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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 9

「そこまで吹っ飛ばされた。バシィってな、叩きつけられた。窓硝子が体中に刺さってくるわ机や木片で顔も肺も潰れるわ炎が服に燃え移るわで……酷いんじゃぞ、破片が目やなんかにも瞼の上から突き刺さっとるから、霞む目ちょっと開いて、首も下を向いたまま動かんから、自分の体の様子だけ分かったんじゃが、あの時窓側に向いとった右上半身にワァーっといっぱい硝子片が刺さっとるんよ。その溶けたのなんかもただれた身と同化して黒いんだか赤いんだか何なんだか……お前、集合体は大丈夫な方か?」
 甲斐田はニヤニヤしている。
 俺は何も言わなかった。勿論笑いもしなかった。
「あん時の姿にもなれるが……まあやめとくか」
 何故こいつは、こんな酷い話をヘラヘラしてできるのだろう。幽霊であることよりもずっとその方が不気味だ。
 俺はこの話を聞いて、本当に辛く思った。戦争の不条理も悲しんでいるし、甲斐田の味わった痛みに胸も痛む。右腕に手を当てて、むず痒い感じもした。でも、そんな薄っぺらい感情よりも何よりも深く、そんな酷い経験を笑って語る甲斐田が腹立たしくて仕方ないのだ。
 俺は拳に力を入れてその怒りをできるだけ態度に出さないように堪えた。爪が手の平に刺さる。でも痛みはなかった。そんなのを考えられないくらい頭がいっぱいだった。
「……と、まあこんな感じだが……っておい、お前」
 話し終えたようだ。しかしその途端、何だか焦った様子で俺に話しかけてきた。
「やっぱり、嫌だったか」
 甲斐田は心配そうに俺の顔を覗く。
「……違う」
 俺の声は震えていた。
「何でそんな風に言うんだよ」
「何でってお前が訊いたからじゃろ」
「違う、そういうことじゃない」
「じゃあどういうことだ」
 鈍い甲斐田が恨めしかった。怒鳴ってやりたい。でも、彼にそんなことはできない。そんなことはしてはいけない。
「おかしいだろ。自分が死んだときのことだぞ。大したことじゃないみたいな」
「もうしばらく経っとるからのう。今じゃ気にしとらんよ」
「命を何だと思って――」
「じゃあ」
 俺がキレかけたところで、甲斐田は声を張って俺の発言を制した。大声ではあったのに、怒鳴っているわけではなくて、でも怖いという印象を受けた。それは霊的な力だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 8

「でな、実際ここいらにアメリカが爆弾を落とすことは殆どなかった。じゃから今回もそのクチだろうと思って油断しとったんじゃな。でもボーイングは確実に近づいていた。警報は依然やまない。もしかしたら今回は、と、ちと怖くはあったが、本を取りにこの教室に戻った。どうせ今日に限って落としてくることなかろうし、落ちても学校にピンポイントで当たるまいとたかを括っとった。それに何より、アメリカの兵器を前に、勉強すら諦めるのが嫌じゃった……そう思ったのが間違いじゃった。よう考えれば、学校がここいらで1番大きい建物じゃったし、軍の駐屯地は隠れとったから学校が狙われるに決まっとったんじゃが、そういう可能性はもっぱら排除して考えんかった。とにかく本を取りに行きたくてしょうがなかった。それで急いで3階まで駆け上がって、丁度、わしが机の上にあった本を手に取ったとき、この教室に焼夷弾がヒューッと落ちてきた。お前は見たことないじゃろう、まああっちゃ困るが、ありゃ考えた奴は本当の非道だったろうなあ。木造の日本家屋が燃えやすいように、火薬だけじゃなく油を入れるんじゃ。だから爆風と一緒に燃えた油が飛んできた。あん頃は校舎も全部木だったからのう、すぐに一面焼けた。もう遅い時間じゃったからな、わし以外には生徒はおらんかったから良かったと思うが、安心したのも束の間のことで、すぐにも第二陣が降ってくる音がする。でも火に囲まれて逃げられんし……背水の陣、四面楚歌、そんな様子じゃ。熱いを通り越して、皮膚がジリジリ唸るように痛んだ。自分は死ぬんじゃと確信した。わしは元々卒業したら早々に海軍に志願しようと思っとったから、もちろん死ぬ覚悟もできていた……と、思っとった。死ぬときになってわかったが、わしは本当は死にとうなかったんじゃ。まだ生きたい。そう思ったとき、2発目が落ちて、わしは割れた硝子や机と一緒に、そっちの方……」
 そう言いながら俺、ではなく、その後ろ――黒板を指さした。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 7

「わしはな、高等小学校2年の時分にここで死んだ。酷い死に方……確かにそうだったかも知れん。1944年の8月にあった空襲だ。わしはそんとき、兄ちゃんが海軍に志願して出てった後じゃったけ、家じゃ妹弟がギャーギャーうるさくって世話もせにゃいけんかったからのう、学校に残って考査の勉強しとった。そんとき……5時50分くらいじゃろか、空襲警報が鳴った。ありゃ気味悪い音でもう、忘れたくても忘れられん、何回何十回も聞いた酷い不協和音じゃ。今でもたまに鳴り出すぞ、頭ン中でな。当然それを聞いた途端にわしは荷物持って急いで教室から逃げ出して、防空壕に潜り込んだ。学校の防空壕ってのはな、不思議でどこからか人が湧いて出て、たくさん入っとる。もうすし詰め状態よ。それでも何とか入れたから、ボーイングが去るまでじっと待ってようと壕の入口付近でしゃがんでいた。そんとき、わしは重大なことに気付いた。本を1冊、置いてきたんじゃ。今思うと下らない。じゃがそんときは死活問題じゃった。命あっての物種というが、もう1冊買う金もないし、それがなければ技師を諦めなくてはいけないという焦りがあった。もうその考えで頭がいっぱいだった」
「技師?」
「ああ、わしはちっこい頃から飛行機の技師になりたくてのう。そんでわがまま言って母ちゃんに高等小学校に入れさせてもらったんじゃよ。兄ちゃんが海軍の戦闘機乗りで、それを安全に整備して、空の勇士たちが無事に帰ってこられるような戦闘機に乗せたかったんじゃ。後方で働けば殉死はできんが、せめて、兄ちゃんらに正しい戦死を遂げてほしかったんじゃ」
 正しい死。
 何だかもやっとした。
 正しい死なんてあるのか?実兄に死を望むか?本当の望みは正しい戦死なんてものではなくて、帰還ではないのか?
 俺の中に湧いた感情は確実に同情や悲観ではなかった。多分、多分だけど、軽蔑だ。何に対してかは分からない。目の前にいる小さくて痩せた少年の話を止めてやるべきだと思ったが、そのための理由付けもできないから、口をつぐんだまま甲斐田の話を聞くしかない。

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憧憬に泣く 9

 理想と現実の落差に戸惑う善。
 かつての自分のように大切な人を亡くした善。
 それでも現実と向き合うことを選んだ善。
 どうしても、そんな彼のことが尊いものに思えて仕方がなかった。STIは彼のような若人を失ってはいけないと思った。
 善の手が部隊長の胸元からはらりと落ちた。それも、一つの雫とともに。全身から力が抜け、その場に座り込んだ。
 涙は次々頬を伝い落ちてくる。それを必死に止めようと掌で拭うも嗚咽が漏れてくる。
「うっ……うっ……駄目だっ、駄目だっ……」
 善は嗚咽の間に歯を食いしばりながらぼそぼそ呟く。
「なあにが駄目なんだよ」
 部隊長は冗談めいて言った。
 十秒程度の嗚咽の後、善はかろうじてか細く声を漏らした。
「……泣いちゃっ、駄目なんだ……」
 ――和樹はあの瞬間、泣けないまま死んだのに。自分だけ泣くなんて。
 そう思うと情けなくて、切なくて、和樹に失礼な気がして、今まで一度も泣けなかった。泣きたくなかった。しかし今は涙が止まらない。
 部隊長は頑固な少年の不十分な回答に思わず苦笑した。
「別に泣けるときに泣いときゃ良いだろーが。こんなことでもねえと、スパークラーはおちおち泣いてもいらんねぇからな」
 部隊長はカラッと気持ちよく笑った。
 その言葉に、善は幼い子供のように声を上げて泣いた。
 善は一歩、前に進むことができた。

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憧憬に泣く 8

「俺はダチの死を知って十分後にはケロッとしていつもの業務に戻ったんだ。今だってあいつの死をどうとも思ってない。悲しくないし悔しくない。――だって、あいつのことはもう忘れちまったんだからな。
……あれからずっとそうだ。死んだダチは全員いなかったことにした。あいつらが仲間だったことは覚えてる。でも全然そんな実感がねえんだ例えるなら、『お前の生き別れの妹だ』って言われてブロンド美女の写真見せられるような感じだ。もうあいつらとの思い出は1つも思い出せねえ。姉貴が死んだときに何も思わなかったのは流石に自分でもビビったぜ。
今俺は、誰が死んだってなんとも思わねえ。現実を見ないことにしちまったからな」
 そこまで一気に話すと、善の反応を待った。しかし実際より小さく弱々しく見えるその少年は少しも動こうとしない。ただ、部隊長の襟にある手には一切の力がなく、少し後ろに下がっただけで勝手に外れそうなほどになっていた。
 いまだ説得に成功しない状況に部隊長は戸惑っていた。正直、自分で言っていながら説得になっているのかは甚だ疑問である。思いついたことを後先考えず連ねているからだ。
 でも今はとにかく、善に分かってほしいことがある。その衝動に駆られて止まらないのだ。
「なあ善。お前は強いんだよ。現実と向き合って苦しんで、そうやって得た信念ってのは実力行使じゃどうにもならねえくらい強い。俺はもう本気で人を救うことはできない。心が死んじまったなんてのは言い過ぎだが、まあ、死に対する感情は専らなくなっちまったわけだ。そんな人間が人を救おうとしたところで、救える命も切り捨てちまうのがオチだ。だから、つまり、俺が言いてえのはな――」
 部隊長は少し照れくさそうに言うのを躊躇ってから、思い切り良く言った。
「お前は俺なんかよりずっと、この仕事に必要なんだ」
 それが今、善に1番言ってやりたいことだった。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 6

「で、何でそんな触られるの嫌がるんだよ」
「ウーン、何かな、ゾワッとするんじゃよ、ゾワッと」
「ユーレイってそんなモン?」
「知らんがな。マァ、あの世のものとこの世のものが交わるってのは健全な状態じゃあないんじゃろ」
「ふうん」
 俺は生返事をし、次の質問を投げかける。
「幽霊なのは分かったけど……あんたホントに甲斐田正秀?」
「何故疑う」
「だってあれだろ、甲斐田正秀って『赤と青、どっちが好き?』って訊いて、どう答えても死ぬっていう怪談だろ」
 当然のように訊くと、甲斐田は軽く吹き出して馬鹿にするように笑った。
「んな訳なかろーもん。来る奴みんなに話しかけとるから、面白いように話に尾ビレつけてったら原型がなくなったんじゃろう」
「え、じゃあ酷い死に方をしたってのも?」
「酷い?」
 そう繰り返すと、少しの間自分の顎に手をやって考え込む姿勢を取って静止した。「あー」とばつが悪そうに話を切り出そうとするが、やっぱり駄目だというふうに頭を掻いてまた黙る。
 彼が個人的に話したくないというような態度ではない。どちらかというと、相手が良ければ話すけど、みたいな雰囲気だ。
 何度かそれを繰り返して俺も耐えかね「何だよ」とこちらから仕掛けた。俺がなにか言わないと何となく、彼が霞になって逃げてしまうような気がしたのだ。
「話したくないのか?」
「んなこたーない、まー確かに、酷いって言えば酷かったかもしれんと思っただけじゃ」
「話す気ない?」
「お前がえがったら」
「俺は良いよ」
「そんなら話すが……戦争の話じゃぞ、よくある話」
「へえ。試しに話してみろよ」
 俺が乗り気な様子を見せると、甲斐田は気不味そうに自分が死んだときのことを話し始めた。

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憧憬に泣く 7

「俺は知りもしない一般人のことなんかどうでもいい!俺がほんとに守りたかったのはっ、俺の大事な人達なのにっ」
 善は目に涙をためて叫ぶ。今まで本当に思っていたことを。
 人々を守るのに憧れたのではなかった。世界だなんてそんな大袈裟な話ではなかったのだ。ずっと、人々の安寧を守り『家族や友人を笑顔にできる』スパークラーに憧れていた。自分の周りの人が幸せに暮らす。それだけで良かった。
 それなのに。
「駄目じゃないか!何もできないじゃないか!スパークラーなんてなった意味ない!」
 善は膝立ちになって荒々しく部隊長の胸ぐらを掴んだ。部隊長はそれを拒まなかった。
「……スパークラーなんて……何もできないくせに……」
 うなだれて呟いた言葉は、高く積もった雪のように重く冷たく響いた。
「なあ善。お前、ホントは思ってんだろ。何もできないのは自分だって」
 部隊長の声はぶっきらぼうだが優しかった。彼の服を無造作に掴んだ手から、ほんの少しだけ力が抜けた。
「でもな、そりゃ見当違いだ」
 それから部隊長は善からなんの反応もないまま続ける。
「……俺の話をするが、俺は、人を守るその勇姿に憧れてスパークラーになった。あの頃はSTIの宣伝を本気にしてた。丁度、今のお前みたいにな。でもな、初めてダチが死んだ時、お前みたいにはならなかったんだよ」
 善は俯いたまま「流石部隊長だよ、強いんだな」と震える声で皮肉を漏らした。強がらないと涙が溢れてくると分かっていた。
「誤解すんな善。俺は強かったんじゃねえ。人一倍弱い人間だったんだよ」
 部隊長の言葉に善はゆっくりと顔を上げた。部隊長は苦しそうに表情を歪ませながら笑っていた。