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台風一過

巨大積乱雲がふつうの積乱雲になって空はこころなしか高くなり

欄干から見下ろすと

制服姿の君が自転車を押しながら手を振っていた

本当に好きになってしまうとものにしたいという気持ちより嫌われたくないという気持ちのほうが先立ってしまうって君の言葉を思い出し

僕はなすすべなくすべすべの君の焼けてない頬に手をふれるイメージにひたった

落ちこぼれの僕は覚えようとしても覚えられないことばかりなのに忘れようとしたことは覚えている

気づいたら君は僕の後ろにいて

強い風に長い髪をなびかせてた

口に入りそうな髪を僕は指先でよけてやり

ついでに毛先から髪をすいた

髪は毛先からすくのが美容師のやりかたなんだ

うん

知ってた?

うん

ううん

僕のこと好きだろ

うん

ううん

すべてはささいなことだと

すべすべの頬を手の甲で撫でながら思った

大人になったつもりだったが

もやもやがつのってただけだった

もやもやは上昇気流に乗って

来年の積乱雲になるのだそうだ

自転車のベルにはっとし

僕は鞄を肩にかけなおして

バス停に向かった

気だるそうな長い列が

バスに吸い込まれ

マフラーから吐き出された

吐き出された人たちは

上昇気流に乗って雲になり

雨を降らせた

雨に濡れながら僕は

今日は会社を休もうとスマホを取り出した

夏が終わる

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 子どものころ、浦島太郎の話をきいたとき、とてもショックだった。
 竜宮城で楽しく過ごしてたらえらい月日が経っていたこと。さんざんちやほやしてくれた乙姫様からもらった玉手箱を開けたら老人になってしまったこと。なんて不条理な話なんだ(こんな難しい言葉ではもちろん考えなかったが)と思った。
 だがいまは違う。
 そもそも浦島太郎の暮らしていた漁村なんていくら年月が経ったところで大した変化はないだろう。
 でもさー、知ってる人がみんな死んでたら嫌じゃん、なんて考えるのはナンセンス(昭和のフレーズだ)。そんなことがつらいと感じるような人物だったらすぐにホームシック(これも昭和のフレーズか)になって帰っていたはずだ。
 だいたい竜宮城でさんざん楽しい思いをしたあとに漁師の生活に戻れんのか。
 キャバクラと高級ホテルが融合したような施設で過ごしたあとにだ。
 いい若者が思い出に生きるのはつらい。
 思い出と思い出話は老人にこそふさわしい。
 浦島太郎は実は玉手箱をもらった時点でわかっていたのかもしれない。玉手箱の中身と、乙姫の最後までゆき届いたサービスを。
 こんなことを暗い部屋で考えているとますます昭和になってしまうので出かけようとドアを開けたらミシシッピアカミミガメがいた。いわゆるミドリガメだ。猛暑のせいかぐったりとしている。いや、カメだからぐったりしてんだかどうなんだかははっきりとしなかったが──ミシシッピー州、関東より暑そうだし──水分は必要だろうと、とりあえず心優しい俺はコップに水をくんできて、かけてやった。
 するとどうだろう。カメは俺に礼を言ってから、ついてきてくださいと俺をうながした。俺は素直にしたがった。なぜかってーと暇だから。
 けっこうな距離を歩くと沼が見えた。カメが沼に入った。あまり気が進まなかったが、まあここまで来たのだからとあきらめて俺も入った。
 岩かげから女が出てきた。カメに、乙姫だと紹介された。まあまあのブスだった。
 しょうがないよな、沼だから、と、俺は乙姫につがれた麦焼酎を飲みながら、コイやフナの素人くさい踊りをぼんやりとながめた。

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流転(後編)

 るなはかまわず、わたしを紹介して、空いている席に着くよううながした。わたしが着席すると、扉が開き、生徒が三人、入ってきた。こちらも初めて見る顔。イケメンが二人、美少女が一人。
「先生、僕たちも紹介してください」
 イケメン二人がユニゾンで言った。
「これは、あなたたちのしわざね」
 抑えたトーンで、るなが言った。
 イケメン二人が何か言おうとするのを、るなは手で制した、ように見えた。
 イケメン二人が口から血を吐いて倒れた。
 美少女が動いた。おそらく、るなと同じ能力を持っているのだろう。るなが倒れた。
 美少女がわたしにゆっくりと近づいてきた。わたしに手をかざす。わたしは目を閉じた。
 目を開けると、るながわたしを混乱した目で見ていた。血を吐いて机に突っ伏す。 
 美少女の身体を手に入れたわたしは、満足して学校をあとにし、原宿に遊びに出かけた。原宿駅で、わたしはスカウトされた。
 しばらくして、わたしはアイドルになった。わたしはやりすぎない、ほどほどの天然キャラを演じた。無知で世間知らずな人間は、安心できるキャラクター、素朴でわかりやすい天然を好む。裏表のありそうなスター性のあるキャラクターは単純な認知の枠組みでは処理できないのだ。安心できるキャラクターほど狡猾なのに。
 わたしは売れた。売れまくり、人気絶頂で、ステージから消えた。交通事故で死んだのだ。ひき逃げ事故だ。犯人は見つかっていない。見つかるわけがない。事故は見せかけ、実は政府の手によって殺されたのだ。真っ先に、わたしが記事にした。新聞記者になったのだ。

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流転(前編)

 角を曲がると、女子高生が突進してきてわたしにぶつかった。わたしは見事にひっくり返った。
 半身を起こすと、わたしがわたしを見下ろしていた。わたしと女子高生の身体が入れ替わっていたのだ。外観がわたしになった女子高生はさらに混乱した表情になり、走り去った。
 立ち上がって制服の汚れをはらう。うちの学校の制服だ。バッグからスマホを探り当て、カメラで顔をチェックする。はて、見たことのない顔だ。生徒の顔はだいたい把握しているのだが。歩きながら思い出した。今日はわたしのクラスに転校生が来る日なのだ。
 未だ混乱した表情の(そりゃそうだろう)わたしの身体になった生徒が職員室から出てきた。
 わたしは生徒に声をかけた。生徒、蒼井るなは泣き出してしまった。姿はわたしだからみっともないったらありゃしない。わたしはあわてて、るなの手を引き職員用トイレに入った。もちろん男子トイレだ。男子トイレに連れ込むのもおかしいが、とっさに出た行動だ。
「わたし……わたし……」
 るなはしゃくりあげ始めた。大泣きしそうな勢いだ。わたしは冷静にさとした。
「泣いている場合じゃない。状況を受け入れろ。わたしはお前のクラスの担任だ。お前はまずわたしをクラスに紹介してから早退するんだ。住所はスマホに登録しておいた」
 わたしはそう言ってポケットからスマホを取り出し画面に表示した。るなはこくんとうなずいた。
「ところで、何をあんなに急いでたんだ? 十分始業に間に合う時間だったろうが」
 るなはぴたりと泣きやみ、真顔で言った。
「わたし、超能力者なんです」
「何だと?」
「国の研究機関の暮らしにうんざりして逃げてきたんです。それで、追われてて」
「……とにかく、まず教室に行こう。話はあとだ」
 るなを連れ、わたしは教室に入った。わたしは目を見張った。
 生徒が全員、床に倒れていた。