15年前の話 その3
その3の続き。
その辺りからどんどんヘリコプターやどこかの定点カメラから撮影された津波の映像が次々とテレビに映されるようになり、“黒い水”に田んぼや畑や街が飲まれ、破壊されていく様子が目に入ってきたのです。
それを自分は、ただ呆然と東京の片隅の家の、テレビの前で見ている他なかった。
見知らぬ街…テレビの画面には“釜石”とか“石巻”とか“大船渡”とか“気仙沼”とか“南三陸”とか“南相馬”とか“いわき”とか表示されていましたが…このときになって初めて知った名前の街が、無惨にも破壊される様子を、家族たちと呆然と見ているしかなかったのです。
中でも黒い水に飲まれゆく気仙沼の街中を、小さな白い小船がすーっと流れていった映像が、特に目に焼きついて離れないですね。
そしてその日はもしもに備えて母方の実家に自分たち姉弟や両親も泊めてもらったことを覚えています。
その後、自分は急にインフルエンザで高熱を出し、しばらく祖父母宅の祖父母の寝室に隔離されていた…ということは話が長くなるので省略して、これが2011年3月11日に自分が経験して覚えているものの全てです。
当時はただ呆然とテレビを見ていて、あまりの衝撃になにも感情が湧き上がらなかったのですが、今思い返すと少しツラいです。
あと東北など津波が来た地域の人たちや(山形の方とはいえ)東北出身で福島に兄弟やその家族が住んでいたウチのじーちゃんやおじちゃんは自分以上にツラかったと思います。
だから東京都民の自分が苦しんだりするわけにゃいかないんだよなぁ…
でもやっぱりおぞましくて、自分の中に今も残っている大きな事象、それがあの“震災”だった。
そしていつか次は自分たちが、東京で“被災者”になるのだろうと、と今は思っています。
なんかまとまりがなくなっちゃったけど、まぁ、自分の昔話でした。