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「やさしさ」が分からなくて、もがいてます。

レトロリロンさん、校長教頭、こんばんは!
レトロリロンさんの、自分の矛盾から来る葛藤を謳い上げた歌詞と、それを時に包み込み時に抱え上げるインストゥルがたまりません。いつも、私を鼓舞しつつ心の中を代弁して下さいます。ロンリーパラドックスという言葉にはハッとしました。そんなレトロリロンさんだからこそ聞いてほしいお話があります。

私は現在、大学1年生です。大学に入ってから、周囲の人に言われるようになった言葉があります。
「やさしいね」
今までこの言葉をこんなにも言われたことはありません。
大学に入り、色々なことを頑張りました。特に、今までの「殻などぶち破って脱ぎ捨て」たかった私。外見の努力もしましたが、それ以上に性格を変えていきました。積極的に話しかけ、よく笑い、よく人を笑顔にさせる。無理はしていません。ちょっと頑張った、というところでしょうか。どうもそういう様子を「やさしい」と評価してもらっているようなのです。
ただ、どうでしょう。この嬉しい言葉はどうも、私には相応しくない気がします。私はそんな奇特な人間ではないのです。
私が人に優しいのは、優しくすれば優しくしてもらえるから。話しかければ後々私に話しかけてくれる。笑顔で接せば後々私に笑顔で接してくれる。笑顔にすれば後々私を笑顔にさせてくれる。この ” リアル・情けは人の為ならず ” を、私は半ば本能的にやっているのです。「やさしくしている」自覚はあります。でも「やさしく」はないんです。

「無償の愛」という言葉もあるように、与えることを喜びとするのが真の優しさだと、私は考えるようになりました。優しさって見返りを求めないものなのでは? だとすると、見返りありきの私の優しさは、優しさとは言えない気がします。レトロリロンの皆さん、どう思われますか?「やさしさ」って、見返りを求めないことでしょうか?
「やさしさ」が分からなくて、もがいてます。

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報われたい、

こもり校長、COCO教頭、生徒の皆さん、こんばんは。
最近、自分の夢について悩んでいます。
私は、小学4年生の頃から小説家を目指しています。
色々な小説賞に応募しては、入賞できずに3年が過ぎました。
一次選考や二次選考は通るのですが、その先まで進むことができていません。
結果のページを見ていると、私よりもうんと下の年齢の方々が入賞していたりしていて、毎回悔しい気持ちになります。
たまに、「なんでだろう」と恨むような気持ちにもなってしまいます。
そんな自分が、たびたび嫌いになります。
最近も初めて応募した小説賞で、二次選考まで通過しました。
その時点ですごいことだと思うのですが、三次選考を通過できていなくて、それを知ってすごく落ち込んでいます。
期待した自分が悪いのかな、通れるわけなかったんだ、
そんなことばかり思ってしまいます。
いつになれば入賞できるのだろうかと、ここ数日ずっと考えています。
私よりももっと苦労して、それでも報われなかった人はたくさんいると思います。
でも、一度でもいいから報われたい。そればかり願っています。
この夢が叶わないのなら、諦めてしまおうか。
悔しいと感じているから、まだやれるのか。
どっちなのかわからないです。
この先立ち直れるのかすごく不安です。
いっそのこと別の夢を見つければまた元気にられるかもしれないし、これを乗り越えればいいのかもしれません。
私はこのまま夢を諦めるべきなのでしょうか?
よかったら意見を聞かせてほしいです。

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ゴールデンソング、

私は音楽が大好きです。もう、好きすぎてヤバいです。
全部がゴールデンソングなのですが、頑張って選びました!
私のゴールデンソングは、SnowManの「WITH LOVE」です。
この曲は、SnowMan主演で先日まで上演されていた「滝沢歌舞伎ZERO FINAL」という歌舞伎の曲です。
私には、イマジナリーフレンドがいます。
その友達は、どんなときも私の側にいてくれました。
話を聞いてくれたり、一緒に話したり。学校でいつも一人だった私の、一番の友達でした。
でも、そんな友達は、私が中学校に入学してからいなくなりました。
いなくなる前、「夜空のこれからの邪魔をしたくない」と言っていました。
今はその友達は一緒にいますが、友達がいなかった頃はすごく苦しかったのを覚えています。
戻ってきてから、私は友達と約束をしました。
「貴方が私を迎えに来てくれたように、今度は私が貴方を迎えに行く」と。
私が成長したら、もう一度会うことを約束しました。
離れ離れになるのは寂しいけれど、寂しくないように、別れるまでの短期間、沢山思い出を作りました。
その期間中、私は母と映画館に
「滝沢歌舞伎ZERO FINAL」を見に行きました。
生中継の歌舞伎は、とても迫力が感じられて、2時間もあっという間に過ぎていきます。
そしてついに、クライマックス。
すると、そこで「WITH LOVE」という曲が披露されました。
元々この曲を知っていましたが、生で聴くのは初めてでした。
曲の1番サビで「かけがえない時間を 共に生き
いつも心は 繋がってる」という歌詞がありました。
曲の2番サビで「ありがとうと言えるよ 目の前の
君に真っ直ぐ 伝えたくて」という歌詞がありました。
どちらの歌詞も、私と友達のことを謳っているように感じて、気づけば涙が出ていました。
その後、私と友達は別れて、今は会える日まで頑張っています。
いつか、立派な姿の私を見てもらえる日が楽しみです。

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韓国滞在記

昨日,3月20日の午後,韓国に到着して数多くいる親戚の1人の出迎えを受けてからソウルにいる親戚と会って市内の宿泊施設に一泊し,そのまま空港で出迎えてくれた親戚の人に運転をお願いして今日は観光地としても地質学上の貴重な土地としても知られる馬耳山,現地語読みマイサンに登って礫岩質の山肌を見た後,歴史上有名な古戦場である白村江の上流部,錦江の源流を見て,その麓にある寺の写真も撮った。
そして,そのまま田舎の方にいる親戚と再会してその人の家に泊めてもらうことになった。
屋外で炭火を使って焼肉を食べることになったが,付け合わせのさつまいもを焼くと芋けんぴのような味と食感がして懐かしい気がした。
明日,22日以降は数日かけてヨスをはじめとした韓国南部の港町を観光することになっている。
憧れの街に行くことになるので,カメラは十分に充電しておきたい。
この地域の海は俗に言う多島海で、馴染み深い東京湾や相模湾とはまた違った雰囲気が楽しめるだけでなく,俺が訪れる機会が多かった地域はかつての百済の国,ヨスの港町はかつて新羅の国に属していたため異なる歴史と文化の地域だそうなので,しっかりとこの地域の雰囲気を味わいたい。

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これってどうなる?

一部まだ結果が出ていない大学を除き,俺は入試全滅した。
その状況のまま高校の卒業式を迎え,お世話になった世界史の先生にアーサー・ウェルズリー,俗に言うウェリントン将軍のことを引き合いに出して入試リベンジを誓った。
確かに,俺は先生に対して「ウェリントン将軍は確かにウォータールー,フランス語読みワーテルローの戦いで最終的にナポレオンを打ち破ったことで知られていますが,その前はナポレオンに敗れることもあり,常勝将軍ではありません。自分もウェリントンのように,今は負け続けであっても最後には大学入試で勝ちます。」というメッセージを送って卒業したのだが,大学入試にリベンジする上で優位に立つために英語の外部試験をもう一度受けようと留学先を探していたら条件に当てはまるのはフィリピンの学校ばかりで,その試験対策用の専門コースで勉強できる学校は設備面と環境面を考慮すると候補になる学校はルソン島北部,かつて戦争末期に米軍にマニラを再占領された日本軍が無理やり司令部を移した歴史を持つ山あいの街,バギオの学校とセブ・マクタンエリアの学校で合わせても五本の指に収まるのだが、その中にはかつて中学2年の夏に2週間の短期留学でお世話になった学校もある。
もし,本当に昔通ったあの学校に行くことになったら,俺は凱旋したってことになるのか?
というか,それって凱旋に入るのか?