表示件数
0
0

月の涙 17

「――でも最終的に妹に泣きつかれちゃって。まあ私も月涙花の本物に興味がないわけではなかったので、私が折れて一緒に見に行くことになったんです」
「へっへっ。ずいぶん省エネな姉ちゃんだな」
「そうですか? 私だって本を読むのに忙しいんですよ」
「腕っこ細ぇし」
「妹とそう大して変わりなくありません?」

「でも時間にはちゃんと気ぃつけぇよ」
笑顔だった魔女が顔を引き締めて忠告してくる。
「あの花は彗星にもたとえられる。なんでだか分るか?」
たしかいつかの本で読んだことがある。月涙花は見る時間を少しでも誤ると見ごろどころか花弁の一枚さえ見られなくなってしまう。次にみられるのは一年後。こうした背景から月涙花を彗星に例えることがあるそうだ。
「毎年多くの観光客が足を運ぶが、不運なことに見られなった客だって数多くいる。そのうちの一人になりたくなきゃ、時間には普段の100倍厳しくなきゃいかん」
「……そんなにしないと駄目なんですか?」
「……さすがに100倍は誇張だよ。でも甘く見とったらいけんからな。あれには見るものを拒む魔力がある。時間に甘いやつは特に、だ」
花が魔力を持っているというのはファンタジーな感じがしたが、魔女が言うとすごく”それっぽく”感じた。
魔女は眉間に寄せていた皴を解くと、今度は優しい声音で呟いた。
「あたしも何十年も前に見に行ってな。そん時ゃぎりぎりで間に合って何とかこの目に収められたんだよ。一面の月涙花がな、月夜の下に輝いとって、それはもう壮観だった。次の瞬間逝っちまっても満足なくらい……」
魔女が一瞬だけ、昔を懐かしむように遠くを眺めた。その目の輝きを見て、私は何となく魔女が恋人と一緒だったのだろうなと考えた。恋人を目の前にして死んでも満足って、それは言いすぎな気もしたがそうでない気もした。
「……だからまあ、妹の願いくらい姉ちゃんが叶えてあげぇや。自慢の可愛い妹なんだろ?」

0

月の涙 16

 老婆は私が欲しい本をすぐに見つけ出した。これだけの本が雑多に散らばっている中ですぐには見つからないだろうと高をくくっていたものだから、「ほぅれ。こいつか?」と言われてまさにその本を差し出された時には再三驚いた。差し出す姿が超かっこよかった。私は敬意を込めて彼女のことを「寂れ本屋の魔女」と呼ぶことに決めた。
 寂れ本屋の魔女はカウンターに戻る途中、私にいくつかのことを話した。
 ――最近はなぁ、この店にも若ぇモンが来なくなって寂しかったから、お嬢ちゃんが見えたときにゃ思わず声かけちまったよ。久しぶりに若いお客さんだった。ここに来るやつぁ大抵年いったおじいちゃんばっかだから、お嬢ちゃんみたいなのが来たのが嬉しくってさ。……この店もじきに閉めることになってんだ。アタシも年だからな……。何も哀しい話じゃねぇさ。そんな顔しないでくれ。あとぁのんびりと暮らすさ……。
 この店は、何年続いたのだろうか。私は想いを馳せながら目の前を行く寂れ本屋の魔女に黙々とついていった。

 文庫本サイズで720円だった。私は財布の中からきっかりその金額分の硬貨を出すと、寂れ本屋の魔女の掌に差し出した。寂れ本屋の魔女の手は大きくて暖かかった。
「これからこいつを見に行くのかい?」
魔女は文庫本の表紙を指さして問いかけてきた。そこには黒の背景によく映える、冴え冴えとした青の可憐な花――月涙花が見事に描かれていた。『月の涙 著 佐崎重宜』。
「ええ。実は私、小さい妹がいるんですけれど。……あそこでお兄さんと一緒に本を眺めている女の子です。それで私の妹が突然これを見たいと言い出しまして」
「へえ。可愛い嬢ちゃんだなや」
「私の自慢の妹ですから。……本当は私、最初はやる気じゃなかったんですよ。正直言って面倒ですし。写真とか今じゃ世界中で見れますし。――」

0

月の涙 15

 低く、嗄れた声だった。突然かかってきた声に思わず体をびくんと震わせながら、先ほどの声の主を探す。しかししばらく見渡してみるがどこにもいない。あるのはただ崩れそうな本がうず高く積まれているばかり――。
「ここだよ。……なんだい、若ぇのに眼が悪ィのかいな」
 少々口の悪い声が飛び出してきた方を見遣ると、本と本の隙間に隠れるように一人の老婦人が座っていた。
「すっ、すみません!急に驚いたりなんかしちゃって」
「気にすんな。声掛けたのぁこっちの方だ。謝られる筋合いなんかねぇよ」
顔に幾本もの皴が引かれたこの老婆は、一体何歳くらいなのだろうか。少なくと八十歳は超えているだろうが、みれば元気ににやり、と笑ってみせた。
「今お前さんがいるのはカウンターだ。……望みの本は見つかったのかい?」
え、と思い改めてみてみると、確かに机のようなものが存在し、そこには「カウンター」と歪な文字で書かれてあった。なるほどここはカウンターらしい。
「……いえ。まだ、ですけど……」
「なんだい、歯切れの悪い姉ちゃんだなや」
再び謝りたい気持ちを我慢していると、老婆はかかと笑っておもむろに立ち上がり、少し歩いてこちらを振り返った。
「ほれ。案内してやっから、あんたが欲しい本教えろ」

0

月の涙 14

 その本屋は唐突に現れた。
 地図アプリ片手にここらへんかな、と少し周りを見渡してみたら、目の前にその本屋があった。突然現れたように感じたが、それは周りの寂れた街並みと完全に同化してたからであり、つまりは店舗が古めかしかった。この店やってるのかな、こんなところに目当ての本なんてあるのかなと思いながらも、「OPEN」の札はかかっているし私が欲しい本はまあまあ昔の本なので、一筋の希望は捨てないままに恐る恐るその店の扉を開いた。
「こんにちは~……」
 薄暗い店内から返ってくる声はない。意を決して、今度は一歩ずつ踏み出す。後ろから妹と圭一さんが入ってくる心強さを胸に借りながら、私はそのままどんどん奥へと入っていった。
 店内が薄暗いと思ったのは外が明るかったからで、目が慣れればある程度の明かりは確保されているようだった。かび臭い本のにおいがする。入り口から店舗の大きさは小さいと判断していたが、予想に反してかなりの奥行きがあった。もしかしたら本の数は私の町のちょっとした本屋より上回るかもしれない。明かりがともっているとはいえやはりどこか薄暗い店内は、まるで迷路のような構造になっていた。
「うわぁ……。なんだか不気味だよう」
 妹が後ろでお化けでも探すような目つきで店内をぐるぐる見渡している。圭一さんはそんな妹を、児童書が置かれてあるコーナーに連れていってくれたようだ。私は安心して一人で迷路へと踏み込む。
 私が例の本を探しながらさくさく歩を進めていると、突然知らない声が掛かった。
「……ちょっと、そこのお嬢さん――」