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っしゃーー!

日本勝った!
日本勝った!
日本の優勝だ!
監督の背番号が89,つまり「やきゅう(野球)」の語呂合わせになれば日本がWBCで優勝するというジンクスでもあるのかなぁ

ヨスに行く前に試合結果が出てくれて良かったなぁ
まさか,優勝してくれるとは思わなかったし,韓国では中継映像を視聴できない関係でLINEから少しラグのあるスポナビ中継の文字を追うことでしか試合の経過を知ることはできなかったから,9回大谷登板と表示された時に『あとひとつ』を歌い始めたら,2番の後の「アツくなっても無駄なんて言葉聞き飽きたよ。抑えきれないこの気持ちを希望と呼ぶならいったい誰が止められると言うのだろう」というフレーズに入ったタイミングでツーアウトになり,「あと一粒の涙が一言の勇気が明日を変えるその時を見たんだ。無くしかけた光,君が思い出させてくれた。あの日の景色忘れない」とまで歌ってサビに入る直前でスリーアウトと表示された。
思わず「よっしゃー!」と叫んでしまい,何事かと心配されたけど,事情を話したら納得して貰えた。
我らが守護神・大勢投手が中継ぎだったのには「大勢に13球しか投げさせないなら料理と中継ぎの二刀流,高梨を選んでおいて,その次に大勢に繋げる勝ちパターンにしとけ」と本気で怒ったけど,栗山監督って元々は日ハムの監督で愛弟子の大谷ダルビッシュコンビがいたことを思い出して納得した。
日本が優勝してくれたおかげで今日は良い日になると確信したから,これからも韓国滞在を楽しむぞ〜!

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韓国滞在記

昨日,3月20日の午後,韓国に到着して数多くいる親戚の1人の出迎えを受けてからソウルにいる親戚と会って市内の宿泊施設に一泊し,そのまま空港で出迎えてくれた親戚の人に運転をお願いして今日は観光地としても地質学上の貴重な土地としても知られる馬耳山,現地語読みマイサンに登って礫岩質の山肌を見た後,歴史上有名な古戦場である白村江の上流部,錦江の源流を見て,その麓にある寺の写真も撮った。
そして,そのまま田舎の方にいる親戚と再会してその人の家に泊めてもらうことになった。
屋外で炭火を使って焼肉を食べることになったが,付け合わせのさつまいもを焼くと芋けんぴのような味と食感がして懐かしい気がした。
明日,22日以降は数日かけてヨスをはじめとした韓国南部の港町を観光することになっている。
憧れの街に行くことになるので,カメラは十分に充電しておきたい。
この地域の海は俗に言う多島海で、馴染み深い東京湾や相模湾とはまた違った雰囲気が楽しめるだけでなく,俺が訪れる機会が多かった地域はかつての百済の国,ヨスの港町はかつて新羅の国に属していたため異なる歴史と文化の地域だそうなので,しっかりとこの地域の雰囲気を味わいたい。

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東京

俺は体質的に花粉が酷いと鼻よりも目に影響が出る関係で,久しくベランダに出られなかったが,今日は久しぶりにベランダに出てみた。
近隣の高層マンションに遮られて見えない筈のタワーの夜景も,とある企業のオフィスビルの窓に反射して見えている。
先程,そのタワーのネオンの色が少し変わったようだ。
実を言うと,これってめちゃくちゃ貴重な景色なんだぜ?
雲がかかると霞んだりネオンに雲が反射したりして見にくくなるし,花粉や黄砂といった大気汚染物質や靄がかかったりすると,この夜景はそもそも見えなくなるからな。
だから,見られる頻度が高いとしても季節や天候に左右されるからなんとも言えないなぁ…
夜風はいつも通り心地よい。
これがまさに,母校の中学の校歌にもある土地そのものなのだろうな。
久しぶりにナハト・チャイ(夜景をお茶菓子代わりにお茶を淹れて飲むことで,ドイツ語の夜という単語とロシア語で茶を意味する単語の造語)でも楽しもうと思ったが,生憎茶葉を切らしているので無理だ。
まあいいさ。
お茶がなくてもこの夜景は俺の地元出身者の特権だ。
好きで仕方ないなぁ、この美しい故郷。
東京をよく知らない地方の人は俺の地元を「騒がしくて人が住めない街」って勘違いすることが多いし,東京のことをコンクリートジャングルって呼ぶけど,個人的にはそんな風に呼ばれるのは「空気が汚く,忙しくてわけが分からない場所」と言って故郷をボロクソに罵倒されている気がして本当にイヤだ。
言葉は悪いが,コンクリートジャングルなら近年発展している国々の都市部に行けば高層マンションやその他の高層建築物が文字通り林立しているし、アジア,特に韓国なら地方都市や郊外でも無機質な高層ビル群は見られる。
でも、東京という街の存在は世界にたった一つしかなく,各個人と同じで唯一無二の存在だ。
東京はかつて大名屋敷の街としての歴史も歩んだのだからありし日のお屋敷の庭園が今でも残っている場所は多く,緑豊かで桜の名所もある。
それから、文化の面でも他所の土地に引けを取らない位素晴らしいものが紹介しきれない程沢山あるし,実は江戸,東京が発祥のものは意外と多い。
俺はそんな歴史と自然,そして夜景と様々な地域の文化が入り混じって生まれた唯一無二の都市,東京が,生まれ故郷が大好きだ。

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これってどうなる?

一部まだ結果が出ていない大学を除き,俺は入試全滅した。
その状況のまま高校の卒業式を迎え,お世話になった世界史の先生にアーサー・ウェルズリー,俗に言うウェリントン将軍のことを引き合いに出して入試リベンジを誓った。
確かに,俺は先生に対して「ウェリントン将軍は確かにウォータールー,フランス語読みワーテルローの戦いで最終的にナポレオンを打ち破ったことで知られていますが,その前はナポレオンに敗れることもあり,常勝将軍ではありません。自分もウェリントンのように,今は負け続けであっても最後には大学入試で勝ちます。」というメッセージを送って卒業したのだが,大学入試にリベンジする上で優位に立つために英語の外部試験をもう一度受けようと留学先を探していたら条件に当てはまるのはフィリピンの学校ばかりで,その試験対策用の専門コースで勉強できる学校は設備面と環境面を考慮すると候補になる学校はルソン島北部,かつて戦争末期に米軍にマニラを再占領された日本軍が無理やり司令部を移した歴史を持つ山あいの街,バギオの学校とセブ・マクタンエリアの学校で合わせても五本の指に収まるのだが、その中にはかつて中学2年の夏に2週間の短期留学でお世話になった学校もある。
もし,本当に昔通ったあの学校に行くことになったら,俺は凱旋したってことになるのか?
というか,それって凱旋に入るのか?