瞑目して集中していた平坂は、開始の宣言と共に目を開いた。
4人を囲う結界の周りを、一つの小さな影が蠢いている。
生徒の方に注意を向けると、4人とも恐怖からか目を固く閉じているようだった。
平坂が隣に立つ犬神に目をやる。犬神は、先程平坂から受け取った砂の入った小袋を持ち上げ、小首を傾げて見返していた。
(使おうか?)
目だけでそう問う犬神に、平坂はまだだ、という意味を込めて首を横に振る。
再び影の方に視線を戻すと、その影は四足にて結界の周囲を歩き回りながら、蝋燭や盛り塩に触れては身体を仰け反らせていた。
平坂はその様子をしばらく眺め、徐に1枚の御札を床に落とした。
影は歩き回る軌道をそのままにそれを踏み、何事も無く通り過ぎる。
「…………」
黒く変色した御札を拾い上げて鞄に放り込み、代わりに取り出した金属製の円盤を床に置く。影はそれも問題無く踏みつけて通り、金属板は中央から真っ二つに割れてしまった。
(……奇妙な霊だ。結界を破る力は無いにも拘らず、いざ殺そうとすると高い耐性で抗ってくる。力が強いのか弱いのか……)
続いて短刀を鞄から取り出し、ゆっくりと影に突き立てようとする。影は急に動きを止め、身を捩り短刀を回避した。
近づいてよく見ると、鞄を背負ったまま頭から突っ込んでいた。
カナは、恐らく20代そこそこだと思われるこの男性に声をかけた。
「もしもーし」
『......』
「いきてますかー?」
『......』
返事は愚か反応すらない。
軽く肩を揺さぶると、ゴロリと首が落ちた。
「あー、あの、たいへんもうしわけないのですが、」
『.......』
「あなたのかばんについているラジオをいただいてもよろしいでしょうか?」
『.....』
「わたしのものは3日まえに壊れてしまったので」
『.......』
理由もしっかりと伝える。
エミィは悪趣味だと言ってあまり好まないが。
「ありがとうございます、ではありがたくつかわせていただきます。」
『.......』
「それではおげんきで。」
『......』
今まで一言も発しなかった、
ーと言うか発せる訳が無いのだが...ー
死体の青年に背を向け、カナはスキップでテントへ
戻っていった。
耀平は気にせず続けた。
「…あの人、本人が気付いてないだけで多分異能力者だ」
うっすらながら気配があるし、と耀平は付け足す。
「でもその事をなぜか忘れているから、下手に異能力の事を知らせたら混乱する」
だからお前が連れて逃げてくれ、と耀平はわたしに懇願する。
「…分かった」
有無を言わせぬ耀平の口調に気圧されたのと、せっかく仲良くなったあま音さんを守りたいと思ったから、わたしはうなずいた。
そして、行きましょうとあま音さんの腕を掴むと、わたしはその場から走り出した。
こうしてわたしとあま音さんは公園から逃げ出した。
あま音さんはちょっと待って!とわたしを止めようとするが、わたしは立ち止まらずに無心で走り続けた。
やがて寿々谷公園から少し離れた所にある川にかかる大きな橋にわたし達は辿り着いた。
「ここまで来れば大丈夫かな…?」
わたしが橋の中程で立ち止まると、すっかり疲れてしまったあま音さんは膝に両手を当ててへたっていた。
シオンはエリザベスをおんぶし直し、とりあえず外に出ることにした。
「水が引いている今のうちですわ!核には逃げられてしまいましたが、右半身を破壊したので、本体もいくらか怪我をしているはず…」
「そうだね、リサちゃんは怪我ないかな?痛いとことか」
「…ありませんわ、お気になさらないで」
エリザベスはシオンの背から降りることを諦めたようだった。絶対に降ろす気などない力持ちにこれ以上の抵抗は無駄だと考えたのだろう。
「ねぇ、さっきの『シルバーバレット』ってなに?」
「シルバーバレットというのは、もともと狼男を倒せる武器のことですの。銀の弾、という意味ですわ。私の固有魔法は、本来は銃ではなく爆弾なのだけど…詠唱によって発動するタイプの魔法ですの」
「へぇえ、なんかかっこいいね!爆弾だったんだ…」
「銃から弾丸の代わりに爆弾を飛ばすイメージですわ。私、魔力量が少ないのでこうするしかありませんの」
シオンの足の損傷はやはり激しかったのか傷が塞がるまでのろのろと歩くしかなく、階段を降りている途中に核が完全復活を果たしてしまった。
彼がむせかえるような日差しから逃げるように彼の部屋に入り込み、設定温度23度のエアコンをつけたのと同時に私は室外機にむっと顔を近づけ、溢れ出る内情を押し殺してしんと彼の香を鼻腔に閉じ込めます。
彼の毛穴は熱され、開き切っています。それが冷やされ、絆され、逆らうことできずに収縮する瞬間、彼は無意識の中に汗ばむ気体を発生させました。それは今私の気道を通り、そして血管に溶け込んでいます。そしてひしめき、歓喜する臓器を横目に、また逆らうこともできず私の鼻から吐き出されるのでしょう。そのことを脳裏にしがみつかせた私はきっとこれからもあなたの顔をした北極星瞬く茨の道を歩くのでしょう。その先に誰がいるやもしれぬ道をただ一人で歩くのでしょう。