近付いてくる足音に、目を覚ました。
兵隊が履いている重くて上質な軍靴のそれじゃない。科学者の革靴を引きずるようなくたびれたそれでもない。スーツ姿のDEM上層部の偉そうなそれでもない。
ぺたぺたと無警戒に鳴るそれは、例えるなら子どもが素足で歩き回るような……。
音はもう1種類。ごり、ごり、とコンクリートがむき出しになった施設の廊下を、何か硬くて重い金属塊でも引きずるような……。
ふと、一つの可能性に思い至り、足元を見る。
私の両脚の枷に鎖で繋がれた、鉄球の重り。もしかして、私と同じようにここに閉じ込められているモンストルムの子?
「……いや、あり得ないか」
そう呟き、首を横に振って希望めいた考えを打ち消す。その理由は、両手を戒め壁に固定している手枷にあった。両手両足を拘束されて、おまけに首にも鉄球付きの枷がはめられていて、独房には監視カメラと遠隔機銃があるから、脱走なんて考えたところでちょっとでもおかしな動きをしたらアウトだ。
足音が、私の独房の前で止まった。
「ここ、誰の部屋だ?」
「ベヒモス」
「へぇ。強いのか?」
「閉じ込めざるを得ない程度にはね」
分厚い金属扉1枚隔てた向こうで、男の子と女の子が話している声が聞こえる。今さっき否定したはずの希望が、再び頭の中に大きく広がっていく。
「っ、たすけて!」
殆ど無意識のうちに、掠れた声を振り絞って外の2人に助けを求めていた。馬鹿なことをした。撃たれてもおかしくないのに。
「……りょーかい。動くなよ?」
扉の向こうの男の子の声が答えた。直後、扉に放射状の亀裂が入り、砕け散った。
4人が怪物態に変化してからは、戦況は完全に一方的な蹂躙と言えた。ティンダロスの高速の突進に触れた傍から、インバーダたちは腐ったように崩壊していき、動くこともできないほど腐り落ちた残骸を、ビヤーキーとナイトゴーントが轢き潰すように仕留めていく。3体の怪物の突進から逃れた、あるいは致命傷を避けたインバーダも、遅れてついて来るディープワンが三叉槍で1体1体、確実に急所を貫き片付けていく。
4体の化け物は勢いが衰えることも無く只管驀進を続け、東の空が僅かに明らんできた頃、インバーダは数体の小さな個体を残して殆ど全滅していた。
「そろそろ人間どもの時間だな」
残っていたインバーダのうち1体を大鎌で殴り潰しながら、ナイトゴーントが言った。
「ギリギリ間に合ったって感じだね。流石だよみんな」
人型に戻りながら、ディープワンが反応する。
「それじゃ、誰かに見られる前にさっさと帰るか。ほらみんな、私の背中に乗って」
人型に戻ったビヤーキーに言われ、ディープワンとナイトゴーントはすぐにそれに応じた。
最後まで残っていたインバーダを全て蹴散らした後、ティンダロスも遅れてビヤーキーの背中に飛び乗り、4人が飛び立ったのは、日光が戦場跡に届いたのとほぼ同時だった。
「まーたまにはいいじゃんかー」
中々屋外へ出ないどっかの誰かさんにとっては気分転換になるんじゃね?と赤髪に帽子のコドモがナツィ達に近づきながら笑う。
「なんだよソレ」
俺に文句かよ、とナツィは顔をしかめる。
「お前のこととは一言も言ってませーん」
赤髪のコドモ…露夏は視線を逸らしながら言う。
「…」
ナツィは呆れたように隣に座るかすみに寄りかかった。
するとここで少し離れた所からコドモの声が飛んできた。
「ねー露夏ちゃーん!」
こっち来て〜と露夏に雰囲気の似た、パーカーのフードを被った小柄なコドモが飛び跳ねる。
その傍には青髪のコドモも立っている。
「おー、今行く〜」
露夏はそう言いながら2人に近付いていった。
「どうしたー”夏緒(かお)“ー」
露夏がそう呼ぶと、”夏緒“はたたたと露夏に駆け寄る。
「見て!」
たんぽぽの綿毛!と夏緒は露夏に手に握った白い綿毛を見せた。
4岐路
スクールバスが落ちた谷底には、川が流れていた。
俺はその川に流されて、北方の集落に行き着いた。
そこで、とある老人に助けてもらった。
その老人は、今俺がいるのが戦闘民族の集落である事、国では死んだ者として扱われており、戻る事はできないし戻らない方が善い事を教えてくれた。
数日間看病してもらい、四日目に部族長に呼び出された。
「お前には、今二つの道がある。此処を出て、近くの村でただの農民として生きるか。それとも、此処に留まり、我々の仲間になり生きるか。どちらか選ぶといい。前者を選んだ場合は、近くの関所まで送ってやろう。日没迄に決めて、夕方また此処へ来い。」
俺は後者を選んだ。
あの看病をしてくれた老人の元で一緒に暮らす事になり、その老人から戦闘について教わった。
店内で量り売りのお菓子を眺めていた短髪のコドモはそう冷やかす。
「…何もないし」
「何かあるってば〜」
短髪のコドモがからかうと、ゲーリュオーンは黙り込んでしまった。
「…まぁまぁ、イフリートもワイバーンも、ゲーリュオーンをあんまりからかわないの」
困ってるでしょう?と二つ結びの少女の傍に立つ青緑色のパーカーを着た長髪のコドモが2人をなだめる。
「ちえー」
「はいはい」
イフリートと呼ばれた金髪のコドモとワイバーンと呼ばれた短髪のコドモはそれぞれそう答える。
「大丈夫?」
ゲーリュオーン、と長髪のコドモはゲーリュオーンに尋ねる。
しかしゲーリュオーンは別にとしか答えなかった。
「お前に心配される筋合いはない」
ゲーリュオーンはそう呟いて店の奥へ行ってしまった。
「…」
長髪のコドモは心配そうに沈黙するが、すぐに二つ結びのコドモにデルピュネー?と声をかけられた。
「なぁにビィ」
デルピュネーと呼ばれたコドモはビィと呼んだコドモの方を向いた。
「どうしてゲーリュオーンのこと心配するの?」
あんなにビィたちのこと突き放すのに、とビィは続ける。
「早う寝たらええのに」
とても長い耳を結んだ姿の、抹茶色をした兎の妖精が身体を伸ばしながら呆れたように言った。
「あれっ?土曜日!日付変わっちゃったのか」
「もう深夜やわぁ?休日やさかいっていつまでも起きてんとちがうで」
「はぁい…というかさ、木曜日と土曜日って色合い逆のイメージなんだけど」
「急になんの話してんねん」
「いやぁ、気になって」
木曜日は栗色、土曜日が抹茶色なのが気になってるんだよね、と付け加えて桃はスマホの電源を落とした。
「うちとあの子ぉで色交換したの」
「へぇ……ん?交換できるの?」
「妖精やさかいね」
「妖精って言葉便利だなぁ…」
「はいはいおやすみ」
「おやすみー」
放課後、部室として使っている3年A組の教室に入ると、既にそのクラスの人は全員いなくなっていて、代わりに部長が机に座ってスマホをいじりながら、紙パックのカフェオレを飲んでいた。
「こんにちは、部長。先生は?」
「何か用事でしばらく遅れるんだってよ」
「そうですか」
適当な机を借りて荷物を置き、椅子に腰かける。
部長はこちらに目もくれず、スマホを触るのに夢中になっている。ゲームでもしているんだろうか。
それより、先生がしばらく来ないというのなら、都合が良い。仕掛けるなら、今しか無い。
「部長」
「なに?」
「これはクラスの子から聞いた噂話なんですが」
「うん」
部長がこちらに顔を向ける。
「部長が人間じゃないって本当ですか?」
部長の動きが止まった。ゆっくりと机から下り、手近な椅子に腰かけ、姿勢を正してこちらに向き直った。
「その質問に正確に答えるためには、ちょっと言葉の意味をきちんと擦り合わせておかないとだね。そうだな、何をもって人間とすべきか……たとえば人権があることを人間の定義とした場合、天皇さまは人間じゃないことになる。ならば生物学的特徴を条件とすべきか。そうだな、たとえば人間の肉体を完全に模倣して現世に降臨した神が存在したと仮定しよう。彼は人間か? ……まあ、これも議論の余地はあるんだろうけど」
部長はまるで、何かをはぐらかそうとしているかのように長々と話している。
「……まあ、うん。そうだね、何と言ったものか……。……いやまあ、従うルールによっては人間だと言い張っても良いんだけど…………あぁー……うん。私は人間じゃあないよ」
噂は本当だったようだ。
結界もあらかた置き終わり、いざ戦闘...と思ったが、彼女は手を出さない。
「あれ、マスター、戦闘...じゃないんですか?」
「君ねぇ、さっき数時間で治るって言っただろう?わざわざ手を出す必要はな
彼女の言葉は途中で遮られた。
目の前のクリアウルフ2体が真っ二つになった。
彼女もバランスを崩す。
見ると。
彼女の左足が消えていた。
「...っ!」
「マ、マスター...?!」
残りの数体も、無残にも切り刻まれ、後にはウルフ数体分の肉片が残った。
「あぁっ!もう!痛いなぁ!一寸、調子乗ってない?!」
「マスター!大丈夫ですか⁉︎」
「うん。あ、足取って。」
座ったまま平然と指示を出す彼女。
「うーんと、50、いいや、30秒止めておいて。」
「30秒?」
「うん。その間に治しちゃうから。」
「⁉︎」
ミズチの雄姿を見届け、サラマンダーはラムトンとククルカンの下に引き返した。
「くーちゃん、ラムちゃんの様子はどう?」
「ん、サラちゃん隊長。ぜんぜんだめー。あのビームでちょっと蒸発してる」
「そっかー。じゃあみーちゃんが戻ってくるまで待とうか」
「んー。……ねえラムちゃん、土に還る気無い?」
「無い」
駄弁る3人の背後で、倒れていたインバーダが突然爆散した。
思わず3人が振り返ると、燃えるインバーダの残骸から、ミズチがほくほく顔で這い上がってきた。その両手には何かを抱えている。
「はいタイマーストップ」
そう言いながら首にかけたストップウォッチのボタンを押し、画面を確認する。
「3分18秒……30m未満級だとまだ遅いなー。最初っから“怪物態”で行けばよかったかなー」
頭を掻き、抱えていたものを地面に置いた。
「今回は可食部がちょっと少なかったけど、頑張って削ぎ落としたよー。軽く味見した感じ、思ったより甘くて柔らかくて生でも美味しかったから、雑に炙ってたたきにしました。さあ食えラムちゃん」
言いながら、インバーダの外皮を加工した皿に乗った肉片の一つをラムトンの口に押し付ける。
「どうよ?」
「…………」
「美味しい?」
「…………」
「おーい?」
「…………、咀嚼中に声を掛けるな馬鹿」
「あー……それもそっか。で、どうだった?」
「もっとあっさりした味付けを所望」
「オーケー。次は調味料も色々持ってこよう」
戦場跡に、武装車両の駆動音が近付いてくる。
「お、後始末の軍隊が来たな。そろそろ撤退だ。ラムちゃんの身体はくっついた?」
サラマンダーに尋ねられ、ラムトンは自分の身体を見下ろしてから首を横に振った。
「いや、動かせるレベルでは付いてない。表面だけなら繋がった」
「分かった。くーちゃん、お願いできる?」
「まかせろー!」
ククルカンが地面を軽く叩くと、4人のいた場所が僅かに持ち上がり、彼らを乗せてスライドするようにその場を離れた。