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余り者

 小学校、中学校、高校。
 年代が上がるにつれて、グループというものができるようになる。【学校】という狭い社会で生きていく上で、それに属さなければ、周りから変な目で見られてしまう。

 年代が上がるにつれて、私はこの、グループというものに苦しめられることになった。

 小学生の時。いつも一緒に遊ぶ子がいたこともあったし、そうでない時もあったような気がするが、もうあまり覚えていない。

 中学生の時。いつも一緒にいる子たちがいた。何かグループを作るときはほぼ100%その子たちと一緒にいた。お互いにお互い以外の選択肢がない状態だったように思う。

 高校生の時。クラスで行動を共にする子はいた。が、毎年メンバーが変わっていった。その子たちと十分に仲良くなったかと言えば、そうではなかったと思う。いつも絶妙に上辺だけの会話だった気がするし、お互いに奥深くまで触れることを避けていた気がする。
 そんな高校時代の私を一番苦しめた要素は、「中学時代のような関係の友達がいなかった」ことだった。私が、とても仲良くしていると感じていた子はイツメングループの繋がりが強かったし、クラスで行動を共にしていた子は部活のグループの繋がりが強かった。私の周りを見回せば、部活の仲間たちにはそれぞれにグループがあった。仲良くしている子にもグループがあった。その子たちにとって、私はいつも優先順位が下だった。こんな書き方をすると誤解を招くかもしれないが、決してあの子たちに悪気があったわけではなかった。なぜなら、私が一人になっていることに、誰も気づく余地がなかったのだから。誰も、誰も悪くなかった。

 それでも、私が“余り者”だという残酷な事実が在り続けた。

 今でもわからない。グループとは何?なぜみんな変える方向が一緒の人から一緒に帰る人を見つける?私はどうしてこうなった?私はいつになったら、誰かの唯一になれる?

 “余り者”という事実は、高校時代の私を暗い闇の底に突き落とすが、それはまた別の話。

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活動弁士の彩色(さいしき)

 昔から、小説を閉じた直後は、その小説の語り部が勝手に私の脳内に上がりこみ、私の世界を描写していた。誰にも話したことがないから、この状態が普通なのか、そうでないのかわからない。

 自分が見ている世界は、何もしなければただの映像でしかない。

 昔の映画には、音声がなかったという。音楽はその場で奏でられ、活動弁士という人が内容の解説をしていたそうだ。

 私自身が見ている世界の映像は、幸運にも、無音ではない。しかし、所詮映像は映像だった。それ以上でもそれ以下でもなかった。私と同じように、それでは味気ないと感じた先人たちは、その情景を歌に詠み、詩を編み、彩ってきた。彩色されたその世界は、現実より有意義で、豊かで、美しく見えた。

 これを書いている今、ある語り部が私の頭の中に、勝手に上がりこんでいる。つい先ほどまで、私は彼のエッセイを読んでいた。
 私は彼が好きだ。彼ほどに人間としての魅力に溢れた人を、私は知らない。

 そんな彼のエッセイに触発され、私も少しエッセイを書いてみようと思った。
 どれくらい続くかは私にもわからない。
 それでも付き合ってくれる方がいるのなら、どうか、共に楽しんでいこう。活動弁士が彩色する世界を。