青葉が振り返ると、カオルの上半身だけが現れ、右手で青葉の身体を抱き締めるようにしながら白神を睨みつけていた。
「か、カオル⁉」
「……ワタシ、こいつ好きじゃない。さっきの電撃、ただの電気じゃ無かったでしょ。嫌な感じがした」
「そうなの?」
きょとんとして尋ね返す白神をしばらく無言で見つめてから、カオルは溜め息を吐いて表情を少し和らげた。
「君、カオルちゃんっていうの?」
「まあ。親しんでもらうための渾名みたいなものだけど」
カオルはややぶっきらぼうに答えた。
「カオル、〈薫風〉が無くても出てこれるの?」
「そうだよぉワタシの可愛い青葉。半分だけだけどね」
青葉の問いかけには、輝くような笑顔と明るい声色で答える。
「今のワタシは、魂の半分をワタシの可愛い青葉の愛刀に、もう半分をワタシの可愛い青葉自身に宿しているの。ワタシはいついかなる時でも、ワタシの可愛い青葉を守れなくっちゃだからね。それよりも、ワタシの可愛い青葉?」
「な、何?」
「今の状況、霊的な意味ですっごく嫌な感じなんだけど、分かる?」
青葉はその問いかけに、恐る恐る首を横に振った。
ハルパ達を追跡しようとしたビーストが、勢い良くその場に倒れ込む。
「よし、着実に『根』が伸びてる」
「うぃ」
ビーストが数秒の苦心の末に右前脚を持ち上げると、その足裏から黒色の枝分かれした長い棘が突き出している。
「……ある伝説に登場する英雄の扱ったとされる、『必殺』と謳われた槍の名だ」
ハルパに担がれたまま、男は誰にともなく呟く。
「その由来は何てことはない。貫いた瞬間、穂先は無数に枝分かれした棘に変形し、敵を体内から破壊する。どんな生き物も、内臓は柔らかいからねぇ」
「はぇー…………」
「あれ、ハルパ知らないでこの技名使ってくれてたのかい」
「マスターが、くれた名前だから……」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
「んひひぃ」
距離を取ろうと走り続けるハルパの背後で、湿った破壊音が響く。2人が振り向くと、棘の増殖によってビーストの前脚が千切れて落下する瞬間だった。棘は更に長く、数を増やしながら伸長を続け、そのうちの1本はビーストの肉体を突き破って山羊頭の脳幹を正確に撃ち抜く。
「おやラッキー」
「んー」
ビーストの獣頭が炎を吐き出そうと口を開くが、伸びてきた棘に縫い合わされ、口腔内で暴発する。
煙幕の薄れつつある中、少女キリは片手剣を右手に握り直し、再びビーストに突撃する。閃光手榴弾を投擲しながらビーストと衝突する直前で直角に曲がり、そのまま背後に回り込む。閃光弾の光と音に一瞬気を取られたビーストの隙を突いて振り下ろされた斬撃は、鱗に深い亀裂を走らせた。
「チィッ! まだ軽い、ヴィス!」
「了解!」
“ヴィス”と呼ばれたドーリィは頷いて指を鳴らした。瞬間、キリの手の中に“ドーリィ”ヴィスクムの固有武器、7本の片手剣のうちの1本が現れる。
左手の剣による刺突は、鱗の亀裂を正確に捉え、砕き、その奥の肉に深々と突き刺さった。
想定外の痛覚反応に、ビーストは9つの頭部で咆哮をあげながら、全ての頸で牙を剥き、一斉に頭突きを放つ。
「スワップ!」
ヴィスクムが叫ぶように言い、手を叩く。
瞬間、2人の位置が入れ替わり、ヴィスクムは両手に握っていた剣で敵の攻撃を受け流しきった。
「ぎりぎりセぇーフ……」
短距離転移によって“マスター”キリの隣に移動し、そちらに向き直ったビーストと睨み合う。
「身体の調子は大丈夫、キリちゃん?」
「いや全く。多分内臓駄目になってる。骨と筋肉も」
「全部駄目じゃん」
「ただの人間なんで」
「んー……とりあえず、順番にスワップしていこう。お腹の中から順番に。脚は動く?」
「……動く」
「それじゃ……ゴー!」
ヴィスクムが手を叩くのと同時に、キリはビーストに向けて駆け出した。
「…」
ナツィは思い切って扉を開けることにした。
そっとドアノブを回し、扉の隙間から中を覗き見る。
そこにはナツィにとっては見慣れた、誰もいない書類や荷物の多い部屋が見える。
気のせいか、と思ったナツィは扉をゆっくり開き、室内へ片足を踏み入れた。
その時だった。
「!」
誰かが部屋の奥の机の陰から飛びかかってきたのだ。
ナツィは咄嗟に黒鉄色の大鎌を出し、相手が持つ太刀を受け止めた。
「…」
相手はボロ布のような頭巾付きの外套を身に纏っていたせいで顔がよく見えなかったが、その身から滲み出る魔力の気配から人間でないことがナツィにはよく分かった。
「…っ‼︎」
ナツィは思い切り鎌を振り回し相手の武器を弾く。
太刀は高い音を立てて部屋の床に落ちた。
相手は一瞬驚いたようによろめくが、すぐにその背後から光弾が飛んできた。
ナツィは慌ててそれを避ける。
見ると部屋の奥の机の陰から先程の太刀を持った人物と同じような外套を着た人物が、黄色い魔力式銃を構えて現れた。
ソレの目の前の女性、右手の武器から推測するに“ドーリィ”であろう彼女は、ビーストの拳を回避することも無く胸部を貫かれた。
腕は彼女の肉体を貫通し、背後にまで抜ける。しかし、手応えがおかしい。肉や骨を砕き押し退けた感触が無い。彼女の背中から突き出る腕の長さも、本来想定されるより僅かに長く見える。その差、ちょうど彼女の胴体の厚みに等しい程度。
「っはは、どうだ驚いただろ。お前が言葉を理解できるかは知らないが、勝手に自慢させてもらうよ。私の魔法、『肉体を“門”とした空間歪曲』。ざっくりいうと、『私の身体に触れたものが、私の身体の別の場所から出てくる』。要するに……」
フィロの刺突と同時に、ビーストは飛び退いて回避する。
「お前の攻撃は全て、私を『すり抜ける』」
ビーストが尾で薙ぎ払う。フィロはそれを跳躍して回避し、地面に突き立てた短槍を軸に蹴りを仕掛ける。
「ところで化け物。私の魔法、一見防御にしか使えなさそうに見えるだろ? ところがどっこい、面白い特性があってさ。“門”にするのに必要な『身体の一部』って、切り離されていても適用範囲内でさぁ」
フィロが懐から、小さな骨片を取り出す。
「これ何だと思う? 正解は『私の左腕の尺骨の欠片』」
フィロは骨片をビーストに向けて放り投げ、『自分の足』に槍を突き立てた。その刃は空間歪曲によって骨片から現れ、通常ならば在り得ない角度から刺突が放たれる。身体を折り曲げるようにして回避したビーストは、逃げるようにその場を離脱した。
「む……私にダメージを与える手段が無いからって逃げるのかい。まあ……あとはあの2人に任せるとするかね」
「ところでさ」
「ん、どうしたフィスタ」
「アリー」
「何でも良いだろ」
「名前なんですがぁ? 一番何でも良くない場所でしょー?」
「……いやまあ、うん。たしかに。これ俺が悪かったな」
「分かればよろしい。で」
「うん」
「けーちゃんって私のこと好きじゃん?」
「何か語弊があるな?」
「あーうん。けーちゃんって私の音楽が大好きじゃん?」
「うん」
瞬間移動によって彼の手の中から抜け出し、彼の目の前に現れる。
「右手、出して?」
「え、何いきなり。っつーか足治ってないんだから勝手に抜け出すなよ」
ケーパは宙に浮いていた私を捕まえ直してしまった。
「ノリ悪いなぁ! せっかくあんたを私のマスターにしてあげようと思ったのに」
「何馬鹿なこと言って…………はいぃ⁉」
あいつが急ブレーキをかけた。ビーストはすぐそこまで迫ってるんですが。
「チトニア、頼らせてもらう」
「うん!指示ぷりーず!」
いつの間にかチトニアは梓の腕にべったりくっついていて、はしゃぎながら斧を渡した。
「じゃあ早速だけど。ゴルフの要領であの看護師を飛ばしてほしい」
短い指示だが、チトニアはその意味を正確に理解した。梓は常に片手を塞がないと目が見えない。更に、貧弱な梓は片手で斧を振るうことはできないため任されたのだ、と。チトニアは斧を振りかぶり、平らな面を看護師の腰に当てた。
「きゃっ!」
うまい角度で飛ばされ、看護師は病室の外へ。すかさずチトニアはベッドをひっくり返して病室の入口を塞いだ。幸いこの病室には梓しかいなかったのでベッドは有り余っていた。
「…強いな」
「パワー型だからね!」
梓が戦うのを宣言してからこの会話まで、およそ30秒。ビーストは蛇口から出切った。それは細長いおびただしい量の人間の腕の塊に、頭や胴体と呼べるものはなく、魚の尾びれのようなものが大きく一つついている姿をしていた。
「ビーストってなんか能力使う?」
「使う子もいるよ?ビーストって皆大型だけどこいつ小型だから、こいつには『大きさを変える』みたいな能力があるかも」
「なるほど…」
ビーストは、悲鳴ともつかない雄叫びをあげた。
宇宙の彼方に広がる暗黒物質
人は其処にたどり着いたことはない
いや、たどり着けないだろう
私があなたの心にたどり着けないように
宇宙の彼方に広がる暗黒物質
そこには神秘が広がっている