5年前の今もいつも通り学校に通っていた。卒業を控えた小学6年生だった。
2016年の今日もいつも通り学校に向かっている。来月から受験生になる高校2年生だ。
5年前の約7時間後は嘘みたいな体験をする。なんなら大規模な避難訓練かと思っていた。
今から約7時間後はきっと目を閉じている。尊い命を亡くしてしまった方々への黙祷。今生きられていることへの感謝。
思うことはたくさんあるけれど、何より、自分が、自分の家族が、自分の大切な人たちが健康に生きられている奇跡を噛み締めたい。そして、これからの万が一に備えて同じ過ちを繰り返さない為の意識作りを、予定よりも遅れている復興への尽力を目指したい。
具体的に何が出来るか正直分からないのだけど、絶対に忘れることはないし、想いを注いで素敵な未来を目指したいな。
あれから、5年が経ちました。早いですね。とても大変だと思います。これからも、頑張って下さい。話が変わりますが、今日は、卒業式です。ついに、義務教育が終わると考えると、とても緊張します。なので、今日、3月11日は、とても大切な日です。
自分はまだ子供だし、何ができるかなんて分からないけれど
東北の現状を知って次の世代に伝えていこうと思います。
伝えたところで災害が起きなくなるわけではないけれど、
それでもやっぱり伝えなければいけないことだと思うので
苦しいかもしれませんが、気持ち等を教えてほしいです。
未来新聞読みました。様々な人の様々な意見を伺うことができて改めて震災がどれほど恐ろしいものか、どれほど辛いことかということがわかりこみ上げてくるものもありました。昨日校長が最後に黒板に書いたことにも胸を打たれました。「腹を括って生きる」。その中でも「東日本大震災は名前が付いているだけで全て日本で起こったこと。自分の家や庭で起こったことだから見過ごすわけにはいかない。」とても思い知らされました。確かに自分も「静岡で起きた事じゃないし」と思っていたなと思いました。これから僕が生きていく中で日本のどこかで起こることは日本で起こること思い「腹を括って生きていきたい」です。長文すみません。
5年たった。5年なんて時間関係ない!と言うように誰もが忘れずに今でも覚えている。そして手を差し伸べてくれる。それがとても嬉しくて、あぁ、人って素敵だなぁと思った。感謝の気持ちでいっぱいだ。私も5年前の光景をみた1人としてずっとこの出来事を未来に伝えていく。それが私に出来ることだ。私にできる事は何でもやっていきたい。5年前泣いていた友達にいつまでも笑って貰いたい。だから私は「人」を大切にする。「思い」を大切にする。「今」を大切に生きる。校長、教頭、教員、生徒の皆さん、ありがとう。皆さんの思いに救われている人が沢山います。もちろん私もです。SOLの生徒になれて良かった。皆さんの事が大大大好きです!ありがとう!
5年前のあの日、僕は中学1年生でした。
船に揺られてるような大きな横揺れ、
机の下へ潜って、その時隣の女子が
「怖い…」と言いながら震えてたこと、
理科室の水槽の水が外へ飛び出してたこと、
揺れがおさまり雪が舞う校庭へ避難したこと、
その後教室へ戻り先生がつけたテレビに
映った映像に言葉をなくしたことなど
今でも鮮明に覚えています。
あの日からの5年間。
たしかに報道の内容や人々の思ってることに
変化が起きてきていると感じます。
今晩の放送を聞いていても
たくさんのことを考えました。
大きな被害を
実際に目の当たりにした人とそうでない人で
たしかに思うことや考えることは違う。
分かろうとしても分かり合えない
大きな見えない壁のようなものもある。
忘れちゃいけないと思う人や
忘れたくても忘れられない人
いろんな人がいる。
でもいろんな人がいるそんな中でも
みんな共通して言える大事なことは
“同じ悲しみを繰り返してはならない”
ということだと僕は考えます。
1億人いたら1億人全員に
あの日のことを想い出して決して忘れるな!
と言う必要は無いのかなと思います。
忘れたらダメだと思う人もいれば
辛いから思い出したくないって
思ってる人もいます。
だから全員が無理して想い出す必要はない。
だけど、あの日のことを
無かったかのように忘れて、
また同じような災害が起きた時に
同じことを繰り返してしまうのは、
それは違うと思います。
あの日のことを忘れないなら忘れない、
想い出さないなら想い出さない。
それはそれぞれの自由です。
でもあの日のことは事実として受け止めて
教訓とし、これからに繋げていく。
もう二度と同じ悲しみを繰り返さない。
その為にそれぞれができることを考え、
行動に移すことが大事なのかなと思います。
先日、福島の「アクアマリン」に行った。最初に見た光景は何事もなかったように見えた。
しかし、プロジェクターで講話を聞くと、ものすごく悲惨な光景と現実だった。3.11に魚たちも巻き込まれ生きてはいなかった。通路にはヒビが割れそのヒビから水が溢れて人が飲み込まれていた。
なのに、4ヶ月で再オープンできたのはものすごく心打たれました。
従業員の手で再び立ち上げた姿に涙するしかありません。
1匹の生き物は震災を乗り越え今も生きてる。その生き物を救ったのは1人の従業員。学校の理科室で命をつなげたそうだ。その話を聞いて、人と人、人と動物、動物と動物。そのような繋がりはほんとに存在し、誇りに思った。
講話をしてくれた先生は、こう言ってくれた。「福島は元気です。」と。
「まだまだかもしれないけど、確実に前に進んでます。」と。
私はその言葉を聞いて、先生が言った言葉を家に帰って伝えることが私にできることだと思った。伝えなきゃ伝わらないと。言葉にしないと分からないと。そう思った。
私はまたアクアマリンに足を運びたいと心から思った。
そして、風化なんてさせないと思った。
少しだけど、できることは募金だと思った。
「忘れてはいけない」は被災してない人の言うこと。この言葉にすごく衝撃を受けた。この五年、忘れてはいけないとニュースや政治家が口々に言っていて、自分もそうだと思ってた。でもそれはただ言ってるだけで本当に被災者の気持ちを考えきれてない。そう思わされました。これから自分は何をしたらいいのだろう?1年に一度原点に帰れる日です。明日は学校ないけど黙祷は自分でしっかりやろうと思います。
人間誰しも、経験しなきゃ何も分からない。
震災だってそう。実際の恐怖を味わった人にしか分からない想いがある。
原発についてもそうだよ。
単に原発は廃止だ!って叫んでても、それまでの生活を支えていたのは原発なんだし、そのおかけで今まで幸せに暮らせてたと思うと、もう少し違う考えを持てるんじゃないかな。
最近は目先のことばかり言いすぎて、大事なことを忘れてると思う。
やっぱり、生きるって難しい。
もう5年。
まだ5年。
感じ方は人それぞれ。
ただ、どんな事があったのか
人々がどんな苦しい思いをしたのか
それだけは忘れてはいけない。
僕は5年前のあの日、部活動中で剣道をしていた。お面をかぶって竹刀で叩いたり叩かれたり。あんなに大きな地震だったのに、顧問の先生に言われるまで部員は誰1人として気づかなかった。
すぐに帰宅するように指示があり、家に帰ると弟たちが既に帰宅していた。ニュースが流れていた。どれくらい経った後だろうか。海が襲ってくる映像がテレビに映った。さっきまで動いてた車が津波に押し流された。まだ、中に人がいるのは明確だった。中学生だった僕は何が起きたか整理がついてなかった。ただただ怖かった。
あれから5年。まだ津波の爪痕が残っている場所がある。仮設住宅に住んでる方々も大勢いる。はやく、安心した生活が送れるように、僕らも協力しなければならない。
つたない言葉だったけれど、聞いてくださってありがとうございました。
少しでも皆さんに伝わったら嬉しいです。
「他人事としてではなく、自分事として捉える事」という一番伝えたかったことを伝える事ができたので良かったです。
難しい事かもしれないけれど、「もし自分の身に起きたら」ということを考えて、何かあったときに後悔しないようにしてほしいです。
同じことを繰り返さないために…。
私も周りの人にたくさん伝えていきます。
伝えるのは震災の経験だけじゃなくて、いいところもいっぱい伝えて、福島を震災や原発のイメージじゃなくて、こんなに美味しいものステキな場所がたくさんあるところなんだってことを知ってほしいです。
今日はありがとうございました!
放送聴いて改めて震災のことを考えさせられました。
今の自分の生活がいかに恵まれているか、正直5年たった今ではそこまで頻繁に被災地のことを考えていなかった自分がいたことを情けなく感じました。東北のみなさん本当にごめんなさい…
今の自分にできることは微力かもしれないけれどできることがあるならば、少しでも復興の助けになれるよう全力を尽くさなければならないと思いました。
何ができるかわからないけど東北のためにできることをやっていきます
今日は3月11日
忘れられないこの日
5年前はまだ小学5年生だった私が、今はもう高校1年生となりました
普段は勉強する事がめんどくさくて、遊んでばっかりの毎日を過ごしている私ですが、
大震災では、そんな何気ない毎日をもう過ごせなくなった方がたくさんいるのだなと改めて感じさせられました
絶対に震災が起きた事実を風化させてはいけない
少しでも出来る事があれば、何でもやりたいなと思いました
震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします
なんでもかんでも「これはこうだからこう」って決めつけちゃうのは危険なことだと思います。なかには我慢してた人もいたかもしれませんしね。たとえば、小学校のとき、毎回給食で唐揚げを譲ってくれてたのも、ほんとはその人の善意によるものだったのかもしれませんしね。それは聞いてみないとわからないです、正直。
震災があった次の年の夏休みに家族で福島に行くことに。
1年経つというのに打ち上げられた船が未だ放置されているところもあった。テレビで報道された建物にも行った。言葉が出なかった。家族と相談して募金も含めて福島県で沢山お金を使っていこうって話になった。
屋台村というところを訪れた。僕の地元にもある屋台村。父がそのグループの一員であり、群馬と福島の屋台村は姉妹グループなんだと案内してくれた。周りは津波の影響で何もなかった。けど、屋台村だけが簡単な作りではあったものの沢山の人で溢れていた。そこで食べた海鮮丼。少し高いものを頼んで食べた。とても美味しく感じた。そこのお店には津波で船も何もかも流されてしまったが唯一船につける旗が外国に漂着、戻ってきたのだという。お店に飾られており、亭主さんは中学生の僕に沢山のことを話してくれた。
地震から5年、被災地を訪れてから4年
今、福島県などがどうなっているかわからないが
1秒でも早く、仮設住宅に住んでる方々が安心した生活を取り戻せるよう、日本政府には努力してほしい。
あと、1週間で卒業です!
でも、1ヶ月くらいある友達が私に怒っています…。他の友達に理由を聞いたら、私が話に入るのはいいけど、話を肯定するのが嫌だって言っているらしくて、ちょっと理解できません。私がいるところには来ないし、私が話に入るとわざとらしく他のところに行きます。何もしていないの
に、こっちが気を遣わなきゃいけないし、すごく腹が立ちます。
どうしたらいいと思いますか?
あと14時間あまりで、本当にあれから5年が経とうとしている。もう5年なのか、まだ5年なのか。個人的には、どっちも。あの日のことは克明に覚えているのだけれど、はるか昔のことにも感じてしまって。5年も経って、思うところは山ほどあるけれど、本当に本当に願いたいのは、被害にあわれた皆さんがおだやかな生活を、早く送れるように、そういうことなんだ。そして世間的には、5年が区切りみたいな報道をされがち。でも、そうは思わないでほしい。まだ家族の方が行方不明の方々もおられる、故郷を追われて帰れない人々もおられる。沿岸部では必死な復旧作業が続き、原発では賢明な廃炉作業が行われている。みんな前に向かうために頑張っている。まだまだ終わっちゃいない、これからなんだ。そして直接被害を受けなかった私たちが最低限すべきこと、震災のことを頭の片隅にとどめておくこと。そして、本当にときどきでいいから思い出すこと。忘れてしまったとき、復興は完全にストップする。校長と教頭のリポート見た。そしてともぼーちゃん、元気そうでよかったです。うまくまとまらないけど、こんな感じです。
未来新聞、読みました。
3つくらい読んでいたらいつの間にか涙が止まらなくなっていました。
私が震災を経験したのは小学3年生の時。
学校の授業中に地震があり、校庭,道路は液状化でドロドロに。停電が続いたり水が使えなかったり…。不便な事だらけで部屋からでなくなったりしていたけど、未来新聞を読んだらその当時過ごしていた私に1発パンチを入れたくなりました。
東北にいた方は家がなくなり家族、友達がなくなり、私よりも辛い経験をしてきたと思います。まだ辛いと思います。けどこうして、未来新聞に自分の経験した事を書いてくれて私も負けてられない。とか私がここで折れてどうする。って思えるようにしてくれました。まだまだ震災前のような生活は出来ないかもしれないけど同じ空にいる以上、みんなで支えあって頑張りましょう。
とあるテレビ番組で昔の津波の記録(ここに家を建てると流されてしまう、といった)石碑があったという話を聞きました。
昔は石碑によってしか後世に津波のことを伝えられなかったかもしれない。でも今、現代に生きる私たちは例え遠く離れていても、誰でもメディアで情報を知ることができるし、記録を残すこともできます。
今日のようにラジオで被災地の人々の話を聞くこともできる。
今、生きている限り私たちは震災のことを記憶し、記録していかなければならないと思います。
とーやま校長に書き込みを読んでもらって、改めて自分の書いたことをやっていこうと「腹をくく」れた。
この学校には、日中に通う学校とは違って、3.11のことを真剣に考えている人がいっぱいいる。掲示板の読み切れないほどの書き込みと今日の授業を聞いて、明日、学校で友達と3.11について話したいと思う。みんなと想いを共有できたらいいなぁ。
ちなみに、明日は日番です。だから、日誌を書く日です。ちゃんと、3.11のこと書きます。今日の授業のことも、考えたことも。
今日は登校できて本当に良かった。何度も何度も、って感じだけど、「未来新聞」に記事を書いてくださったみなさん、掲示板に書き込みをしてくださったみなさん、本当に本当にありがとう。
2011.3.11→2016.3.11
未来新聞、少し読ませていただきました。
東北の生徒さんの想いが、願いが伝わってきた感じがしました。
西日本に住む私も当時の現状はメディアでしか知る機会がなかったのですが、この5年間で震災について様々なことを考えました。
でも、まだあれから5年です。この先も、1日も早い復興のために私たちにできることはまだたくさんあるはずだと思っています。
これからも、未来について少しずつ考えていきたいです。
今日のラジオを聴いて、当たり前に生活できている毎日に感謝をしようと思いました。いずれ、私の住んでいる所にも南海トラフ巨大地震がくると予想されているので、一日一日を大切にし、過ごしていきたいと思いました。