今日の2時。テレビで当時の映像が流れた。
水。人間にとって一番大切で、一番危険だと思う。
2時46分。黙祷をした。涙が溢れてきた。
今まで、震災のことで泣いたことがなかった。どこかで他人事のようだったのかもしれない。
でも、当時の映像を見て、被害にあわれた方の気持ちを考えたら、何て言葉にしていいか分からない。生きたくても、生きることを奪われた人達がたくさんいる。
10年という時を経て、私は10年前のこの日を、ようやく理解できたのかもしれない。
私は福島が大好き。正直、地元よりずっと好き。人も町も景色も食べ物も、全部が魅力ばかりだ。
これからも、福島を、東北を、応援します。
2011年3月11日、僕は福島県内の保育園にいました。14:46分、カタカタと小さい揺れがきて「地震かな?」と思ったのもつかの間、急にズドーンと大きな揺れを感じました。まだ6歳とはいえ、恐怖を覚えました。揺れた時間が体感では10分くらいに感じました。
祖母が海から50mくらいのところに住んでいたので震災から1週間後に現地に行ったら家の基礎しかなくて震災が奪ったものの憤りの思いを持ちました。
祖母は津波からにげることができたので会えたときは嬉しさで頭と心がいっぱいでした。
今までの9年と364日間、つらい記憶だからといって忘れようとしましたが、10年目の今日、東北で生きている人としてこの体験は伝えなくてはと思いここにつたえました。
今年の2月13日に福島で大きい地震があったときに震災の記憶を思い出しましたが、10年前を乗り越えたのだからどうにかなるという風潮が日本中で起こったときには人と人のつながりの大切さを改めて感じさせられました。
復興にはまだまだ時間がかかりそうですが、さらに10年後の岩手、宮城、福島の3県が2011年3月11日の14時45分の頃のようになることを祈ります。
10年前。私は4歳だったから、とても鮮明に覚えてる訳ではありません。でも、あの瞬間、いろんな物が倒れてガタガタ震えたこと。寒くて、近所の人たちと集まってあったかくし合ったこと、避難所にいる多くの人。真夜中の余震が怖くて泣いたこと、スーパーやガソリンスタンドの長い長い行列。など、今よみがえってきたことが沢山あります。何度思い返しても、怖かったことは事実です。でも、私よりも辛く悲しい思いをされた方が同じ県にいると考えると、心が痛いです。被災した宮城県に住む身として、災害の怖さを伝えていかなければならないと思いました。
震災から10年たった。私の心の中は、ぽっかり穴が空いてる。私は、震災もたくさんの病気も経験してる。回りの景色も変わってしまった。忘れられない。私は、今、病気が悪化してる。
2011.3.11、あれからもう10年経った。
僕は道南(函館)に住んでる。
当時、僕は年少。その日はいつも通り幼稚園に行き、帰るところだった。
家の玄関に入った途端、ドアがカタカタとなり始めその後に大きな揺れが来た。僕はよく分からずにただ立ちすくんでいたが、親は急いでドアを開けてテレビをつけていた。
僕はあまりにも衝撃的な映像に驚いた。その記憶は未だに覚えている。
その後の津波による被害はほとんどなかった。
まさか東北地方であんなに大きな被害が起きていたなんて考えてなかった。
あれから10年経った今、自分たちより前の年齢の人達であの出来事を覚えている人は少ないと思うし、僕と同じ年齢層でもあまりいないと思う。でも決して風化させてはいけない記憶であるのは確かなこと。忘れたくても忘れてはいけない。
このことを教訓に今後も防災に関することを考えていきたい。そしてこの事を未来に繋げていきたい。
今日はお休みします。
楽しい事を楽しく伝えられるそんな日じゃないので。
そして、2日間お休みしたことを謝ります。
寝てたり、色々と用事があって中々来れなくてごめんなさい。
また、明日は、活動します。
今日は、寂しいく、悲しい現実と向き合いたいと思います。
祝!200回!
今回のアンケート内容は「東日本大震災について」です!
実際被災しました→いいねスタンプ
揺れは感じました→キュンキュンスタンプ
被災せず、揺れも感じてなく、当時地震をメディアで知りました→ファイトスタンプ
なにも覚えていません→おつかれスタンプ
生まれてません→うんうんスタンプ
3月11日のこと、覚えてる。忘れられない。津波と震災が怖い。私も震災を経験してる。あの日のことを思い出して泣きそうです。
2011年3月11日。
私は小学校1年生でした。
いつも通り掃除をしていたときのこと。
突然、経験したことのない揺れに襲われました。
電気も消え、最初は何が起こったのかまったく
分かりませんでした。
校庭に避難し、母親に引き取られて下校しました。
家の中は、無惨な姿に変わっていました。
近くの避難所からクラッカーをもらい、私と母は
一夜を過ごしました。
父は、福島で仕事をしていました。
1週間帰ってきませんでした。
ようやく帰ってきたとき、それは今までに見たことない
くらい疲れきった姿でした。
伸びきった髭が、それを物語っていました。
電気が止まっていたこともあり、また、私が住んでいた
のが都市部だったこともあり、津波の映像を見たのは
発生から約1週間後でした。
こんなに黒い海を、私は見たことがありませんでした。
たった数分で、街が1つ2つと消えていく。
当時の私の頭では、まだその事の重大さを理解出来て
いませんでした。
あの日から、今日で10年。
私は今、何不自由なく生活出来ていると思います。
でも、あの日のことを忘れたことは1秒たりとも
ありません。
私たちが1番すべきこと。
それは、東日本大震災を忘れないことだと私は
思います。
みんなの心の中に、花が咲いていますように。