「お待たせしました。キリマンジャロコーヒーです」
「おお、いつも悪いね」
「いえ、とんでもない」
いつものように常連客と言葉を交わして、ぼくはさっきまでいたカウンターに戻った。
ちょうど、火にかけているティーポットが鳴いている。
そろそろ頃合いかな、とぼくはポットの蓋を開けた。
「…おや、また頼まれたのかい」
この喫茶店の主であるマスターが、カウンターに肘をつきながら尋ねる。
「ええ、いい茶葉が手に入ったから頼む、と… 自分でできるのだから、自分でやればいいのに」
「ハハハ、彼らしい。でも彼としては皆と雑談しながら紅茶を嗜みたいのだろう? なら、応えてやってくれ」
「はいはい、マスター」
ぼくはそう返してから、銀色のお盆にティーポットとカップを載せ、カウンターの奥へと向かった。
店内から見えないところにある急な階段を、ポットをひっくり返さないように上っていく。
一段一段上っていくうちに、2階にいる者たちの話声が聞こえてきた。
ぼくはその声に負けないように、面倒だけど階段を上り切った時に声を上げた。
「はいは~い、紅茶持ってきたよ~」
「あ、来た」
「遅いよ、カシミールぅ」
下で接客してたから仕方ないでしょ、と言いながら、ぼくは紅茶を頼んだ張本人の前にポットとカップを置いた。
「えーと、ローズ…何だっけ?」
「ローズスィーテ。別に覚えなくてもいい、そもそもお前は覚えられないだろう?」
紅茶を頼んだ黒服の人物は、ぼくに向かって嫌味っぽいことを言う。
「カシミールは匂いでそういうの見分けるからね~ ところでナハツェ、ホットじゃ熱くない? 今は夏だし」
ナハツェ、と呼ばれた黒服の人物の隣にいる、細い角が額に生えた鬼のような人物が、にこにこと笑いながら尋ねる。
水色プラスチックの中
赤と黒 ひらひらおよぐ
訪れるにんげんはすくっていく
掬っていく
救っていく
巣食っていく
お祭りの定番、みじかいいのち
「…何がいた?」
ネロも気になっているのか、耀平の陰から顔を出す。
「クッ、まぁ言ったらつまらなくなるんだがな…」
師郎は何か意味ありげに笑いながらネロの方を向く。
「でもどうするかな~、とっ捕まえるのもアレだし…てかネロ、お前なら誰だか気付いてるだろ」
ニヤリと笑う彼の目は、見たことはないけどどこか悪賢い狼のようだった。
「…なんとなく」
そうポツッと呟くネロを見て、師郎はククッと笑って元の方向を向いた。
「…じゃ、ちょっと捕まえてきますか」
「…え、どういうこと?」
話の意味が分からなくて、わたしは少し戸惑った。”捕まえる”、って…
「あーおれ何か分かったかも」
「え、分かるの?」
耀平は師郎が言ってることが分かるのか、クスっと笑う。
「でもそれでいいのかよ?」
「ま、責任は俺が取るんで」
師郎はそう言って、路地の角の方へちょっと駆け出した。
「…オレも行く」
そう言って黎も立ち上がった。
息苦しくなって
夜の街へ飛び出した
纏わりつく熱気が
やけにしつこくて
無意識のうちに
胸ポケットの中、煙草に手をつける
そっと口元に近づけた
ライターの火
何故だか美しくて、綺麗で
汚れきった私の心は
久々に「涙」を思い出した
真っ暗になった空を見上げて
小さくため息を吐いた
視線の先の君とあいつ
傾けた缶のコーラは口から零れて
ぐっしょりと濡れた口元を拭う気にもなれず
背を向けた
下駄の鼻緒が切れるように
あの二人が離れればいいと
小さく流れた星に願った僕は
君に好かれるはずもないんだ
人混みの中では
僕も「その他大勢」のうちの一人
流れに揺られて
まるで陸の川のようなこの街路は
焼きそばを焼くにはあまりに
お目当ての屋台を探すにはあまりに
君を見つけるにはあまりに
不向きだった
君が買いに来てくれないかと
やっぱり屋台の手伝いをするんだ
虹色に輝く水面
色鮮やかな声が聴こえる
あの貝殻のように
時の流れに
身を任せて生きたい
人ごみの隙間から見える花火は
くすんでいるけれど
君の目に映ってきらめきは
美しいと思えたよ
所変わって、ここはある人物の私室である。もちろん物語には初出だ。ベッドに少女が一人、寝そべって本を読んでいた。日本人にも拘らず、髪はプラチナブロンド、目は赤みを帯びていて、肌は陶磁器のように白い。先天性白皮症、所謂アルビノというやつだ。
と、そこに、窓から別の少女が侵入してきた。
「ヘイヘイヘーイ、ハローアリスちゃん」
窓から入ってきた方が部屋で本を読んでいた方に呼びかける。
「その呼び方やめてって言ってるじゃないのつーさん。僕、これでも一応立派な男よ?」
呼びかけられた方がベッドに座り直して言い返す。ていうかごめん、男だったの?じゃあ少年だな。ほんとごめんね、雰囲気が男っぽくなかったからさ。
「ここで『これでも一応』とかつけるあたり立派な男じゃないよ」
つーさん、と呼ばれた少女が言い返す。
「大体アリスちゃんは男のくせに名前も外見も可愛らしすぎるのだよ。髪だって伸ばしてるしさ。身長いくつだっけ?120?130だった?」
「140は超えてるよ!」
「私152−。うふふ、勝った」
「つーさんこそ背が高すぎるんじゃない?」
「そうかな?普通だよ?それに呼び方についてなら私にも文句があるよ。君はいつもいつも私のことを『つーさん』と渾名でしか読んでくれない。普段から『つくば』と呼び捨てにしてくれと言ってるでしょう?」
ちょっと待って。つくば?今そう言った?キラキラネーム過ぎん?
「いや、何かもうつーさんで定着してると言いますか、何といいますか……」
「ええいうだうだと!私が下の名前で呼び捨てにするのを許してるのなんて君くらいなのだよ!友達にだって許してないのだから!このヘタレ!甲斐性無し!アルティメットチキン!」
それは別の人だ。止めてあげなさい。というかそろそろ本題に入れ。
「ああそうそう、で、本題なんだけど」
「うん、何?」
「ちょっと目を瞑って!」
「え、何でさ、怖い」
「まあ良いから良いから」
「わ、分かった」
アリスと呼ばれていた少年が目を閉じると、つーさんなる少女は彼に近寄り、耳元で囁いた。