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二話 長野の列車内にて

 列車内には私以外にも、10人か20人くらいの傷痍軍人が乗っているようだった。そこに幼い少年と父親が今日も乗ってきた。少年は綿入れで、父親は国民服姿だった。2人はリュックを背負っていた。そうやって、1週間に1度乗ってくる。
 それから2人は決まって、リュックからいっぱいに詰めた餅を取り出して1つずつ乗客に配っていく。あの親子も生活は楽ではないだろうに、毎週。何だか嬉しそうでもあった。
 前の人から順々に配っていって、私のところにもやってきた。
「どうぞ」
 少年が餅を差し出した。私は相当酷い顔になってしまって、子供からすれば恐ろしいだろうに、彼は物怖じしなかった。
「私は……怖くないか?」
「こわくないよ」
「酷い顔だろう」
「いたそう。でも、お母ちゃんとみっちゃんはもっとかわいそうだったの。こわくないよ」
「そうかい」
「うん。じゃあね」
 屈託のない笑顔を見せて次の列に行こうと身体を向きなおした。そこに私は「少年」と声を掛けた。
「なあに?」
「ええと、その、餅、ありがとう」
「うん」
「これ、売ればいいじゃないか」
「いいの。おとうふとか、おさかなとか売ってるから」
「何で売らないんだ」
「かうのはたいへんってぼく、ちゃんと知ってるからね」
 得意気に言って、もう他の人に配りに行ってしまった。
 買うのは大変。確かにそうだ。でも、それをひとに言って自分のものを分け与えられる者など、今の時代にいくらいようか。彼らも貧しい思いをしてきたろう。今だってきっとそうだ。働けなくなった我々に見返りは望めない。それは明々白々であるというのに。与えないことは悪ではないのに。物乞いに施さなかったところで誰も責めやしない。皆苦しんでいるからだ。なのに、あの親子は何と無垢なのか。
 あの親子の純粋な笑顔を見ると、涙が溢れて仕方がなかった。
         
                              終

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輝ける新しい時代の君へ Ⅳ

 表情筋は殆ど動いていなかったが「オヤ坊や、嬉しそうだね。そんなに俺と会えて嬉しいかな」と、男は喜色満面で隣に座った。
 すると少年は少し俯いて、上目だけで男を見て、
「うん」
と頷いた。男はもっと薄い反応が返ってくると思っていたので、意外な反応に困った様にはにかんで、坊主頭を搔いた。
「あっはは、冗談だったんだが……そんなちゃんと言われると照れるなァ……」
「?なんでだ?」
 追及されると余計困ってしどろもどろになって、手と頭を横に振った。
「えええ、変なところで食いつかないでよ。子供って分からないなァ……。それよりも、俺ね、君の話聞きたいなァ。昨日はおばさんの家で何をしていたんだい?」
 少年は男の様子が滑稽でつい吹き出した。男も苦笑する。
「笑わないでよ」
「えへへ、うん、ごめん。あのね、きのうはたくさん本よんだんだ」
「いいね、俺も読書は大好きだよ。どんな本読んだんだい?」
「あのな、『どくもみの好きなしょちょうさん』っていう絵本を読んだ。おもしろかった」
「オオ、いいもの読むね。俺も宮澤先生の作品は好きだよ。若い頃よく読んだよ」
「みやざわ?」
「うん、宮澤賢治さん。『銀河鉄道の夜』って知ってるかい。アレ作った人。『毒もみの好きな署長さん』作った人も宮澤先生だね」
「へえ。『ぎんがてつどうのよる』おもしろいか?」
「アア、とても。でもね、君にはね、まだ少し難しいと思う。今何歳だい」
「うーん……六さいだ、とおもう」
 曖昧な回答に男は苦笑した。
「確かでないね」
 少年は踏み固められた地面に咲く西洋蒲公英を睨んで黙りこくった。嫌な質問だとか答えたくないとか、重大に考えているとか、そんなことではない。これは少年の癖で、話す事柄をまとめる時に機嫌が悪いような顔になり、固まってしまうのである。
 その所為で誤解されることも多い。好かれない理由の一つでもあった。
 しかし男は優しい目で黙って返答を待った。これが今の少年に必要なことだと分かっていたのかもしれない。或いは大した質問ではなかったためスルーされてもいいと思ったのか。

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一話 浜松の軍需工場にて

「あなた、新人さんですか」
「ええ、芝野といいます」
「あら、ご丁寧にどうも。わたしは田山」
「田山さんですか。ところでここは、前は違う工場じゃありませんでしたか。何だったかしら、ええと」
「ピアノですわよ、ピアノ。昔からわたしここで仕事してましてね……」
「それは素敵ですわね。私もそのうちに来たかったです」
「誰も飛行機造るようになるとは思いませんですよ。あなた、若いわね。ご結婚は」
「してませんの。結婚もしてないで、こんなところに来てしまったんですよ。婚約者がいますが、今は満州に……」
「あら、それはお可哀想に。わたしの夫も満州に。彼は音楽家を……丁度ピアノをやっていたんですけれどね、徴兵されて。あの人、可哀想に、今はピアノ弾いてた腕で鉄砲持っていますのよ、わたしたちはピアノ工場で戦闘機造って、こんな皮肉なことないわ」
「私たちって、本当に日本の平和のために働いているんでしょうか」
「あら、そんなことを言ったのは誰ですの。みんな天皇陛下のために戦っていますのよ。平和のためにできることはね芝野さん。祈ることだけですのよ」


                         終

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境界線 Ⅲ

 人間だ。膝を抱えて座る子供だ。髪が長く俯いていて顔が分からないが、鮮やかな赤い服を着ていて、中学生というには小柄だった。PTA会員の子供かと思いながら眺めていると、子供がゆっくり顔を上げてこちらを向いた。
「あ……たァ……ァ……」
 子供が掠れた声を上げた。
「泣いてる……?」
 私は子供に声を掛けた。すると、子供はこちらに向かって走り出した。助けを求めるように手を伸ばして———。
「あぁあああぁぁぁあぁぁ」
 私は唖然として動けなかった。
 子供は泣いていた。目口を目一杯に開いて、
耳をつんざくような絶叫を挙げた。
 何かを恐れて、助けを求めるようだった。
 この子供は誰だ?何故泣いている?何を恐れている?ここまで来たら?
 妙に冷静になって、頭の中にそんな疑問と不安が浮かんだ。しかし不安は杞憂に終わり、子供はない扉にぶつかって倒れた。扉は開いていたのだから、何かにぶつかる筈はないのだが、ない扉に触れた部分の肌は赤く爛れて倒れるときに少し水っぽい音がした。それでも子供は泣き叫びながらこちらに手を伸ばす。
 その姿に圧倒されて動けずにいると、後ろで声がした。
 件の小木だった。
「通っては駄目と言ったでしょ」
「え、あ、はいどうしても気になって」
「あれはね、ここに居ついちゃったんだよね」
「へえ。あの子は誰ですか」
「あの子……あれはやっぱり子供なんだね」
「……?」
「私には見えないんだよね。地点の衝突反応しか見て取れない」
「異能ですか」
「そう。君は、霊体か何かの観測者かな。可哀想に」
「先生は」「私はね、世界の中継地点に干渉できる。地点はつくったら作りっぱなしだし、見えないから大丈夫だけど。君は大変なものを見たね……」
「……あの子は何をしましたか」
「気にしないでいいよ。あれのこと、誰にも言わないでね」
「分かりました」
「じゃ、帰ろうか。下校時刻間に合わないと部活動停止になるよ」
「分かりました」
 それで小木は何事もなかったかのように私を昇降口まで送り届けた。

 あの子供が何者だったかは今も知らない。知る気もない。


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境界線 Ⅱ

 何故、生徒のいない三階を通ってはいけないのか。

 気になったので確かめることにした。
十中八九規則を遵守させるためだとは思うが、注意され行動を規制されたことに対する反抗心もあって、確認というよりもそういった目的の方が大きかった。

 時刻にして五時四十五分を回ったところ。四階から西階段を下りて、図書館前まで来た。
 怖くはなかった。強がりではない。本当に怖くなかった。それどころか楽しくなってきた。薄暗い廊下。橙色に輝く斜陽。通ってはいけない場所を通る背徳感。その中で廊下を一階分、ただ突っ切るだけだ。微少の高揚感以外に特筆すべき感情はなかった。
 歩いている途中、やることもないので惰性で教室内を覗く。
 案の定人はいない。教卓と幾つかの机と椅子が端に寄せられている空き教室と、特別支援学級の教室がおおよそ交互に並ぶ。特別支援学級の教室も普通学級より少し賑やかな印象があり、机が五つ程度であること以外に目立った差はなかった。
 各教室には空き教室以外はクラス名が書かれた札が掛かっている。特支1、空き、特支2,空き、ランチルーム、特支3,空き、特支4、特支5……順々に見送り、遂にあと空き教室一つを過ぎれば東階段というところまで歩いてきた。これはかつて特支六組だったところだ。
 特に面白いこともなかったかと思いながら、最後の空き教室の中を覗く。
 他の空き教室と同じく殺風景なものだったが、少し違う点があった。
 黒板の左端の方。黒い影がそこにあった。
 よくよく目を凝らしてみると、それが何なのかが分かった。

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境界線 Ⅰ

 いつからか、自分には霊体なのだろうか、怪異というのだろうか、分からないが、そういった異質なものを見る能力があることに気が付いた。ただ、知覚したり意思疎通したりできるが、それ以外のことはできないらしかった。こういうものを『観測者』というらしい。
 また、この能力には個人差があるらしく、まだ能力対象が同じである者に出会ったことはない。これによって孤独を感じることもしばしばある。異能を持つ者が近くにいればいいのにと思うこともある。ただ、他異能、他位階どうしが同じコミュニティの中で生活していれば、胸糞悪い場面に遭遇してしまうことも有り得る。だから本当は、会わなくていいように世界がなっていれば良いし、そう思うようになっていれば結果的には幸せでいられるのだ。
 この度は、そういった異能に関する奇妙な体験をしたのでそれについて書こうと思う。

 まずは予備知識として、私の在籍する中学校について説明しよう。
 校舎は四階建てで、一階には特別教室があり二階には昇降口と職員室、PTA室、会議室などがある。三階には図書室と、元は普通学級の教室だったが、生徒数が減って使わなくなった教室と、特別支援学級の教室が連なっている。そして四階に音楽室と普通学級の教室がある。
 この内問題なのが三階である。
 この階は基本的に通ってはいけないことになっている。西、中央、東側にある階段と、図書室以外の利用は禁止だ。入学した当初、「三階の特支の中には人に会うのが苦手な生徒がいるのだ」との説明を受けた。
 ある日の帰り際、図書館を利用した。帰る時、図書室に一番近いのは西階段だったが、中央階段から降りた方が昇降口が目の前に来て昇降口が近い様な気がする。先生が図書室にいたものの、生徒はもういなかった。だからその程度の軽い心持で三階の廊下を通ろうとした。
 その時、後ろから声が掛かった。
「駄目だよ、特支の方通っちゃ」
 振り向くとそこには図書室から出てきた国語科教員小木がいた。
「何故です」
「通ったら駄目って言われたでしょ」
「生徒がいないから大丈夫だと思いました」
「駄目なんだよ」
「そうなんですか」
「そう。だから帰るよ、ほら」
「分かりました」

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輝ける新しい時代の君へ Ⅲ

その後、思い付いたように「そういえば坊や、時間は大丈夫かな」と尋ねた。随分高くにある、公園の時計を見上げるとそれは九時を指そうとしていた。
「あ、そろそろおばさんち行かないと」
「そうかい、じゃあ俺も帰るかな」
「うん」
 ベンチから飛び降りた少年は間もなく走り出し、公園を出ていった。その時に後ろを向いて「じゃあな」と手を振った。穏やかにゆっくり男も手を振り、「後ろ向いてると危ないよ」と微笑みながら注意喚起した。


 翌日、その日も少年はいつもの公園のベンチに座って空を眺めていた。この日は快晴で、空全体が朝日に照らされて白く光っていた。風は穏やかで、少し暑い位だった。
 少年は昨日出会った男を気に入っていた。 
 話が特別面白かった訳ではないが、自分を『可愛がっている様に見える』だけの大人ではないことが嬉しかった。自分の様に静かだと、子供の相手をしたい大人にあまり好かれないことは既に知っていた。しかし感情が表に出にくい。
 こんな幼児が人の心の内などを、所謂『察す』ということができるのかと思うだろうが、子供は案外と、人の胸中を見透かすのが得意だったりするのだ。全ては理解していなくとも雰囲気で分かる。
 そんな自分に純粋に楽しそうに話しかけてくれたことが嬉しかった。
(おじさんまた来るかな)
そう思っていると、
「よっ」
 白い天を写す瞳に望んでいた男の顔がいたずらっぽく笑った。少年も「よ」と返した。

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輝ける新しい時代の君へ Ⅱ

「よくわかったな。ぼく男って」
「そりゃ分かるさ。俺も子供ん時着せられてたから」
 男は苦笑いした。
 それもその筈だ。よく分からないまま女の格好をさせられるのだから。
 その時の少年も桜色の、春らしいワンピース姿だった。不快に思ったことはなかった(むしろ気に入っていた)が、他の子供とは違うことは周りを見れば明々白々だった。
「坊や、何で女の格好させられてるか分かるかい」
「しらない」
「そうだよなァ、俺も自分で調べて知ったんだけれどね、あのね、子供は七歳までは神様の持ち物なんだって」
「へえ。それじゃ神さまにかえさないとな」
「その通り、頭がいいなァ。だから昔は7歳までは子供が死んでも文句は言えなかったんだ」
「でもぼくのいえのちかくの子はみんな生きてる」
「アア、そうだよ、それはね君、今は医療技術が発達して平和になって、幸せになったからなんだよ。つい50年前は十分な食べ物が無くて、病気にかかってもまともな治療なんて受けられない人も多かったからね」
 男は少年がよくするように空を見上げる。ぼうっと、何か特定のものというより空全体を見ているようだった。しかし彼の眼は空をも見透かし、その向こうの何かに思いをはせるようだった。
 少年もしばらく男を上目で見つめて黙る。
暖かい風が間を通って、男は一瞬目を伏せた。少し寂しそうな表情にも見える。その時の少年には分からなかったが。少年が「なあ」と呼び掛けると男は意識を取り戻したようにヘラヘラ笑った。やっぱりまだ寂しそうだった。
「何だい?」
「つづき」
「アア、ごめんごめん。
 それでね、7歳まで子供を女として育てると、体も丈夫になって長生きできるんだね。だから女の格好させるんだよ。おかしいよね、だってもう神様にとられることないのに女の格好させる必要ないもの。ご先祖さんはそんなに子供亡くしたのが悲しかったのかな」
「ぼくはべつにいい。みんなとちがくてへんだけど、かわいいのすき」
「ホント?俺はそんな好きじゃなかったなァ。俺はね、こんなヒラヒラのじゃあなくてね、着物着せられてたよ。可愛いのだけれど動きにくいのだ。見たことある?」
 少年はコクっと首を縦に動かした。
「おばさんちの本で見た」
「そっかぁ。坊やは物知りだねえ」
 男は感心して喜色を浮かべ、満足気にウンウン頷いた。

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輝ける新しい時代の君へ Ⅰ

今からする話は、まだ幼かった少年と不思議な男との些細な出会いの話だ。


 少年はまだ幼稚園に通う程の年齢だった。しかし、貧困する程ではなかったが、家計に余裕はなかった。両親も共働きで幼稚園や保育園に通わせることを望んでいたが、本人に通う意思がなかった。親の方も通園費を考えると、子供の決断には好意的だった。こんなことで教育を諦めることには抵抗と罪の意識を感じていたようだが、内心安堵していたのも確かであった。だから両親が働いている間は、母親の姉の家で過ごした。
 少年の祖父は東京の有名な大学に通っていたので娘たる母親とその姉も学があり、少年に様々なことを教えてくれて、少年は彼女のもとに行くことが好きだった。彼女も子供が居らず、少年が幼稚園にも保育園にも行かないと聞いて、自分から預かると名乗り出たそうだ。

 少年は、彼女の家に行く前に自分の家の近くにある公園のベンチに座って、ぼうっとして空を眺めることが好きだった。朝の30分だけ、誰も居ない、静かな公園で、ゆったり流れる雲を見ながら呆然とする。
 余談だが、こういった子供らしくないところもあり、少年はあまり大人に好かれてはいなかった。きっと子供にも好かれなかっただろう。

 ある日和良い春の日。 
 その日も少年は何を考えるでもなく、足をユラユラさせていた。
 すると、
「おはよう、坊や」
 柔らかい男の声だった。周辺に少年以外の人間が居ないので、自分に向けられたものだと思い、少年は声の主に目を向けた。
 男は、祖父が着ていたような服を着ていた。祖父の若い頃の写真を見た時変な格好だと思ったので、男のことも同様に変だと思った。しかし不思議と嫌な感じはしない。同時に、既視感があった。
「おはよ」
 挨拶を返すと、男は人当たりの良い笑みを浮かべて「隣いいかい?」と訊いた。少年はこくりとうなずく。
 明らかに不審だったが、この時の幼い彼はこの人は誰なのか、程度にしか思っていなかった。