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東日本大震災から15年~東北に住んでいる君と家族の話~

私は、東日本大震災の時はまだ1歳くらいだったのでほんとんど覚えていませんが、親から色々と話を聞きました。私は、東日本大震災の日はおばあちゃんの誕生日ということもあって山形にいました。そんな日に地震がおきました。山形も案外被害を受けたらしいです。そして、お父さんは11日も仕事があり、終わってから山形に来る予定だったのでお父さんだけが宮城に残っていました。お父さんはその頃仕事がちょうど終わり山形に向かう途中で地震にあいました。お父さんは職業柄地震があったら被災された地域に行く事になるのでまた仕事場に戻って被災された地域に行きました。そこから、半年くらいずっと家には帰って来ませんでした。そして、私達が宮城に帰った時に家はとてもすごい事になっていました。壁にはヒビが入り、テレビは倒れたり、家が傾いたりしました。そして今日私は、東日本大震災の式典のボランティアに参加しました。そこで震災を知らない子供達に震災の事を説明したりしました。私は、東北に生まれて東北で育ってきたからこそ、震災について勉強をしを経験していない方々にも伝えないと行けないとお父さんから昔から言われています。そのためあの日の事を忘れないようにし、あの日のような日がもう二度と起きない事を願っています。

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東日本大震災から15年

私は宮城県の沿岸部に生まれ育ち、被災した当時は6歳でした。卒園式間近のことでした。
3倍以上歳を重ね、年齢的には大人になって
今年も黙祷を捧げました。

発災当時はまだ幼稚園生で、余震が強く夜中におばあちゃんの腕の中で泣いたこと、子どもながらに津波の映像を見てすごく衝撃を受けたこと、すぐに近くの公会堂に避難できるように1階の台所で母と隣り合わせで眠った夜のこと、中学1年生のときに亡くなってしまった祖父が、車に不安がる姉と私を乗せて、「じいちゃんが絶対守るからな」と強い眼差しで励ましてくれたこと。
停電で何も人工の明かりがないなか、星はきらきら輝いていたこと、全部全部覚えています。

人生の半分以上を「復興後」の景色を見て育ったので、震災の前の景色を時々恋しいと思います。
パズルのように散らばった断片的な記憶ですが、絶対に忘れずにこの日のことを伝えていきたいです。

今日も生命が誕生したり、天国へと向かう生命もあります。
震災を経験してからは、いのちのことを沢山考えるようにしています。
私の周りは奇跡的にみんな無事でしたが、
そうではない人ともこれまで沢山接してきました。
友人の中には、震災で身内を亡くした方もいます。

皆さんへ
今ある幸せを、大切にしてください。
今ある普段の日常を、大切にしてください。