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御狐神様 中編

少女を睨みつけたまま、女性は足元をちろちろと走り回るノネズミの背中を素早く摘み上げ、自身の目の高さまで持ち上げた。
『不快である。速やかに消え去れ。然も無くば……』
ネズミの首を締め上げていた手の親指を僅かに持ち上げ、具わった長く鋭い爪で喉笛を搔き切る。ネズミは小さく断末魔を上げ、数瞬暴れた後、ぐったりと動かなくなった。
『「こう」じゃぞ』
凄む女性を前に、少女はただ怯えてその場で震えるばかりであった。
(脅し過ぎたか……否、よく考えてもみれば、此奴は死ぬために差し向けられたのか。となれば、脅迫の文句を違えたか?)
女性はネズミの死骸をその場に静かに置き、徐に立ち上がった。少女はほぼ恐慌状態となってその場に縮こまる。女性は少女に近付き、髪の毛をぐい、と引いて顔を突き合わせた。
『良いか、人の子。妾は今、大層機嫌が悪い。貴様らが無駄に騒ぎ腐ったためじゃ。此度は慈悲をくれてやるが、次は無い。疾くこの場から去ね。村へ帰れぬなら、山を降りろ。住むべき街なぞいくらでもあろうが。貴様らの如き連中の面なぞ、思い出すだけで反吐が出る。嗚呼、貴様の面なんぞ明日目覚めた後にはもう忘れてくれるわ。理解したな? ならばこれ以上妾の目が貴様の小憎らしい泣き面を映す前に何処へなりとも逃げ失せよ』
女性に突き飛ばされ、少女はようやく正気を取り戻したかのように、這うようにしてその場から慌てて逃げ去った。
『………………漸く行ったか』
女性はごくり、ごくりと音を立てて首を回し、先程置いたネズミの死骸を拾い上げて社の奥へと引き返していった。

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御狐神様 前編

ある山村の外れにひっそりと建つ粗末な社。普段は寂れた様相のそこだが、今日だけは華美な装飾と大がかりな祭壇が用意され、祭事のような空気感を漂わせていた。
その祭壇を正面に見る社の階段には、退屈そうな表情の女性が頬杖をついて腰掛けてている。上品な和装を着崩したやや長身のその女性は、腰まである色素の薄い艶やかな茶髪を結うことも無く垂れるままに任せ、村人らが祭壇に白装束の少女を恭しく捧げる様子を、無感情に眺めていた。
「オコミ様、オコミ様。今年もまた、生贄をお捧げいたします。どうか、これにて我らの村への安楽と繁栄を……」
『去ね』
村落の長の口上を、一言で中断させる。一瞬にして訪れた沈黙に、『オコミ様』と呼ばれたその女性は、再び口を開く。
『去ね、と言ったのじゃ。今様に改めようか。立ち去れ、人の子らよ』
村民の間にはしばらくどよめきが広がっていたが、女性が身じろぎをすると、慌てて立ち上がり、互いを押し退けるようにその場から逃げ去っていった。
その場には、女性と生贄にされた少女が残る。
『…………何をしておる』
女性の言葉に、少女はびくりと肩を跳ねさせ、顔を上げた。
『妾は言った筈じゃろうが、「立ち去れ、人の子ら」と。貴様、何時から人の身を捨てたつもりじゃ?』
少女は恐怖にがちがちと歯を鳴らし、女性を怯えた目で見上げるばかりである。
『…………嗚呼、鬱陶しい。何処へなりとも消え失せよ』
「……で、でも……私、生贄って…………」
おずおずと口を開いた少女を、女性は鋭く睨んで制止した。
『妾が何時、口答えを許した?』
「ひっ……!」

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cross over #4

蝉が生き延びようと懸命に鳴いている。鳥のさえずりは喜ばれるのに、なぜ蝉のあえぎ声には悪口を言われるんだろう、と首を傾げた。ジリ…目覚まし時計の労働を少しでも減らせるようにできるだけ早く止める。目覚まし時計の設定を切って目を閉じた。遠くで救急車のサイレンが鳴る。
半開きの目を擦りながら3度目の二度寝を終えた。ドアを開けようとして目の端に扇風機が映る。風量調節ができないお古の扇風機でもトタの周りの空気を変えていく。見れるチャンネルが1つあるお古のテレビで今日のニュースを確認した。タレントとアナウンサーが微妙な間を振り払おうとテンポの速いトークを繰り広げていた。CMに入ったところで今日は1回もお手洗いに行っていないことに気づいた。今日もついているであろう寝癖を隠すため帽子を被る。ミシッミシッと微かな音を立てながら階段を降りた。お手洗いに入り、ひと息ついているとついつい眠りそうになる。
蝉がほんの少しの間休息を取っていた。生ぬるい、さっきの番組と同じくらいの温度感の水が流れる。手を洗い、外に出た。銀色に近い日差しが背後から照らす。ぼーっと、強いて言えばさっきのテレビで交わされていた口論を頭に浮かべながら歩く。この街に越して来て約5ヶ月。最近は行きつけの店を作ることに必死になっている。今日は人が少ない平日だということもあり、少し遠いレストランまで出向いた。カランカランとドアがなる。
「いらっしゃいませ。」1つに結んだ髪が茶色に染まっている40近くの人が出てきた。
「え、と。1人で。」「あ、はい。空いている席へどうぞ。」
「や、うーん。」
「では、ごゆっくり。」早口でまくし立てるように言うと逃げるように去っていった。そういう気がしただけかもしれない。ただ、トタにはどうしてもそう見えてしまうような人だった。

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cross over#3

空は雲が1つもなく、どこを撮っても青しか映らないほどの快晴。自分なんか入る隙もない、などと愚痴りながら歩いている。高校生Aの黒い影が気になってーもともと猫のために通っていたあの道へ向かう。下に目を落としてゆっくり歩を進める。いつも以上に街が静かで自分の耳を引っ張ってみた。自動販売機の赤色が見えてくる。自動販売機はいつものように横にリサイクルボックスを携えて、そこにあった。人より遅い一歩がいつもの倍の速さで前に進む。一昨日と同じ景色。昨日と違う景色。車が一台、自転車が一台、過ぎていく。前にも自動販売機で飲み物を買っている人はいた。日々はいつもと同じように過ぎていく。なぜか鮮明に残る昨日のひと時を眺めながら、回れ右をした。靴屋を曲がり重いドアの前に着く。やけに大きく響くドアが閉まる音を後ろに階段を駆け上る。ナップサックを床に投げ捨てた。布団の上に転がり天井を見つめる。いつまでも心臓の動悸が止まらなかった。
「なんで、何でなんだろう。」
今まであの自動販売機の周りで人がいることに気づいても気に留めなかった。トタは何かを責めている。ふとちゃぶ台の上のラジオが目に入った。動くことにすら気が入らない。寝返りをして、電源を入れる。聴き慣れない声に感じる冷たさが今は心に沁みた。相変わらず明るく照らす陽がカーテンの隙間から差し込んでいた。

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五行怪異世巡『百鬼夜行』 その⑥

「……案、というべきか…………こういった状況に強い奴には、心当たりがある」
平坂は苦虫を噛み潰したような表情で答えた。
「へぇ、誰?」
「…………俺の身内に、少しな。だが……あいつをこんな場に出すのも…………」
平坂が考え込んでいると、突然彼のスマートフォンが着信音を鳴らした。平坂、白神、怪異存在達、その全員がびくりと反応する。
「…………?」
平坂が通話ボタンを押すと、電話口から彼の妹の声が聞こえてきた。
『兄さん。右端と右から3番目、真ん中、左から2番目』
それだけ言ってすぐに通話は切られたが、その頃には既に平坂は動き出していた。伝えられた個体『以外』に札を素早く叩きつけ、そのまま踵を返し、元の位置に戻ろうとする平坂の背中に、札を貼られなかった4体の“おばけ”が飛びかかる。
「ヒラサカさん!」
「問題無い」
平坂が指を鳴らした瞬間、周囲を覆っていた結界が消滅した。それに伴い、怪異たちの動きを妨げる力も無くなり、“おばけ”達の手が彼の背中に届く。
しかし、その手は強烈な反発力に弾かれ、反動で平坂の身体は前方に向けて吹き飛ばされた。
「ふむ、流石に動きの制御は効かんか」
地面に転がる平坂を、白神が助け起こす。
「だいじょーぶ? リーダー」
「ああ。そして」
杭のうち最後の1本を地面に突き立てる。同時に、“おばけ”達の動きがぴたりと止まった。
「準備は成った。失せろ、クズ共が」
5本の杭で囲われた範囲を中心として、強い閃光が広がる。その光は周囲の怪異存在全てを飲み込み、およそ1秒後。光が止んだ後には、紙札を貼られていなかった“おばけ”達だけが消滅していた。

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五行怪異世巡『百鬼夜行』 その⑤

「おい付喪神共。そっちの新入りもだ。手が空いているならついて来い」
平坂は札を貼った怪異たちを呼び、自分の後につかせて歩き出す。数m進んだところで、杭の1本を琵琶の付喪神に手渡した。
「それを持ってそこにいろ」
付喪神は弦を震わせながら杭を受け取った。角度を変えて再び歩き出し、次は琴の付喪神に杭を渡す。更に方向を変え、棒人間に杭を渡す。また進行方向を変え、鳴子の付喪神に杭を渡す。
最後に元の位置に戻ってくると、白神は大量の怪異存在に群がられていた。
「…………」
「あ、ヒラサカさん。準備終わったの?」
「ああ。そっちはどうだ」
「あと9人ってところまでは絞り込めたんだけどね?」
白神が指差した先には、全く同じ姿をした9体の“おばけ”が浮いていた。
白く半透明な身体、濁った瞳、足の無い雫型を上下逆にしたような体型。『如何にも』な外見のそれらは、全く同じ姿勢で等間隔でその場に浮遊している。
「…………これはまた、面倒なことになったな」
白神の周囲の怪異たちに札を貼りながら、平坂が呟く。
「そっくり過ぎて困るよねぇ?」
「……まとめて消し飛ばすか」
「それだけは駄目ぇー」
平坂は舌打ちし、神社の方に目を向けた。
「……どうしたものか……」
「ん? 何か良い案でもあるの?」

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cross over

リュックサックが湿っている。雨がしとしと降り出した。玄関に折り畳み傘を置いたままだったことを思い出した。雨が水溜まりを打ちつける音を聞きながら、地面を踏みつける。公園でサンドイッチを食べて帰ろうとスマホのマップで公園を探しながら歩いていた。あ、と、ふと足を止める。自然と足がいつもの抜け道に向かった。高校生に会うということは高校生くらいの歳のトタにとっては辛かった。ただひたすらあの自動販売機を目指す。大通りはご飯屋さんの昼メニューと夜メニューの入れ替えがあっている時間であることに加えて雨が降っているからか人がまばらだった。自動販売機の横には高校生Aの姿がない。その場所で開封されていない水のペットボトルが雨で濡れていた。トタが置いたものよりずっと多い、キャップの近くまで入っている水。服の裾でペットボトルを拭いて、リュックサックに入れる。靴屋さんを曲がると見慣れた景色が広がっていた。喉が渇いていることに気づいて、ペットボトルを開ける。ごくごくと小気味良い音を立てて、喉を通るいつもの水はいつもに増して美味しかった。
「ただいま。」おう、おかえり。と返ってくると斜め前に視線を置いたまま、帽子を深く被り直した。くせっ毛のせいで上手く帽子が浮き上がってくる。何度も繰り返しているうちに、見ていたらしくクスッと笑われた。トタもつられて口角が上がる。目のやりどころを探して外を見ると、雨が降っていたことを思い出した。