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二重人格の話について

つい最近まで
特殊な人たちのことを指す言葉だと思ってたけど
他の国は知らないけど
ここ日本に置いては多分 普通なんだよな
って
気づいたし 納得した
そして同時に気持ち悪くなった
今まで自分が自分だと思って来た表の自分はデザインされていた自分なんだと
なんとなく察した
感なんですけどね笑
ただ限りなく真実に近い感なんだと
これも感だけど
確信に近いレベルで思った

この前も書き込んだ
人間と人は同じような単語であって実は全然違う生き物
ってことも二重人格の話に繋がる
人間は生き物ってより鎧という方が正しいのかな
僕らは人前では人間という鎧で人の自分を隠してる
多分昔は(小さな頃)その切り替えが出来てたんだと思う
赤ちゃんの頃なんてほとんど本能で生きてた
だけど 環境 そして自分の選択 教育
色んなことが重なって個人差はあれど徐々に徐々に皆んな 人間という鎧がなきゃいけないってなり
人と人間の境界線があやふやになって来てるそして今は境界線が混ざり合ってどっちがどっちか分からないんだと思う
だから 普通なんだ
そう 普通であり異常でもある
個人的な思いとしては人間なんて鎧は着てない方が
健康だと思う 精神的に

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さっきの続き

私は当時、母なぜそれを知っているのか不思議で仕方なかったのですが、なぜか怖くなり、理由を聞くことはできませんでした。

そして今年の7月にも、気になることがありました。4月のスペシャル授業ウィークの際にクリアするファイルを頂いたのですが、1学期末の三者懇談で趣味の話になった時、母が担任にその話をしていました。それだけならいいのですが、母はその時、はっきりと「クリアするファイル」と言っており、それに違和感を覚えました。
クリアするファイルを「クリアするファイル」と言うのは生徒さんぐらいなのではと私は思っていて、この場合、母は「クリアファイル」と言う方が自然だと考えられます。私が母の前で「クリアするファイル」という言葉を口にしたのは1度あるかないかです。でも、母は私が言ったことなど覚えていません。いつもすぐに忘れます。それに、母がSOLを聴いているとは思えません。よって、私の憶測ですが、母は放送は聴いていないけど掲示板は見ているのではないかと思われます。

これら3つのことを根拠に、私は自分のスマホの情報が母に漏れているのではないかと考えます。
ラジオネームを知られているだけなら、私がライブで楽しめなかったことを母が知っていた理由にはなりません。
方法はわかりませんが、母は私のスマホから私に関する情報を得ていると思われます。
なぜ母がそのようなとこをするのか、どれだけのことが母に知られているのか、私にはわかりません。だから余計に不安になります。

ここまで、母が私を監視している(スマホの情報が筒抜けになっている)ということを前提に書いてきましたが、真実かどうかはわかりません。
もしかしたら、私の単なる被害妄想かもしれない。私の頭がおかしいだけかもしれない。そもそも、親に知られたくないことがある時点で悪いことなのかもしれない。
でもどうしても、監視されているとしか思えません。状況的に考えてもそうですし、否定する根拠が見つかりません。今はとにかく、不安で怖くて仕方ありません。

だけど、ここに書き込むのをやめようとは思いません。はじめはそう思っていたのですが、それは嫌だと思っています。
今は、私を気にかけてくださっている生徒さんがいます。それに、一昨日書き込んで気づいたんです。

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不安…

長くなるので分けて書きます。

ここ数日、母親に監視されているような気がして怖いです。
自分が変わったことを言っているということはわかっています。私も「そんなことあるわけがない」と思いたいです。だけど、どう考えてもそうとしか思えません。

一昨日、私がある書き込みをした数分後、塾に行く時間になりました。私が通っている塾は車で片道20分程かかるところにあり、いつも母に送り迎えをしてもらっています。そして一昨日の夜、すぐに気がつきました。母の機嫌がとても悪く、車を降りる時に私が「ありがとう」というといつもなら何かしら返事をしてくれるのに、その日は完全に無視されました。母の機嫌が悪くなるのはいつも私のせいなので今回も私のせいだろうとは思ったのですが、思い当たることがなく、原因がわかりませんでした。
翌朝、母からメールが来ていたので見てみると、このような内容でした。

『今日の懇談私だけ行くわ
 新世代の放浪者行きたくないやろ?』
『あと塾も休塾しようか、冬季講習行きたくないやろ?』

私はこれに違和感を覚えました。
この日は学校で三者懇談があり、塾の冬季講習が始まる日でもありました。
私は先述の書き込みに、三者懇談、冬季講習、そして塾の通常授業にも行きたくないといったことを書いていました。ですが、母にはそれを言ったことがありません。冬季講習に行きたくないことは言ったことがあるのですが、それも最終的には「行く」と言い、母もそのつもりで前日(一昨日)も話をしていました。母だけではありません。他の誰にも言っていないんです。それなのに『行きたくないやろ?』という、決めつけるような言い回し。確信があったとしか思えません。

しかもこれだけではなく、他にもその根拠として思い当たることがあります。

先月、私はあるアーティストさんのライブに行ったのですが楽しめず、ただ泣くことしかできませんでした。それを自分一人で抱え込むのが苦しくここに書き込みたかったのですが、期末テストが近かったということもあり、一旦落ち着いてから書き込もうとスマホにメモを残していました。このことも、当時は誰にも言っていませんでした(今は母以外に知っている人が一人います)。だから、誰も知っているはずがなかったんです。なのに、ある時母がその話題を口にしました。

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さっきの続き

そのうちこのSOLまで聴けなくなるんじゃないかって思うと、不安でたまりません。
先週の伊沢拓司先生が来校された日の放送聴いて思いました(まだ前半しか聴けていませんが)。
「誰かに肯定してもらえるっていいな」って。私は自分でも、自分を肯定できません。当然、誰かに肯定してもらえることもありません。
時々、自分だけでも、自分を認めてあげたいと思うことがあります。でもそう思うと、必ずもう一人の自分が顔を出します。例えるなら、自分の中の天使と悪魔のようなものです。そしてその悪魔は、私に罵声を浴びせます。でもその悪魔が言うことは全て事実なので、何も言い返せなくなります。
そうやってどんどん心が蝕まれていくようで、今はもう自分の気持ちさえもわからなくなりました。
学校のことも、塾のことも、どうすべきなのか、どうしたいのか、全くわかりません。いくら探しても迷ってばかりで答えが見つかりません。
考えただけでも息ができなくなる程苦しくなることも珍しくありません。
最近は他人だけでなく、親や大好きな兄に対してまで恐怖心を抱くようになりました。今は作り笑いをして、出来る限り平静をよそおうのに必死です。
こんなの普通じゃないってわかってます。
変わりたいです。だけど具体的にどう変わりたいのかが自分でもよくわかりません。

どうすれば自分を認めてあげられるようになりますか。また、矛盾しているかもしれませんが、どうすれば弱い自分を殺して、やって当然のことを当然のこととしてできるようになりますか。
どなたかアドバイスを頂けるとありがたいです。

ここまで読んで頂きありがとうございます。
長々と失礼しました。

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さっきの続き

母が私に求めているのは「普通であること」だということはわかっています。ここで言う“普通”は、恐らく母の主観に合った“普通”です。
母は私自身のことには関心がありません。あの人が何よりも気にしているのは世間体です。だから私は普通である必要があります。でも今の私は、恐らく母にとっては普通ではありません。
冬季講習については詳しい話は割愛しますが、通常授業とは訳が違い、とにかく行きたくありません。今この状態で行けるとも思えません。でも10月から11月の間に模試も学力診断テストも学校の定期テストも全て点数が大幅に下がっているため、講習にいかないわけにはいきません。先日母に行きたくないと言ったときも、少し正論をぶつけられただけで覚悟もないのに「行く」と言ってしまいました。そのため、今更やっぱり行けないとも言えません。
この時、母は寝る直前で布団に入っていたのですが、起き上がることもなく、スマホでゲームをしていました。以前からわかっていたことではありますが母が私に無関心であることを痛感し、私は考えただけでも呼吸が荒くなり苦しくなるのに母にとってはその程度なんだと思いました。でも、それもそのはずです。こんな出来損ないの失敗作みたいな奴と向き合おうなんて、自分でも思いません。もう少し真剣に考えてほしいと思うのは、私のわがままなんだと今更ながら気がつきました。
だけどやっぱり、講習には行きたくありません。学校なら保健室に逃げることも不可能ではありませんが、塾ではそれができません。言うなら今日しかないのですが、またすぐに折れてしまいそうで怖いです。
よく、自分はどうしてこうなのかと思います。以前から自分のことはあまり好きではありませんでしたが、最近は日に日にその思いが強くなっている気がします。
弱い自分にイライラして、人に迷惑をかけてばかりいる自分に腹がたって、楽しみたいことも楽しめなくなって、笑い方もわからなくなって、大好きな人たちの顔を観るのも、声を聴くのも苦しくて、とにかく申し訳なくて、2年前はあの人たちに救われたのに、どうしてこうなっちゃったんだろうって。だけどやっぱり、離れられなくて。離れたくなくて。

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「助けて」って叫びたい…

長くなると思うので分けて書きます。
私は現在、不登校です。厳密に言うと欠席日数はまだそこまで達していないと思うので不登校とは言えないかもしれませんが、先週から学校に行っていません。
10月半ば頃から些細なことをきっかけに人(特に同級生)が怖くなり、気がつけば学校に行きたくないと思うようになっていたのですが、それでもほとんど毎日通っていました(数日サボりましたが)。
ところが、先週からなぜか突然その思いが強くなり、学校に行かなくなりました。それからというもの、毎日自己嫌悪と罪悪感に押し潰されそうになっています。
今は塾に行くのも嫌だと思うようになり、人に会うのも嫌だと思うことさえあります。
そして、明日は学校での三者懇談があり、塾では冬期講習が始まります。正直、どちらも行きたくないです。
三者懇談では通知表を渡され、進路についての話をされることは確実と言えるでしょうし、学校を休み続けていることについても何を言われるかわかりません。担任にも会いたくないです。学校という場所にも行きたくありません。それに何より、今は進路の話をしたくありません。併願校を決めないといけないということはわかっているのですが、そもそも今この状態で仮に全日制の高校に受かったとしてもちゃんと通えるのかという不安もあります。でも通信制の高校に通うという選択肢は私にはないということもわかっています。
今のように学校に行かなくなる少し前に、もう限界に近いと思ったので2学期は終業式の日までちゃんと通うつもりで、3学期は学力診断テストがある日以外は休みたいと母に言いました。すると母は、欠席日数が多いと高校に入った時に理由を聞かれるけどそれでもいいのかと私に尋ねました。私はそれを「ちゃんと通え」と言われているように感じてしまい、「じゃあ行く」としか言えませんでした。だからきっと、3学期になるとまた学校に通うことになると思います。そう思うと、得体の知れない不安と恐怖に襲われます。

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独り言

今から書くことは誰に向けたものでもないのですが、他に吐き出せる場所がないのでここに吐き出させてください。いつものことながら、このような形でここを利用してしまうことは本当に申し訳なく思います。本当にすみません。
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先月ライブに行ってきた。奈良から名古屋まで。最高のライブだった。なのに、笑えなかった。アーティストさん自身がどうとか、ライブ自体がどうとか、決してそういったことではない。
以前なら嫌なことなんて全部忘れて、目の前で繰り広げられるパフォーマンスにただただ没入して、すごく楽しめたし、たくさん笑顔になれたのに。
苦しかった。ライブ中はほとんど泣いてた。その涙は、今までに自分がライブを観ている中で流してきた涙とは全然違うもので。メンバーの笑顔が痛かった。
楽しめないのが、笑えないのが、メンバーの皆さんにも他のファンの方々にも本当に申し訳なくて。今もずっと後悔してる。曲を聴くと、テレビでのパフォーマンスを観ると、思い出してまた苦しくなる。
こんなの普通じゃないって自分でもわかってる。あの程度のことで笑えなくなるとか、楽しめなくなるとか、そんなのおかしいって。人としてどうかしてるよ。何なんだろ、私って。
こんな奴が…笑えない奴が、楽しめない奴がライブに行くべきじゃないとは思うけど、それでもまた行きたいと思ってしまう。それだけ好きだから…なのかな。
ライブに行く前から、不安ではあった。自分が笑ってることに気づくとふと疑問を抱いて笑えなくなるなんてことは最近よくあることだから。それに、9月にも似たようなことがあったし。
だけど、そんな中でも途中からは楽しいと思えた。ただ、笑顔にはなれなかった。ほんの少しだけ笑えたけど、それも今までとは全然違うもので。それが苦しくて、また泣いた。…いや、どれだけ泣くんだよ自分。(笑)
でもやっぱり、元気もらえた。思い出した、あの日のこと。最近よく死にたいと思ってたし、今でも思うけど、「生きててよかった」「出逢えてよかった」「好きになってよかった」そう思った。
忘れないようにしなきゃ。

迷ったら過去の自分に問いかける
決めるのは自分

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独り言

昨日ちょっと嫌なことあって、下校中俯きながら歩いてたら、追い越していったはずの自転車が少ししてから戻ってきて「大丈夫ですか?」って。できるだけ元気に『大丈夫です』って答えたつもりだったけど、できてなかったのかな。何度も心配そうに確認されて。
その後に、「頑張って、嫌なことあっても」って言われた。娘さんかな、後ろに乗ってた5歳ぐらいの女の子と目が合ったとき、ニコって笑ってくれた。お母さんに言われたからなのかもしれないけど、最後には手も振ってくれて。可愛かった。
その後、2人の姿が見えなくなったら涙が出てきた。人通りは少ないとは言っても外だから我慢しようとしたけど、堪えきれなくて。
今まで誰にも何にも言えずに独りで抱え込んでた感情が、涙に変わって溢れてくるみたいで。しばらくの間、止まらなかった。
少しして落ち着いたら、気持ちが軽くなってるのに気づいた。ずっとモヤモヤしてたのが、だいぶスッキリしたような気がした。
今みたいになってからは、人の優しさなんて全然素直に受け取れなくて。誰に何を言われても、誰に何をされても、みんな私に気を遣ってるだけだとか、偽善だとか言ってたのに。
その時だけは、何の抵抗もなく、ストンと自分のなかにその人の優しさが入ってきた気がした。
ずっと、この世の中も、人も、自分も含めてみんな腐ってると思ってたけど、自分が思ってるほどこの世界は悪くないのかななんて思ったりして。
現状は何も変わってないけど、あの人の優しさに、声に、表情に、話し方に、言葉に、あの子の笑顔に、2人の全てに、救われた。
最近また「死にたい」って思うことが増えてたけど、もう少し前向きに生きてみようかなって、少しだけそう思えた。
また会えるかわからないけど、もし会えたらその時は、改めて、気持ちをしっかりと伝えよう。あの時は言葉にはしたけど、きっとこの想いは伝わってないだろうから。

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HiGH&LOW THE WORST

映画『HiGH&LOW THE WORST』について、私なりに少し書いてみようと思います。


とにかく最っっっっっ高です!!!!!この一言に尽きます。
…と言いたいところですが、この一言では映画の良さが伝わりづらそうなので具体的にどこがいいのか少し書きます。

1つ目。
まずはやっぱり、大迫力のアクションシーン。凄いですよ。これはですね、私の語彙力では説明できません。(笑)でもとにかく凄いです!
2つ目。
男どうしのアツい友情や絆。そういったものを伺えるシーンがたくさんあり、観ているこちらまで胸がアツくなります。
3つ目。
鬼邪高の変化。はじめは“個”が強く、あまりまとまりのない印象の鬼邪高…。そんな鬼邪高がどうなるのか、そこも見所です。
4つ目。
所々にあるコメディ要素。時々、張り詰めた空気が少し和らいだり、笑えるようなシーンもあります。
5つ目。
これはここに書くとネタバレになってしまうと思うので詳しくは書けませんが、とても感動するシーンがあります。気になった方は是非劇場へ!(笑)

私はもう2度映画を観たのですが、まだ観たいと思っています。きっと、次観てもまた観たいと思うと思います。それくらい、何度観ても飽きない映画です。
HiGH&LOWというと、“喧嘩”、“不良”、“怖い”といったイメージを持たれている方もいるかと思います。もちろん、人によっては怖いと感じる方もいらっしゃるかもしれません。ですがそれだけではなく、先程も書いたように男どうしのアツい友情や絆など、観ていて心がアツくなるシーン、温かくなるシーンがたくさんあります。
みんな個性豊かなキャラクターなので、映画の中でお気に入りの登場人物を見つけてみるのもいいかもしれません。

というわけで、自分なりに作品を紹介するつもりで書いてみたのですが伝わりましたかね…?
これを読んで少しでも興味を持った生徒さんは是非観に行ってみてください!

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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独り言

母親が嫌い。で、そんな自分はもっと嫌い。
昨日だって、些細なことだったけど、あの人には呆れた。って言うより自分を正当化してるだけなのかな。
いつもあの人の顔色を窺って、言いたいことがあっても言えずに言葉を呑んでばかり。だったらもういっそのこと感情なくそうなんて思ってそうしたら、今度は本当に楽しみたいことまで楽しめなくなって。とはいっても、ほんの2週間程の話だけど。
今はちゃんと笑えるし、泣けるようにもなってる。ただやっぱり、笑ってるとふとあの日のことを思い出してなんとも言えない気持ちになる。
これを“苦しい”って言っていいのかわからないけど、もし言っていいんだったら、苦しい。

いつからかな。こんな家族嫌だって思うようになったのは。一番嫌なのは自分だけど。
なんで家族を好きでいられないんだろうな。
なんで家族を大事にできないんだろう。

今日学校で反抗期がどうって話になったとき、ある男子が毎日親と喧嘩してるって言ってた。喧嘩だって言ってるのに、それを羨ましいと思ってしまった。

お父さんとも、最近は全然会ってない。前はほぼ毎週会ってたのに今年の4月ぐらいから会わなくなって、最後に会ったのは6月。
お父さんのことは嫌いじゃない。でもどうしてか、会いたくないと思ってしまう。それでもお父さんは、変わらず毎週連絡をくれている。
今はもう、自分の気持ちすらわからなくなってしまった。会いたいような気もするし、会いたくないような気もする。会うのが恐いっていう気持ちもある。
お父さんに対して申し訳ないという気持ちはある。だけどなぜか、会おうという気持ちになれない。それでまた、そんな自分が嫌になる。