバムで、その中の10年目の曲、『あいたい』が1番好きな曲です。

私は3.11を6歳の時に経験しました。
私の周りや親戚はみんな無事でしたが、子どもながらにものすごく怖かった記憶が今も鮮明に蘇ります。
人はいつ死ぬか分からないというのをこの時初めて知りました。

そこから私は今年21の年になり、生と死を何度も知りました。
大好きな人が亡くなって、大好きな人が生まれ
仏壇やお墓の前で手を合わす度に
生命の巡りというものを知りました。

もっともっとここで書きたいことはあるけれど、もしかしたら重いかもしれないから、書かないことにします。

でもこの曲に出会って、私はできるだけ大好きな人の分まで生きて、天国で、いろいろなことがあったと、言葉を交わしたい、と思いました。

この曲に対する想いは誰よりも熱いです。よかったらこの想いをRADWIMPS先生に直接伝えたいです。

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ここでの章の最後に、伝えたい。

こもり校長、COCO教頭こんばんは。
私は「今もこれからもずっと頑張り続けていきます」と優しさでいっぱいの生徒の皆さん、そして校長と教頭に伝えたいです。

生放送教室では自分の夢や目標やいろいろな考えについてお話することができたり、共有したり。
校長と教頭の素敵な言葉に心が救われました。
生放送教室以外で私は廊下(x)でいろいろなことを投稿しました。
ラジオのことだけでなく逆電で話した夢のことも、趣味のことも自分の思想のことも共有することができて幸せでした。褒めてくれたり慰めてくれたり強い言葉も全てが自分の力になったということは間違いない事実です。

そんな私ですが、先日廊下でスクールオブロックの生徒を卒業することを伝えさせて頂きました。
アカウントの中では見てしんどくなるような文面で伝えたものの、「前向き」な形で発表したことに間違いは無いことを伝えたいと思います。

私はまだ未来の鍵を掴めていません。
でも、自らの力で未来の鍵を掴もうといろいろなことにがむしゃらに取り組んでいく、そのために卒業を決めました。
noteを中心に個人作品の毎週の更新と、表現力を高めるためのサークル活動、学業・バイト等、「他に頑張りたいことがたくさんできたから」できた決断だったと思っています。毎日毎日散らかったアイデアやペンやデータを書き留めて、寝不足になりながらも取り組めている日々が楽しくて仕方が無いです。

時々迷走するかもしれません。きっと必ずそうなります。
その時は戻ってくるかもしれません。でもこれからもスクールオブロックが好きなことは変わらないんです。だからイベントには参戦しますし、またお会いすることが出来たらいいなと思います。

夢を叶えて、活躍できた。
そのことを遠い未来にはなってしまうかもしれませんが、それがいつか本当になったら、また報告できるようにそれまで頑張り続けたいです。
自分の身体が壊れる覚悟で頑張ろうと決めました。「スクールオブロックがあったから、目標が叶えられました」
そう言える時が来たら、自分の人生に悔いは無いです。

今日は、最後の決意表明と、お別れのありがとうではなく「夢を与えてくれて、挑戦のために送り出してくれて」ありがとうを伝えたいです。

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今の心境

こもり校長、COCO教頭こんばんは。
久しぶりに書き込みします。

今日で、東日本大震災から13年が経ちました。
宮城県出身で、当時幼稚園の年長だった私は今年で20歳になります。
年を重ねてもあのときのことは、書ききれないほど鮮明です。
あれからかなりの時を生きたのだなと、そして過ごす環境が変わって、家族のことや今ともに生きている人たちのことをより考えるようになりました。
そして元日に発生した能登半島地震のように、いつどこで何が起こるか分からないことを身近に考えることも増えました。

私の実家は海の近くにあります。
帰省するたび、綺麗になった街並みと海の穏やかさに驚かされます。
たくさんたくさん変わりました。

ただ、小さなころに見た景色がそのぶん恋しく感じるようにもなりました。
そして今の中学1年生までの子供たちがみんな震災後に生まれた事実にも驚いています。
どのようにあの時のことを伝えていけばいいのでしょう、そのようなことも考えるようになりました。
いろいろなことを頭に巡らせながら、黙とうをしました。

今日の授業テーマは「今そばにいる大切な人」。
私は、物理的に遠かろうが「大切」だと感じているのならば「今そばにいてくれている」と考えています。
宮城にいる世界で一番大好きな家族や、帰省した時に優しく接してくださるご近所さん、素敵な地元の友達。
今の場所で出会った大学の友達や先輩方、先生方。
天国にいる祖父や曾祖母だったり、
考えれば考えるほど大切な人たちがいます。

だから、今一緒にいられる日々を大切に生きていきたい、と思います。
「いつもありがとう」って、直接恥ずかしがらずにもっと言えるようになりたいな。

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