桜の木
折っちゃダメ
園児にそう教える保育士さん
「ほら、桜が泣いてるよ」
真剣なトーンでそう園児に言っている辺りさすがはプロだと思った。
でも僕は常々思う、なぜ擬人化するのかと
そんなことをするから相手の立場になる方法を誤るようになるのではないか
擬人化は優しさを知る上で大切かもしれない、でも同時に自分に分からないことを理解できなくなる
もし痛みを知らない子がいたらどうだろう
今見えてる景色の方がよっぽど平等だ
『桜は木に咲き乱れる姿が美しい』
と教える方が美術的感性も養えるのではないか
そう考えると教育というのはいくつもの崖があるように感じる
1本の桜の木はここまでの思考の余地を与えてくれる