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虐待

ずっと、暴力を振るわれることだけが虐待だと思っていて、でも、心理学に興味を持ってそこから派生してあれこれ調べていた時に虐待は暴力を振るわれることだけじゃなくて、心理面でも虐待があるのだと知りました。そしたら、自分にも思い当たる節があって。今も止んだわけじゃないし時々あるけれど、幼稚園から小学生の時が1番酷くて、でも、その時はまだ分からないことが多かったこともあり、みんなどこの家も、「うちの子じゃない」「出て行け」「産まなきゃよかった」みたいなことを言われたり、外からじゃ開けられない鍵をかけられて締め出されたりしているのかと思っていたから普通だと思っていました。
今あまりないのは、私の方が年齢的にも、スポーツをやっていることもあって全然力があるから手は出さなくなっているのかなと、、言葉はたまにあるけれど。それが怖くて親の顔色伺っているのもそろそろ疲れたよ…
かけられた言葉は今でもふとした瞬間に蘇るし、泣きながらご飯を食べていた時のこととか、問題集投げられてそれが目に当たったこととか、幼稚園に行かせてもらえなかった時のこととか思い出します。全部をそのせいにはしたくないけれど、その言葉たちがあるから、「自分なんか生まれて来なきゃよかった」とか「早く死にたい」とか今でも思うし、やっぱり辛いです。だんだんその状況にも慣れてきてしまったんですが、、、
身体的虐待の方が痛みを感じるし、よっぽど辛いと思うと目に見えない方で虐待というのもわたしには重さが違いすぎる気がして気が引けて…
虐待は、受けている時も辛いけれど、その後もフラッシュバックとかPTSDとか色々あって同じくらいつらいと思う。。。
長文ごめんなさい

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明日が来るのが怖い

私は生まれつきの病気があり、その事が関係して、母が妊娠をしている時からいつどうなってもおかしくないという期間が何年かありました。
そのため、母も父も気が気じゃなかったと思いますし、私も園児の頃から「明日はどうなるんだろう」と考えながら生きていました。
病気の症状がでて入院した時には、痛くて苦しい中で「明日なんか来なきゃいいのに…」とか「明日は来るの?」「明日が怖い」と何度も何度も思いました。
病気のことや身体が小さいことでいじめみたいなものにも遭いました。その時も何度も「明日が怖い」と思いました。一時期は人が嫌いで会いたくないし見たくもないとも思いました。
今では少しずつですが前を向くことが出来ています。ここまで来るのには、ここに登校することで得たものや、音楽を聴くことで救われたことが強く関係しています。
校長教頭や職員の皆さん、生徒の皆さんには伝えきれないほどの感謝の気持ちばかりです。本当にありがとうございます。
そして、私はTakaさんからも沢山前に進む力を貰いました。
Takaさんの言葉一つ一つ、音楽一つ一つに救われてきました。特に私はWe areの
Stand up tall and say
I'm not afraid, I'm not afraid
という歌詞とキミシダイ列車の
「もういいや、このまま死んだって」…って思うほどバカに生きてるからという歌詞が大好きです。
この言葉を胸に前へ進めた自分がいます。
素敵な曲をありがとうございます。

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SOL同窓会

私がSOLを聴き始めたのは、4年前の4月1日でした。
その日自損事故で大けがをして、しばらく安静にするよう言われ、友達と遊びに行く約束も全部なくなって、傷も痛いし…っていう、その境遇がかなりきつかったのを、今でもしっかり覚えています。
そんな気持ちで眠れなくて、午後10時頃、なんとなく家のラジオを引っ張り出してきて、適当にチャンネルをいじっていたらこの学校に出会いました。
いきなり初めて登校したけれど、校長と教頭(当時はよしだ教頭でしたね)はあたたかく私のことを歓迎してくれたように感じます。
以来、中学卒業までは毎日登校していました。
高校生になってからは、生活リズムの関係でどうしても登校できなくなってしまいましたが、こんなふうに掲示板に書き込んだり、たまに登校したりしています。

SOLに出会って、私はひとりじゃない、と感じるようになりました。
夢に向かってがんばる生徒、悩みを解決しようとしている生徒…いろんながんばりをしている生徒がこの学校にはいます。生徒のみんなのがんばりを掲示板や授業で知って、私もがんばろう、と走り出すことができます。

まとめると、SOLは、ずっと続いてほしい、私の自慢の学校です。
これからもよろしくお願いします。

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「またね」がこないかもしれないから

連休中里帰りしていた母がさっき帰ってきた。
なぜこの時期に帰ったかというと、曾祖母(母方の祖母)の病気が再発して入院してたんだけど、それが悪化したから見に行ったらしい。
帰ってきて早々、どうだったのか聞いてみたら「もうそろっと」らしい。
この経験は今まで生きてきた人生でまだ1回しかないから、向き合うのがちょっと怖い。
曾祖母にはここ数年会えていない。というか、母方の親戚自体に会えていない。だからずっと「会いたい会いたい」と言い続けていて、思い続けていた。だからこそ、今回のことはとても怖くて。
看護師目指してるのにこんなので怖がってたらダメだといわれそうだけど、ずっと大好きで大切で会いたかった人のことだから誰にどう言われようと怖いものは怖い。
何年か前の「またね」が叶わないかもしれない。また今度でいいやと1度でも思ってしまった自分に嫌気がさす。「また今度」なんて根拠の無い言葉…なんで思ってしまったんだろう。
こうなることは昔から分かってたはずなのに…会えるうちに会わなきゃいけないって分かってたはずなのに…本当は今すぐにでも行きたい。でもそれが難しいってことくらいわかってるから。
元気なうちにもっともっと会いたかったな…
ダメな曾孫でごめんなさい。ばあちゃん。

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父と母親

母も父の自己中心的な性格には呆れていて、よく私に愚痴を漏らす。
私も母親代わりをするようになってから、母の気持ちが分かってきた。
家事全般は母親がやるものだと思って何もしない。だから、母がいない時は何もしてくれない。してくれる時もあるけど、それは気分でご飯の時だけ。洗濯や掃除、お風呂まではしてくれない。
私が母親代わりをするのが普通だと思っているから、私が入りたくて沸かしたお風呂に1番早く入るし、私が洗濯をしてくれると分かってるから、脱いだまま放っておくし。洗い物もそのままで。私が母親代わりをする日は、私が家事をしてるのを見ながら「おやすみ」って寝室に行く。兄もそれに似て、今は一人暮らししてるけど忙しさにかまけて家事をしてないことがわかってる。妹も次女だからって親がやらせなかったから気分が合う時以外はやらない。今ではもうそれが日常化したからいいんだけど、前はムカついて自分のものだけ洗い物もご飯もして、放って置いたこともある。以前母にそれを話したとき、「それでいい」って言われたけど、任されてる身だし、帰ってきたらそれを愚痴も零せずやるのは母だったから、それは私が嫌でちゃんとやるようになった。うちの父は遺伝子を分けてくれた育ての親っていうレッテルを貼った子どもみたいな感じ。
ここが嫌なんだっていうといじけるし拗ねる。本当に子どもみたい。
これが私が歯切れの悪かった理由です。長くなってすみません。