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ミセス先生はじめまして!

ミセス先生こんばんは
初書き込みです。
今までミセスLOCKS!は聴いていたのですがなかなか書き込む勇気が出ませんでした。
今回書き込んでみようと思ったきっかけはSoranjiです。
僕にとってミセス先生は初めてはまったバンドで、好きになって以来ずっと聞き続けています。
今回のミセスLOCKS!を受けて信じるということについて考えました。
僕自身友達に恵まれており、信頼関係は充実していると思っています。
しかし、「自分自身のことを信じる」というのと「ほかの人を信じる」というのは別のニュアンスを持つ全く別のコトバという風に感じます。
あくまで個人の感想なのですが、「自分自身を信じる」というのは自分で決めたことを貫き通し、それを達成することで得られるものなのではないかと考えます。
僕の一意見としては「自分自身を信じる」ということは達成感に結びつけて考えます。
「ほかの人を信じる」ということは期待なのではないかと考えました。
例えば、人間不信というのは人のことを「信じる」ことができないのであって、他者への期待が壊れることによって生まれてしまうものであると思います。

単に「信じる」と言っても対象の違いによって大きく変わるのかなと考えました。
「信じる」ということについて考えたことを踏まえてSoranjiを聴きます。
普段はこんなに深く考えもしなかったのにいい機会になりました。
今後の学校生活にもこの教訓を生かします。
ありがとうミセス、信じてます。

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信じるということ

愛と想いと願い、求めていたものと違っていたとしても許し受け止める
ということでしょうか元貴先生

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こんばんは!!

ミセス先生こんばんは!
ゼンジンsold outおめでとうございます!!
どんなライブなのかとても楽しみです!
私は、落ち込んだ時ミセスの我逢人を聞いて元気を出しています!
ミセス先生のオススメのリフレッシュ方法は何かありますか??
これからも応援しています!頑張ってください!!

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信じる…

先生方、こんばんは。

改めて、今回の授業を経て、さらにSoranji聴いて、"信じる"とは何か、思い返してみました。
ですがやっぱりそう簡単に出るものではなく、
逆に軽率に使ってきた自分を反省するまでに至っております。

個人的に自分を客観視し、自分自身の分析をよくするのですが、
その中で一つ、自分の中の答えに近いのかなと思える事があります。
「自分に対して嘘をつきたくない、自分が決めたことからは目を逸らしたくない。」
という事です。
僕にはある夢があって、たまに自信がなくなることが多々あるのですが、それでも自分で決めたことなのだから、走り続けるしかない。
そう思うと、少しだけ、気持ちが落ち着くと言うか、軽くなれる気がするのです。
ある意味迷走ともとれますが、それでも自分の決めたことだけは曲げない。
そういう意志が、僕にとって"信じる"ということに繋がるのかな、と思いました。

あくまで僕個人の話で、僕自身も胸を張って言えたことではないのですが、やっぱり時間をかけてでも、"生きる"、"信じる"と言う事を、深く、向き合っていきたいなと思いました。

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トリックオアトリート!

ミセス先生こんにちは!もうハロウィンですね!
ミセス先生たちの仮装を見て思った以上にびっくりしました!ところで!ミセス先生は小さい頃になんのお菓子を必ずもらっていましたか?ちなみに僕はマシュマロです

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ゼンジン!!

ミセス先生こんばんは!!
ゼンジン未到とリライアンス〜復諳編〜 、ソールドアウトおめでとうございますー!!
この前の一般販売で!なんと!!チケットを勝ち取ることができました!!めちゃめちゃ嬉しいです〜〜
今回の一般販売は、どの公演も10秒ぐらいで売り切れたらしく、チケット取ることがでたのはもう一生分の運を使い切りました笑 無事ツアー完走することをJAM'S全員が願っています!!楽しみです!!

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信じるの対義語

ミセス先生こんばんは。

前回の大森先生の言葉を聴いて、私も考えました。
「信じる」とは何か考えてみると、とても抽象的で言い表せなかったので、「信じない・信じれない」とはどういう状況かを考えることにしてみました。

その中で私がたどり着いた「信じる」とは、
「受け止める」でした。

信じない・信じれない時というのは「傷つきたくない」という思いが裏にあるような気がして、
しかし傷ついてしまうのは「期待」をしているから。

ここで期待することと信じることの違いとは、どのような結果になっても受け止めることができるかどうかであるという風に考えました。

何が正解か、正解はあるのかは分かりませんが、考える機会を下さったことに感謝しています。

これからも「考える」ことを大切にしていきたいです。

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信じる

「どんなに残酷な現実を知っても、どんなに裏切られても、その対象をどうしようもなく自分の思う理想像と重ねてしまうこと、裏切られてるわけじゃない、だめになったわけじゃないと思って、希望を抱え続けてしまうこと」かな…と思いました。だから「信じる」ことも「信じられる」こともある意味呪いのようになってしまいそうだし、大森先生の言った「見返りがないと信じれない人」っていうのはきっと私もそっち寄りで「信じられる」とそんなに君が思うほど素敵な人じゃないし裏切りだって、傷つけることだってたくさんあるよ、思ってしまったり逆に「信じる」ことは自分が誰から「信じられる」ことを受け入れられてないから出来ていないな…とか色々考えました。Soranji、もっとたくさん聴き込みたいなと思います。

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信じる

あくまで勝手な解釈ですが、自分なりの答えを出したい、進むべき道が見えることだと思うんですけど、Sorangjiの楽曲としては神様に縋るような、人の弱さとか憂いに近いものを感じました。安心感を得る(リスク)があって、傷をつけて自身を慰撫することが信じる根源だと思いました。それを外に押し付けると期待に変わるし、自分の中で完結させるものだと思います。

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Soranji

ミセス先生こんばんは!
つい先日映画館に行った際「ラーゲリより愛をこめて」の予告が流れたんです!!
1人だけテンション上がってしまってずっとイヤホンや携帯でしか聴いてなかったので初めて映画館という大音量のところで聴いてイヤホンとか携帯で聴くよりも迫力が凄かったです!映画公開楽しみです!