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お題企画第一弾『靴』(前編)

 会社帰り、ふと、靴を新調しようと思い立ち、G駅で降りた。たしか老舗のシューズショップが駅周辺にあったはずだと歩いていると、それらしき店が見つかった。
「いらっしゃいませ」
 アーティストふうの女性が元気よく声をかけてきた。店内を見まわして俺は首をかしげた。
「すみません、この店は……」
「当店はガラスの靴専門店です。わたしは職人兼オーナーの、シンデレラ佐々木と申します。ハイヒール、ローヒール、コインローファー、スリッポン、モカシン、ウイングチップ、ストレートチップ、スニーカー、とにかくすべての靴がガラスで作られております。ご覧になっていってくださったら幸いでございます。どうぞごゆっくり」
 俺はウイングチップをじっくりとながめた。ちゃんとガラスを貼り合わせて作られている。
「ひもは何でできてるの?」
「もちろんガラスでございます。グラスファイバーで作りました。スニーカーの生地もグラスファイバーで織られたものです」
「サイズはあるのかな。二六センチなんだけど」
「サイズはすべてワンサイズだけなんですよね。履いてみてフィットしたらラッキー、みたいな」
「ほんとのシンデレラサイズだね。……このスニーカー、履いてみても」
「履くと皮膚が切れます。ガラス繊維ですから」
「……履けないんじゃ意味ないでしょ。ちなみにいくら?」
「そちらのスニーカーは七八万円になります」
「さすがに手が出ないな。邪魔したね。どうも」
「じゃあ七八〇〇円でいいです」
「ずいぶん下がったな」
「開店してから一年になるんですけどトータルでまだ二足しか売れてないんで」
「投げ売りじゃないか。その二足は、定価で売ったの?」
「もちろんです」

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パルフェ

ようアキラ。まあ座れ。
りょうさん、久しぶりっす。珍しいっすね。ファミレスなんて。
お前が指定したんだろ。
正月のこの時間帯じゃあファミレスしか開いてないんで。
なんでも好きなの頼め。
遠慮なく。……えーっと、リンゴのパルフェひとつ。
お前、ずいぶんかわいいもの食うんだな。
はい。これ、アイドルグループ、シーザーサラダのカレードリアちなみちゃんが好きなメニューなんです。
そのグループ名と芸名、絶対このファミレスで考えてるだろ。
あ、来た来た……うんうん、うまたん。
なんだそのうまたんって。
うまいってことです。いまどきのティーンはみんなたんつけるんす。
アキラ、お前いまいくつだ?
三五っす。
彼女できたのか?
できません。
だろうな。
あ、でももてるための情報収集は日々怠ってないっす。
どんな情報を収集するんだよ。
最近雑誌で読んだのは……パーソナルスペースってあるでしょ。
なんだそれ。
他者との身体的な距離っすね。
うむ。
女性はね、嫌いな男性とはパーソナルスペースを広くとるらしいです。
じゃあ俺はやっぱりもてるんだな。西口の立ち飲みの店員のねーちゃんがんがんぶつかってくるもの。
それは狭いからでしょ。それにりょうさん狭い所でも周りに気ぃつかわないから。
うん、俺、狭い所きらたん。
なに若ぶってるんすか。
お前が言うんじゃねえよ。
へへへ。
へへへって……お前なあ、その手の情報正しかったらとっくに結婚してるだろ。
疑うことも必要っすよね。
クリティカルシンキングができないとな。ただ、確固たる自我がないとなにを信じいいかわからなくなり。結果、耳ざわりのいい思想を受け入れ、破滅を導くこととなる。
さすがっすね、りょうさん。
まあな。ちょっと便所行ってくるわ。

ぐっ……アキラ……お前、裏切りやがって……
いやぁ、すみません。実はカルガモ組にヘッドハンティングされましてね。あんたの販売ルートじゃあんまりもうからないんですよ。こいつは頂いて行きます。証拠になっちまうんで。ああそうだ。クリティカルシンキングができないからこうなるんですよ。じゃ。
がはっ……つらたん……

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 引っ越しの荷ほどきを終え、近所を散策していると小さなジャズバーがあった。ジャズがそれほど好きというわけでもなかったが、ドアを開けた。動画配信サービスで見たラ・ラ・ランドの影響を無意識に受けていたのかもしれない。
 客の年齢層は高かった。だいたいみんな六〇がらみ。七〇年代、八〇年代に青春を過ごした世代。狭い店内に加齢臭が立ち込めている。テーブルに案内された。もちろん相席だ。総白髪の巨漢。こちらに頓着することなく、一眼レフをステージに向けている。隣のテーブルでは、夫婦らしきがジャズそっちのけで言い合いをしている。夫らしきが妻のよくない点を述べ、妻らしきがすかさず言い返す。妻らしきは脊髄反射的に言い返しているだけだから説得力がまったくないのだが、妻らしきのほうが優位だ。一対一の関係では、話の通じないほうが勝ちなのだ。
 こうした夫婦は鳩同様、平和で豊かな世のなかの象徴だ。貧しくて豊かになる展望のない世のなかでは、夫婦は協力し合うしかないからパートナーに対する不満を口にしたりはしない。不満を口にするということは少なくとも食べることには困らない世のなかに生きている証拠。協力なんてものは負の産物でしかない。
 二曲聴いてから会計し、店を出ると、高校時代につき合っていたCにそっくりな女の子が少し離れた所に立っていた。Cは日本育ちのベトナム人。大人になったら日本国籍になると言っていた。
 Cの娘、ということはない。ここは千葉県。わたしが育ったのは神奈川県だ。
 Cそっくりな女の子がわたしに向かって微笑んだ。突然、雨が降り出した。
 わたしはCそっくりな女の子に駆け寄り手をとった。すると、ふわり、宙に浮かんだ。わたしたちは雨に濡れながら抱き合い、くるくる回った。
 いつの間にか、空高く昇っていた。わたしとCそっくりな女の子は雲の上に腰かけ、歌った。もう雨に濡れる気づかいはない。

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家族

「いや〜、助かりました。 なかなか止まってもらえなくて」
「ヒッチハイクで旅行なんて無謀だ」
「日本人は親切だってきいてたもので」
「そう簡単に車に乗せたりはしないよ」
「はい。三日間立ちっぱなしでした」
「もう歩けよ」
「へへへ」
「へへへって」
「あ、紹介遅れました。わたしはチャンシャガチャンドリンアスパルクです」
「すごい名前だね」
「ワンチョリカンガジ語で天の上の出っ張った谷、輝ける暗闇の閃光です」
「支離滅裂だ……ワンチョリカンガジ語ってどこの言葉だよ」
「世界で三人しか話せる人いません」
「失われゆく言語か」
「ちなみにワンチョリカンガジ語が話せるのはわたしとお父さんとお母さんです」
「君の一族で伝承してるんだ」
「いえ、わたしとお父さんとお母さんで考えた言葉なんです」
「そんなの言語として認められるか」
「ところでお家はどのへんなんですか?」
「この近くだけど。もっとにぎやかな所まで送るよ」
「あの、なんかヒッチハイクするのも疲れちゃったんで、お宅に泊めてもらえませんか。よかったらワンチョリカンガジ語教えますんで」
「降りろ」
「まあまあ」
「なにがまあまあだ」
「あ、そこでいいです」
「そこで? 車なんてまず来ないぞあんな通り」
「もういいんです。国に帰ります」
「宇宙から円盤でも迎えに来るのかぁ?」
「ははは、まさか」
「じゃあな。気をつけて」
「どうも」
    *    
「ただいま」
「お帰りなさい。どうしたの? なんだか顔色が悪いけど」
「ああ、いや、何でもない。はるとは起きてるのか?」
「もう寝ちゃったわ。あなた遅いんだもの」
「そうか」
 なぜ自宅を通り過ぎてしまったのだろう。会社を出てからの記憶がまったくない。脳梗塞かなんかの前兆だろうか。来年は人間ドック受けるか。また金がかかるな。
「ナルゴルンギュンギュワベイ?」
「何だって?」
「ワンチョリカンガジ語でビール飲みますかって言ったの」
「何だそれは」
「はるとと二人で、家族だけに通じる言葉を考えようって、さっきまで遊んでたの。面白いでしょ」
「家族だけに通じる言葉か。そりゃいいや」
 俺は缶ビールを開け、一口飲んでから、明日は久しぶりにドライブでも行くか、と、妻に言った。ワンチョリカンガジ語で。

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オマージュ

 ある日、正直で働き者の男が畑を耕していると、飼っている犬が少し離れた場所で地面に向かって吠えている。
 もぐらでもいるのだろうか。作物に被害を与えられたらたまらないと鋤で掘ってみる。すると、いつの時代のものか、小判が現れる。興奮してさらに掘り進めると、小判、大判がどんどん出てくる。
 お上に届けようかと思ったが、あれこれ詮索されて濡れ衣を着せられ投獄、なんてことになる可能性もあると考え直し、結局着服することに。
 もちろん一般庶民がこんな大きな貨幣をつかうことはできないから闇ルートでつかえる貨幣に換金する。手数料はたっぷり引かれたが、それでも一生遊んで暮らせる額は残る。
 さて、持ち慣れない大金を手にした男、働き者だったが田畑に出ることはなくなり、朝から晩まで遊廓でどんちゃん騒ぎ、かつては愛妻家であったが、そんな感情はしょせん欠落感から来るもの。満たされてしまえばブスでぱっとしない女に価値など見いだせぬ。朝帰りどころか何日も帰らないなんてこともしばしば。男に相手にされなくなった妻はさみしさから怪しい若返りの薬などに手を出したりして金をつかう。
 そんな暮らしを何年か続けていたら、いつまでも、あると思うなで、一生遊んで暮らせるどころか借金までしてしまい、田畑を売るはめに。最終的に小作人として貧乏暮らしを余儀なくされる。
 楽しかった日々を思い出し、つらい労働にいそしむ男、さあ、ある日、隣家で飼っている犬がやたらと吠えているのがきこえる。男は何かを感じ見に行く。するとどうだろう。金銀財宝が畑から。
 ここからはみなさんが知っているお馴染みの話である。大金を持って変わらない奴はいない。

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桃太郎

むかーし昔、あるところに、お爺さんとお婆さんが住んでいました。
お爺さんは私有地の山に柴刈りに行きました。お爺さんは、柴や木材を売って生計を立てていました。小さいながら畑も持っています。
お婆さんは川へ洗濯に行きました。この当時の洗濯は、今と違って自然に有害な洗剤を使ったりしなかったので、文句を言う輩も居ません。
お婆さんが川で洗濯をしていると、上流の方から「どんぶらこどんぶらこ」みたいな音が聞こえてきました。見てみると、大きなモモが台車に乗って転がってくるじゃあありませんか。あの音はどうやら車輪のなる音だったようです。
さてお婆さん、勢いでモモを持ち帰ったものの、どうすれば良いか分かりません。こんな怪しいものを食べるわけにもいきません。
そこでお婆さん思いついた。
お爺さんに木材を少し貰う→掲示板を作る→お役人に立てる許可を貰う→「巨大なモモ拾ったんだがどうしたら良い?匿名希望ならこの掲示板に書き込んで」みたいなことを書いて村に立てる
そして3日後(モモは土間に放置してましたが、腐りませんでした。不思議。)、お婆さんが掲示板を見に行くと、「やっぱりバラさなきゃ始まらないんでは?」みたいな書き込みがあったので、それを採用することにしました。

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ピアノ泥棒 (リクエスト)

僕は、昔泥棒だったんだ。
あはは 、本気にしないで。
お酒の席では、話半分はご愛嬌って言うじゃないか。
僕の昔話、聞いておくれよ。

ある雨の日曜日。僕は中野にいたんだ。
雨宿りのフリして品定めをやってたんだ。泥棒だからね。
ぶらぶら二丁目を歩いてたらさ、あのおっきな楽器店あるじゃん?あそこができる時だったんだよ。
でかいトラックが止まって何か搬入してたんだ。
これでも泥棒をする前は、ピアノ弾きだったからね。
本当だよ?よくライブだってやったもんさ。
それでピンと来たんだ。
スタンウェイのヴィンテージ 。ピアノ弾きなら誰もが憧れる名品。
正直目がくらんだよ。あいつだったら、僕は誰よりも上手く弾ける自信があったからね。
あのピアノ盗んで弾きたかったよ、僕の自慢のクラシックバラード。
あれを聞かせたら、出ていったあの娘も戻ってきてくれるかなーなんて考えちゃったり。

でも、あんな大物は無理だった。なら、弾くだけでもよかった。いや、眺めるだけでも。
そうと決まれば早速忍び込んだよ。深夜の3時頃だった。
ピアノを前にして、じっとしてられなかった。おもむろに弾いたさ、午前3時のニ長調。
ピアノを聴いてどうせ野垂れ死ぬだけの人生さ。生きるために盗んで、盗むために生きてきた。拍手ひとつも貰えないステージでね。

ーーと、ここまで言ってきたけど全部嘘だよ?‪
そんな顔しないで。こんな馬鹿な話があるわけないじゃん?
今から僕の出番だ。こう見えてピアノは得意だからね。
聴いてよ。あの日と同じクラシックバラード。
馬鹿な男のメロディーでもまたにはさ。
ピアノを聴いてどうせ野垂れ死ぬだけのくそったれの人生ならさ、ステージの上で拍手喝采ってゆーのもそんなに悪いもんじゃないよな。


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memento moriさん リクエストありがとうございました!
初めてやったんですけど、いかがでしたかね?
他の3名様!もう少しお待ちください!なかなか出来なくて……泣
不定期でこうゆう企画やりますので、書き込んだ際には、リクエストお待ちしております!!
これから増えていく作品には全て、「サキホ 短編集」 ってタグつけます!よろしくですっ!

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恩返し

 たそがれどき。ハイタワーマンションのエントランス。たたずむ黒いスーツの男。白いワンピースを着た、長身細身の女が入ってくる。女が男に歩み寄る。
「あの、すみません」
「はい。何か?」
 男が怪訝そうな目つきで女を見てこたえる。
「道に迷ってしまいまして、今晩泊めていただけないでしょうか」
「この先にビジネスホテルがありますよ」
「お金がないんです」
「はあ」
「お願いします泊めてください。何でもしますので。機織りが得意なんです」
「ああ、そういうの、うちは間に合ってるんで」
「……実は……わたし、先日助けていただいた鶴です」
「鶴を助けた覚えなどない」
「またまたあ。助けたでしょ」
「助けた覚えなどないって言ってるでしょ」
「とにかく助けていただいたんです」
「しつこいなあ。警察呼びますよ。どこかほかあたってくださいよ」
「そんなわけにはいきません。助けていただいたからには恩返ししないと」
「だから助けた覚えなんかないんだって」
「いいからいいから。あ、ほら、お金もうけしたくありません?」
「こう見えて僕は年収百億だ」
「お金はいくらあっても困らないでしょ? もうけさせてあげるからさぁ〜。泊めてよ〜」
「駄目だと言ったら駄目だ。金もうけの才能があるんなら自分のためにつかいたまえ」
「ああそうですかっ。なんだよっ。ばーかばーか」
 女去る。奥から男の秘書らしきが出てくる。
「会長、いまのかたは」
「うん。どうも鶴の化身らしいんだ。本当かな」
「まさか」
 秘書が長い牙を見せて笑う。
「そうだろうな。鶴が狼のにおいに気づかぬわけがない」
「会長、尻尾が見えています」
「これは、わたしとしたことが」
「お疲れのようですね」
「罠にかかったのを助けてもらった恩返しにちょっと手伝っただけのつもりがこんなに大きな企業に発展させてしまうことになるとは。もうやめようにもやめられない。困ったもんだよ」
 黒いスーツの男が、苦い笑いを浮かべた。

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もののけ

 酔って帰宅し、玄関に倒れ、猫が死にかけのゴキブリをもてあそんでいるのをぼんやりながめた。果たして俺は生きているのか死んでいるのか。
「この世は本当に存在しているのか。すべては幻ではないのか」
 俺はつぶやいた。すると、「人間は外部を知覚し、考察を加えることによって現実をものにするのだ」という声が部屋のどこからかきこえた。
「誰だあんたは」
 俺は転がったままたずねた。
「この世ならざるものとでも言っておこう」
 声のするほうに目を凝らすと、着物姿の、人間に似ているが人間ではないと思われるたぐいのものがこちらを見下ろしていた。
「なるほど。急に目の前に現れるなんてまさにこの世のものとは思えない」
 俺は起き上がり、流しの水道からじかに水を飲んだ。
「さっきからいたよ。急に現れたように感じたのはお前がぼうっとしているからだ。鍵ぐらいかけておけ」
「べつにもう。どうでもいいんだ」
 俺はそう言って口をぬぐい、座り込んだ。
「ずいぶん病んでいるようだな」
「いまを生きているという実感がないんですよ」
「若者なんてだいたいみんなそんなものだろう」
「そうかな。でも、病んでいるんです」
「いま生きているかどうかなんてどうでもいいではないか。人間は未来を志向する生きものだ。樹木を傷つけて一定時間経過後、染み出してきた樹液を食すサルなどもいるが、人間の未来志向にはおよばない」
「未来なんて不確かなものですよ。妄想の産物でしかない」
 俺がそう言うと、すり寄ってきた猫をなでながらこの世ならざるものが言った。
「人間は現実より妄想依存型なのだよ。確かないまより不確かな未来。人間はパンによってのみ生きるのにあらず、妄想の力によって初めて人間として生きる。幻を生きるのが人間なのだ。お前はいまでさえ幻と感じている。完璧だ」
「よくわからないけど、少し希望がわいてきました」
「正月休み、あるんだろ。ちょっと遠出してみたらどうだ」
「はい。久しぶりにツーリングに行ってみようと思います」
 数時間後、高速道路の中央分離帯で俺は血を流してうめいていた。見上げると、あの、この世ならざるものが、笑顔で立っていた。こういうのをもののけというんだろうな、と薄れゆく意識のなか、思った。

3

ひと口

 夜勤明け、コンビニで缶ビールとチリ味のポテトチップスを買い、歩きながら飲み食いした。いい気分だった。
 雨がぱらついてきた。僕はパーカーのフードをかぶり、足を早めた。
 部活の朝練だろう。ビニール傘をさし、テニスバッグをかついだ女子高生が橋の欄干から身を乗り出し、くんくんとにおいを嗅ぐような仕草をしていた。
 すれ違いざま、女子高生がよく響く低音で、「綿のフードパーカーって洗濯物のなかでいちばん乾きにくいよね」と言った。僕は立ち止まった。女子高生が欄干に背中を預け、こちらを見上げた。僕はすぐに稲荷大明神だと気づいた。
「稲荷大明神様。どうも」
「様はいらんよ。彼女とはどうだ」
「常連になったので、顔は覚えられました」
 数日前、好きな女の子(コーヒーショップの店員)とつき合えるよう願掛けした直後、僕の目の前に現れて以来、ちょくちょくからんでくるようになったのだ。神も最近は暇なのだろう。
「そうか。まあいい。がっついたら上手くいくものも上手くいかん。恋はあせらずだ。女性は一般的に安心感が得られなければ恋愛に進まんからな。まずはいい意味で害がないことをアピールすることだ」
 稲荷大明神はそう言ってから僕の顔をじっと見つめ、「君の両親はそれぞれ出身地が違うだろう」と、傘を僕にさしかけながら続けた。
「僕は大丈夫です。どうぞ、濡れてしまいますので」
「わたしは神だ。雨に濡れたりなどせん。さしなさい」
 言われてみれば少しも濡れていない。僕は傘を受け取った。
「父は京都、母は東京です。どうしてわかるんですか?」
「魅力のある人物は塩基配列が変化に富んでいる。両親の遺伝的距離が遠い可能性が高い」
「僕、魅力ありますかねぇ」
 まんざらでもない調子で僕が言うと稲荷大明神は、「まあまあだな」とこたえた。
「まあまあならよかったです」
 僕は取り繕うように言って缶ビールを飲んだ。
「以前と比べると少しは自信がついたように見えるな。何かあったのか」
「酔ってるからですよ」
「ひと口くれ」
「女子高生にビールを飲ませるわけには」
「この姿ではまずいか」
「まずいです」
「じゃあまたな」
 僕は後ろ姿を見送った。この話は、次回に続かない。