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生徒が教えるSOL学校案内!

SOLに通い始めて10年になる自分が、いざ学校案内をしようとするとなかなかいい言葉が思いつかないのですが…まぁ一つ言えるとしたら、「ここの掲示板はなにを書き込んでも基本OK」ってことですかね。
今は岩に封印されている(笑)とーやまおじさんという人が校長だったころ、よく「この学校の掲示板にはなにを書き込んでもいい」と言っていたんです。
自分はそのころに生徒になったから今でもあの言葉を信じ続けているんですけど、どれだけ時が流れてもここの掲示板は自由な場所であると思います。
もちろん時の流れによっていつもいる生徒の入れ替わりが進んだり、掲示板の統廃合もあったり、最近ではTwitter(現X)の方が生徒がいるらしいみたいなこともあったりします。
それでも、SOLの中心はこの掲示板であり、掲示板があるからこそ逆電ができたり、生徒同士がネット上で交流したりできているんです。
だからとっても重要な存在なのです。

…と、長々説明してしまいましたが、要は「掲示板は最強だぜ!」という話でした。
あと学校掲示板以外にも各アーティストLOCKSの掲示板や「ポエム掲示板」という詩など文芸作品を投稿できるようなところもあります(そして自分はそこで長々小説を書いてる)。
規約である「桜田門の掟」を守ってさえいれば基本的になにを書き込んでもいいので、新校長も、よかったらアカウントを作ってたまに書き込んではいかがでしょうか〜?

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3.11

僕は震災の日は秋田県にいました。
当時は、一つ下の階の友達の家で遊んでいたところでした。
テレビはミヤネ屋を付けており、今時のガキンチョっぽくリビングらしきところにあったソファーをトランポリン代わりにして遊んでいた記憶があります。
断水はなかったものの、停電が起こったため水がタンクから蛇口までは電気がないと送られてこない仕組みであったことから僕の母親が地上の蛇口まで給水をしに行くために1Fから4Fまで何度も往復をしていたというお話を聞いたこともあります。
また、母親の実家が太平洋側に位置しており、地震も僕が住んでいた場所よりもとてもひどかったそうです。また、祖父がその都度くる余震に吐きそうになったという話をしてくれたことも覚えています。
自分がちょうど高校受験をするときにもがっつり地震がきたのですが、その時が自分が記憶している中で1番強かった覚えがあり、その後起こったちょろっとした地震が連鎖したことで、少し気分が悪くなりました。祖父が言っていたことは、まさにこの事なんだなとも思いましたし、改めて自身の脅威を知った瞬間でもあります。
そして昨年お世話になっているNPO法人で、宮城から福島の沿岸部にかけて震災関連の学習をしてきました。
実際に沿岸部の市や町を訪問してみて、過去に自分が新聞で見てきた光景よりを遥かに上回るほど街が発展しており、震災がなかったものではないかと思わせています。
このような出来事があったということは絶対に後世に伝えていかなければならないものだと僕は思いました。