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現役生徒に戻ったみたいなう

何年ぶりかのように、掲示板を数分おきに見に来たりいろいろ校内をみています。


10年前の今日から3日後の3月14日に、

SOL!が再開しました。

ラジオも携帯も。そう、当時はスマホじゃなくて、携帯電話でした。

必死にみんながつながろうとしてて、

どう声をかけていいのか迷って、


大人生徒ちゃんたちがほんとうにいろんなところでメッセージくれていたりして。


それでも最初のやしろ教頭の「待たせたなっ!」

に安心したのと待ちわびてたのともういろんな感情があって


放送最後のことばも、ほんとうに心に在るし。

二人と、この場所、他の職員、生徒たち、講師の先生たち

言い出せばきりがない。

ラジオとは。緊急時とは。大人とは。心とは。

生きるとは。

結構当時はドライバーさんたちの話を、書き込みとか逆電で聴いたりして

道のありがたさとか、運転手さんのありがたさとか

今まででのライフライン、水、食料、電気、ガス以外の物事に意識が向いたのをよく覚えています。


ラジオは耳が聴こえる人にとっては、ありがたいツールかも知れない。

ツイッターは目が見える人にとっては、ありがたいツールかも知れない。

それでも、決していいことばかりでは無い。

極限状態に陥った時は特に。


過剰な情報提供はかえって不安だったり迷惑だったり、過剰な心配もあったり。

中越地震の時に手話サークル関係で被災者の方にに情報提供などをするお手伝いをしていて、

当事者の方に指摘されたことを機に、3.11ではそういうことをしませんでした。

文字も音声も図も映像も。はたまた他の手段も

需要はあるのだから、その時によって、違う伝達方法はあるのではなかろうか。

そんなことも、意識できるようになりました。

電池残量も心配してたよね。

この辺って実は

結構葛藤しちゃうんだよなあ。





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わたしの10年。

とーやま校長が就任してから1年経つ前のできごとでした。

当時必死に、この掲示板教室で、そう、まさにクラスメートの安否を確認していました。

繋がりづらかったけど、職員さんがほんとうに掲示板動かしてくれていて、


いろんな、ほんとうにいろんなおもいで溢れかえっていたこの学校。

忘れもしない。

今も安否のわからないここの生徒も居ます。


でもここに書いたら、何処かで繋がるかも知れません。

そんな気持ちで、此処のOBとして、書き込みにきました。


わたしは今、一旦離れた福祉職の、障害者雇用枠という雇用形態で裏方のお仕事をしています。

しかし現場は福祉施設ではありません。とある種類の病院です。

先日職場では防災訓練が行われました。

わたしは勤務時間の関係で参加できませんでしたが、できれば参加したかったです。

此処のいろんな、郊外授業に、いろんな理由で行けなかったわたしは、2015年の8月にようやく未確認フェスティバルに参加することができました。

職員のみなさんにも、此処の生徒ちゃんたちにも
会うことが叶いました。いつもレスをもらっていたひとたちです。

その時、誰と会えるか。それはもう、その時しか有り得ません。

此処に来たばかりの24歳の頃はものすごく何に対しても怯えていて、臆病で卑屈でした。

わたしは20歳になる前の年に生死を一度彷徨い、20歳になってからしばらくして、中越地震を体験しました。

絶望になった10代最後からしばらく、いろんな葛藤もありましたが、わたしは今を生きることができていて、それはとてもありがたいな、と

思えるようになってきています。

いろんなことがほんとうにほんとうにある中で

じぶんで考え、時にはだれかに聴いてもらい、

そこからどうにかこうにかじぶんの考えが定まっていくことができることを、願ってやみません。

10代のみなさん、10代になる前のみなさん、
10代以降のみなさん。

年を重ねる事は、必ずしも悪いことばかりではない。にんげんは、ひとりのようでひとりじゃないし、ひとりじゃないようで、ひとりだと私は思います。

みなさんのラジオネーム、たいせつにしてみてください。