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輝ける新しい時代の君へ ⅩⅦ

「どうしても会いたくなったときは、九段下の神社に来るといい。そこできっと、待ってるからね」
 そういうと少年は少し落ち着いて「くだん……?」としゃくり上げながら反復した。
「そうだよ、九段下。来るなら四月の始めが良い。あそこはね、桜が大変綺麗に咲くんだ。お花見にピッタリだね」
 変に明るくおどけた。
 別れ際まで道楽的な男の発言に、涙を流すのも変に思えてきた。最後に、少しだけ笑えた。
「わかった。じゃあまってて。ぼくぜったい、行くからな」
「うん、待っているよ」
「うん、今まで、ありがと。……じゃあ……」
 じゃあね、と言おうとしたが、これで終わりだと思うとまた涙が込み上げてきて、泣き出してしまった。

 ひとしきり泣くと、心が決まったようで、早口で「じゃあな」と言ってサッサと踵を返した。
 公園を出る直前、振り返って赤くなった顔で、涙をこらえて、なるべく通常通りになるように発声した。
「まだ訊いてなかったけど」
「何かな」
「……名前!」
「名前?」一瞬何のことか分からず、怪訝そうな顔をしたが、すぐに思い出した。
「そういえば。俺は……邦明、幸田邦明だ」
「ぐうぜんだ。ぼくも同じみょうじ。幸田睦葵っていう」
「むつき……うん、良い名前だ!」
「おじさんも」
 最後にそれだけ言うと、少年は来た道を戻っていった。

 それ以来、少年が男に会うことはなかった。
 会えなかった。

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輝ける新しい時代の君へ ⅩⅥ

 翌日、少年は走った。
 公園へ、男のもとへ走った。炎天下、生温い風を全身に受けて走った。
 公園の入口に来ると、見慣れた緑色の服が見えて目を輝かせた。
「おじさん!」
 汗だくの状態でやってきた少年の慌て様を見て、男は驚いて思わず立ち上がった。
「どっどうしたの!そんなに急いで……」
「ぼくっ、ぼくっ……」
 息を切らして何かを必死に訴える真っ直ぐな瞳を見て、男は何か感じたようで、静かに微笑んで手招きをした。少年は歩いて男のもとに来て、俯いた。
「どうしたのかな」
「あの、ぼく……きのう言おうとおもってたけど、やだったから言わなかったけど……」
 少年は、ここに来る前、泣かないと決めていた。しかし堪え切れなかった。初めての大切な人との別れだった。
 言うことは決めてあったのに、口に出すと嗚咽が込み上げてきてなかなか進まない。
「……どうしたのかな、ゆっくり言ってごらん」
 男はかがんで少年と目線の高さを合わせる。すると、少年はゆっくり話し始めた。
「あの、お父さんの、しごとするところがかわって、だから、みんなで……ひっこすって。きのうの、きのう言ってて、どうしようっておもって、すぐしゅっぱつ……だから……いそいで来たんだ。さよならしに……」
 勇気を全部使って言った。声を上げて泣くことはしないが、涙は幾ら拭っても止まらなかった。
 あの時、もう会えなくなるのだと思った。
 距離的な問題とか、行動力の問題とか、そんな次元の話ではなくて、本当にもう男は消えてしまって、絶対会えなくなるんだと感じていたのだ。
 何故かは分からないが、どうしようもなく不安だった。別れを知らない少年には、底知れぬ恐怖だった。
 男は深く溜息を吐き、ふっと微笑を湛えた。
「大丈夫。会えなくても、しっかり強くやっていくんだよ」
「はなせないのやだ」
「大丈夫だって。これから君は、もっと素敵な人たちに会う。寂しくないよ」
 男は底無しに元気に言った。
「それにね、俺みたいなのにはもう関わらない方がいい。良いかい、君は輝ける新しい時代の男だ。だから俺なんかのことは忘れた方が良いのさ」
「そんなの……」
 男は励ますつもりで行ったのだろうが、逆効果だった。少年は嗚咽交じりに唸る。すると男はもう降参という風に両手を挙げて「それでも」と続けた。

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輝ける新しい時代の君へ ⅩⅤ

「ねえ、キミはいつも一人ですか?」
「ちがう。おじさんがいるからな」
「でも一人は……良くないだから、セーコさんのところに早く行く方が良いヨ」
「だから一人じゃないんだって」
「キミは……フシギな子だと……ワタシ思う」
 リイさんが公園から出た後、少年はその会話を思い出して不貞腐れた。無性に悔しくてならなかった。涙が零れそうになったが、友人がいる手前、泣くのもみっともなくてグッと堪えた。
 俯いて唇を噛む少年に、男は、何でもなかったかのようにヘラヘラ笑った。
「俺さァ、影薄いんだよね。最近は無視されることもザラだよ」
 夏の空気に似合う、涼しげな笑顔だった。
「むしされるほどなのか?」
 震える声で尋ねると、男は頭を掻いておどけて言った。
「もう嫁にもシカトされてんだぜ」
 苦笑ながらもニッと歯を見せて笑う姿がおかしくて、少年は声を出して笑った。
「なんだそれ、かわいそ」
「可哀そうだってェ?他人事だなァ……おっと、こんなことしている間にもう時間だ」
「ほんとだ」
「じゃ、今日はこれで」
「うん」
 そして少年は男に見送られ、いつも通り走って公園の出口に向かった。公園から出る直前、少年は一度立ち止まって、道路の方を向いたまま顔の汗を手で拭って「おじさん」と呼んだ。
「どうしたんだい」
「……やっぱり何でもない」
「?」
 少年はそのまま走って行ってしまった。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀

 甲斐田正秀という生徒がいた。高等小学校の時代の話だ。
彼は二年生の時に死んだ。悲惨な死だったというが、舌を噛んでだとか、皮を剥がれてだとか、八つ裂きにされてだとか、水中に縛られてだとか、今はいろいろな説が出回っている。
「そんで、甲斐田正秀が死んだ6時3分、第二校舎の3階、一番北の空き教室に行くと会えるんだ」
 部活の妙に後輩懐っこい先輩がそういう噂を話した。
「会うだけですか」
 俺は素っ気なく尋ねた。でも、本当は少し興味があった。それを表に出すと先輩は調子に乗って収集付かなくなるのでこれくらいが丁度いい。
「なわけないだろ。酷い死に方したんだぜ。ヤツに会うと質問をされるんだ『赤と青、どっちが好き?』って。そんで、赤って答えると……」
「はいはい、どうせ血で真っ赤になって死んで、青だと血ィ抜かれて死ぬんでしょう」
「よく分かったな。聞いたことあったか」
「『赤い紙青い紙』に毛が生えたような話じゃないですか」
「まあな。で、それ以外の答えとか、答えなかったらとか、知りたいか?」
「別に良いです」
「知りたいよな」
「はいはい」
「どうなるかっつーと……分っかりませーん!自分で確かめてくださーい」
「はぁ?ならわざわざ」
 引き延ばさなくても。と言おうと思ったところで顧問に「おーい、そこ集中しろー」と注意され、俺はむっと先輩を睨んだ。先輩は怖めず臆せず笑っていた。

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輝ける新しい時代の君へ ⅩⅣ

「エ、まあね。慣れさ、慣れ」
「なれると?あつくなくなるのか」
「ウーン、俺はそうだけど、君はやめた方がいいよ」
「そうか」少年はまだ納得していないようだったが、そう返した。この次の年、試しに35度も下らない暑さの中、1日冬服で過ごして倒れたというのは、また別の話である。
 また気を取り直し、「でも、かみが少ないのはいいな」と言って、少しだけ口角を上げた。
「ちょっとその言い方だと語弊が生じるから……これはただの坊主」
「そうか。ぼくもみじかいとすずしそうでいいとおもったから、お母さんに言ったら、まだみじかくしないって言われた」
「ははは、小学校行くまでの辛抱だね」
「うん」
 それからしばらく、髪型の話をしていると、公園の入り口のところに人影が見えた。この公園に、少年以外の人物が来ること自体大変稀だが、こんな時間となると一層珍しかった。
 人影の正体は、1人の若い女性だった。少年は彼女を知っていた。伯母の家の隣に住む外国人だ。10代だが、今年になって通勤のために引っ越してきて(わざわざ引っ越してきてまで就くような仕事はないと思うが)一人暮らしをしているそうだ。伯母がそう呼ぶので、少年は『リイさん』と呼んでいる。本名は知らない。彼女は世話焼きな伯母によく面倒を見てもらっていて、伯母にくっついている少年のことも可愛がっていた。だからリイさんが手を振ると、少年も手を振り返した。リイさんは少年のもとに来ると「オハヨウ、こんな時間にどうしたノ」と声を掛けた。
「いつも来ている。リイさんこそめずらしいな」
「今日仕事ある。だけど、いつもより遅い時間だから……今出勤するノ。そうしたら、キミが居る。だから、気になった」
 リイさんはあまり日本語を話すことが得意ではない。引っ越してきたばかりのころは殆ど日本語が話せず、伯母は四苦八苦したそうだ。
 日本語は得意ではないが、リイさんは丁寧に言葉を紡ぐ人でおっとりしているので少年と伯母からの好感度はなかなかのものだった。 
 3分程度会話をするとリイさんは仕事に行ってしまったが、会話の中で、いささか不自然な部分があった。彼女も日本語は不自由なので言葉の間違いも幾つかあったのだとは思っていた。その不自然さの本当の理由は後々知ることになるが、やはり気分のいいものではないことは確かだった。

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六話 一戸町のある民家にて

 父ちゃんは母ちゃんと出会う前、シベリアで働かされてたらしい。父ちゃんが何かの時に教えてくれたけど、それ以上のことは教えてくれたことがない。だから母ちゃんに訊いてみたことがある。 
「父ちゃんは中国さ行っでたか?だがらソ連さ捕まった?」
「多分なぁ。ンだども、そっだらこと直接訊いたら駄目だべよ?」
「分がってら―」
 でもほんとは分かってない。ソ連は父ちゃんを連れてって、酷いことをした悪い奴だ。それっくらいしか知らない。

 父ちゃんは休みの日はよく、縁側に出て本を読んでる。ロシアの作家の本らしいけど僕は読まない。本は文字ばっかりで苦手だから。
 僕は休みの日は、母ちゃんのお手伝いだ。僕は母ちゃんに頼まれて洗濯物を取り込みに庭に出た。ここから、縁側で呑気に今日もナントカって人の本を読んでる父ちゃんが見える。
 大人はいいなあ。休みの日にお手伝いも宿題もしなくて良くて。
 そうやって思いながら父ちゃんを観察してると、たまぁに歌を口ずさみ始める。聞いたこともない歌。
「Нет её прекрасней,Из-за тучи звёздочка видна……」
 よく聞いたら日本語じゃなかった。
「父ちゃーん、それ何って歌ぁ?」
 話し掛けたら、ぽやーって顔でコッチ向いて、ちょっと首傾げた。
「歌ァ?」
「今なんが歌ってたべ」
「あーそうかぁ。確かに歌ってたかもしんねなぁ」
「何だそれ」
 ちゃんと取り合ってくれなくてちょっとムッとした。でも父ちゃんはそのまままた本を読みだした。
「何だァ!答えでけろ!」
 そうやって怒ってみたけど、父ちゃんはにやついて真面目に聞かない。
「はっはっはっは」
「笑ってねえで!」
「はっはっは、よォし、今日は星でも見に山さ行ってみるか」

                             終

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輝ける新しい時代の君へ XⅢ

「大きくなったら読めるようになるよ。君は頭が良いからね、あっという間にね」
「それなら早く大きくなりたい」
「でもね坊や、もっと頭良くするには勉強しなくてはならないんだよ。俺はあんまりお金がなかったから小学校までしか行かなかったのだけれど、いやー、今でも後悔してるね。だってね、もう九つも下の、帝大出の二等兵がいたのだけれど、俺より年も階級も下なのに、俺より計算が早いんだ。俺が全然知らないことばっかり知っているしね。だからすぐ将校さんになったけれど。アレすごく悔しいんだ。だからね、勉強はしないといけないよ」
 少年が聞くにはあまりに長い話だったので、無表情のまま内心うろたえて、話している間、男の方を向いたまま固まってしまった。話が一段落するとやっと、かろうじて首を数度傾げた。男はその様子を不思議そうに眺め、意味が分かると慌てて「ごめん、長かったね。喋るの楽しくて」と苦笑した。
 その後も取り留めのない会話をして、少年は伯母の家に向かい、男はいつも通り手を振って見送った。

 雨が散々に降る季節もやっと終わったかと思うと真っ白い太陽の光がかんかん照り付ける季節がやってきた。まだ朝だというのに逃げ出したくなる暑さだ。これからもっと暑くなると思うと気が滅入る。音源の特定できないやかましい無数の蝉の声が、暑さを助長する。
 それでも今日も、ベンチで二人、くだらない会話を楽しんでいた。
「……あつい」
 四季の変化は基本的に楽しんでいる少年も、うだるような暑さには負けるようだった。白いブラウスの襟元をハタハタさせる。
その中でも少年は、幼心に空の美しさを楽しんだ。白く鋭い光と、終わりを感じさせない青空を映し色づく積乱雲、深緑の木々とのコントラストは、彼の心を奪うには十分だった。
「空はこんなに綺麗なのにね」
 男も少年の意見には同意しているようだったが、涼しい顔をしてにこやかに笑っている。
「……さいきんおもってたけど」
「どうしたのかな?」
「それは、あつくないのか」
 少年は男を指さして言った。『それ』というのは、男の服装の事だった。春に出会った時と同じ、くすんだ緑色の服。生地もあまり薄いようには見えない。それなのに彼は汗一つかいていない。

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輝ける新しい時代の君へ Ⅻ

 予想外の回答に「そんなわけ……」と言いかけたが、途中で止めてだんまりしてしまった。実際、そんな訳がないのだ。そんな理由で幼い子供を置いて来なくなるなんてことを彼はしないと信じていた。何か隠しているとも感じたが、考えるのは今の自分にはただただ無謀だと思った。それに、単なる直感ではあるが、追及しても誰も幸せにならなそうで、彼が言ったことは本当だと思うことにした。
 男は少年のいつもの黙り方と少し違う事に気付き、慌ててどうすればいいか分からず、目を泳がせた。一瞬少年の頭に手をやろうとしたが、それをする前に、何かを思い出したように引っ込めてしまった。代わりに、優しい声で「ごめんね、なんか変なこと考えさせてしまったかな。沢山生きているとね、たまにこういう気分になってくるんだね」と諭すように言った。その後、自分の気持ちを空気とともに入れ替えるように一回深呼吸をした。
「いやー本当にね、長生きすると色々思うことあるよ」
「おもうこと?それは、よくないのか」
「良くないことも多いけど、それだけじゃあないんだよ」
「たのしいのか」
「ウン、とってもね。坊やは本読むの好きだったね」
 少年はコックリ頷いた。
「長生きすると、たくさんの本が読める。今はまだ絵本とかしか読まないだろ」
「かん字がむずかしいから。知らないことばがおおい、大人が読んでる文字ばかりの本は、ぼくにはむりだ」
 少年は不貞腐れたように、地に着かない足で空を切る。いつも大人びている少年だが、やはり五歳児であることに変わりはない。子供らしさが垣間見えた。

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五話 ペルミのグラークにて

 グラーク内には掲示板があって、そこには大抵ソ連のプロパガンダポスターがあるくらいだが、掲示板片隅にはいつもドイツ語の壁新聞が一部はってある。俘虜の中の新聞部が手書きで月に一回書いているもので、母国語と情報に飢えていたドイツ人は寸暇できればすぐに壁新聞を見に行った。
 中にはソ連人も見に来る。アヴェリンという男は収容所内のソ連人の中でも親独派将校であることで知られていた。アヴェリンは時折集まるドイツ人にドイツ語で話し掛けては、彼らを困惑させた。
 アヴェリンは、いつもある男を気に留めていた。矯正労働から戻ると掲示板の前から離れない男である。
「面白い記事はあったか、ええと君、名は」
「エッボです。ドイツ語ですね」
「ああ。俺はドイツに住んでたことがあってな」
「へえ。面白い記事はありませんが、興味深い記事は」
そう言って、エッボと名乗った男は『ドイツ、東西に分断される』という味気ない見出しを黒っぽく汚れた指で指し示した。
「そうらしいな。こうなっちまうと、またベルリンはお預けだな」
「ベルリン、行くんですか」
「自慢だが、俺はベルリン大学を10年前に卒業しているんだ。そこの友人に会いに、年に一度」
「僕もベルリン大学ですよ、6年前に卒業した」エッボは対抗して言った。
「ほう、6年……最近だな。お前いくつだ」
「33です」
「なんだ年下じゃないか。ずっと年上だと」
「……この様相じゃ、そう思うのも無理ありません」
 アヴェリンはエッボを改めて見た。身長は低く勿論自分よりずっとやつれ痩せ小柄に見えるが、髪はぼさぼさで無精髭も生え、姿勢が悪い。40歳は過ぎていると思っていた。改めて、グラークとは酷いものだと思った。ソ連人でさえ劣悪な労働環境に辟易しているのに、寒さにも慣れず、一日カーシャ一杯と黒パン一枚で肉体労働を強いられる彼らを思うと寒心に堪えない。
「そうだな……絶対、戻れる。俺が言っちゃ許せんだろうが、俺はお前らの帰国を願ってる」
 アヴェリンは真剣な眼差しでエッボを見つめ、声を潜めつつ言った。エッボは虚ろな目を記事にやったまま、何も言わなかった。


                           終

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輝ける新しい時代の君へ Ⅺ

 遂に男は来なかった。
 この時は何か用事があったのだろうという持ち前の楽観的観測によって、男には会わないまま帰っていった。
 しかしこの日から、男はいつまで待っても来ることはなかった。降り続く好きな筈の雨も段々と重く圧し掛かるようになった。態度にも顔にも表れることはなかったが、少年は自分が思うより残念に思っていた。
 雨が嫌いだから来ないのかと一瞬思ったが、何も言わずに来なくなるなんて、そんなことを彼がするはずがないと確信していたので、仮説はアッサリ頭の中から排除された。それとも彼の身に何か不幸があったのではないか。
 不安は日に日に増していた。


 雨は一週間と三日、降ったりやんだりを繰り返した。運が良いのか悪いのか少年が出掛けていく時はいつも雨が降っていた。しかしそれも昨日で終わり、蒸し暑いことには変わりないが、雲の切れ間から日の光がクリーム色の無数の線となって地上を照らす。どんよりとした灰色の雨雲も、その時は後光が差しているようで、やけに神々しく見えた。
 今日も居ないだろうとは思ったが、あの公園に行くことは、以前から数少ない一日のルーティーンに含まれる大切なイベントの一つだったし、何より男にまた会いたかった。
 いつものベンチに向かうと、
「よっ。久し振り」
 男がニコニコして座っていた。 
 あまりに変わらない態度に、昨日も一昨日も会って話していたのではないかという錯覚に陥って「よ」と、簡易的な挨拶をした。
「いやーごめんなー何も言わずに出てこなくなって」
「いや、えっと、うん……あの、なんで……」
 少年は男の軽さに、今まで感じていた喪失感や焦燥感を持て余し、言葉も出なかった。訊きたいことも話したいことも三十分では足りない程にあったのに、全て頭から抜け出てしまって、かろうじてそれだけ言葉にできた。
 そんな戸惑う少年に反して、男はいつもの調子で微笑んだ。大人の余裕を見せつけられたような気分になって、少しだけ悔しくなった。
「はは、俺丁度この時期の雨って苦手なんだ」
「なんでだ」
「エエ、難しいこと訊くね」
 男は純粋で大きな瞳から目をそらして余裕の見えた笑顔を苦笑に変えた。
「俺が……いや、この頃の雨ってジトジトして嫌な感じするだろ。暑くってね」