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「好き」の相違

ミセス先生こんばんは!
自分には、好きな配信者さんの視聴者の中で、たまに集まってゲームをする仲間が居るのですが、その中でも特に仲の良い人とは結構な頻度でゲームだけでなく一緒にドラマや、ミセス先生の音楽やお話をしたり、ただ雑談だけをしたりして、境遇も近い故に気が置けない友達として一気に仲良くなりました。
その人は私のことを好きでいてくれたらしくある日告白をされましたが、私はいくつかの条件を出して、そのことに了承してくれたので付き合うことにしました。ですが、多分自分は無意識のうちに相手を傷つけているかもなと感じるようになりました。
なぜならば私にはその人だけではなく、今まで人に恋愛感情を持ったことがありません。人を好きにはなるのですが恋愛的に好きにはなれないので、相手に興味はあるつもりでも、相手的には興味を持たれていないと思うらしいです。自分でも少し冷たいなと感じることもあります。
私が望んでいた関係値も、その関係値に恋人という名詞がついているだけの友達のような関係が良いので、そのままにしてもらっています。相手は私のことを好きでいてくれて、「そのままでいいよ」と言ってくれますが、恋愛感情が無い故に色々気を遣わせたり傷つけたりしているなと反省しています。
相手に「好き」だと言われても、私にとっての「好き」は家族や友達やミセス先生に想う「好き」なので、比例していない「好き」で返答してもいいのかと迷っていますし、その「好き」を持ち合わせてなく、対等でも無い気がして申し訳なく感じます。
このまま相手に甘えて合わせてもらっても良いのでしょうか。好きになれない私に構わないで進んだ方が良いと告げたら相手のためになるでしょうか。教えてください。

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友人関係の悩み

ミセス先生こんばんは!

自分には最近悩みがあります。友人関係なのですが、それもネット上の友人との関係性です。
元々ゲームで仲良くなった友人なのですが、ゲームをやる時はもちろん、ただくだらない話でも特にやることなくお互い別々なことをしていても通話をしていました。
気軽に居られたので心地好いなとは思っていて、なんでも悩んだり心配する自分とは違って、その人は真逆に何も気にしない感じと本人は言っていました。人間としてそういう相違も面白くはあったのですが、ある日相手が私の声色に気づいて、そのときの悩んでいる事を話すと「気にするな」と言ったり、趣味のことで「こうだよ、こうしなよ、やめなよ」と指摘されたりしました。きっと中立的な優しさなんだろうなとは思っていますが、精神的に来ていた時なので、縛られる違和感だったりずっとその時のトゲが刺さったままで今まで通り気軽に話すことができなくなりました。
この違和感と趣味のことで縛られるような窮屈感だけでなく、相手からの好意的な感覚はあるので尚更離れようとする気持ちもそのせいで生まれる冷たい言い方も、そのまま何事もないように対応するのもしんどいです。
その人が嫌いなのではないのですが、相手に冷たくせず離れる方法とか対処法とかありますか?

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ライラックの感想

ミセス先生こんばんは!
私は大人になった生徒側でライラックを聴きました。自分も過去に電車で通学してましたし、サビの若さ故の不安すらも打ち消す日差しのような強い部分も、サビ前やCメロの弱気で自分の嫌いな部分や「クソみたいな敗北感」や「割に合わない疵」にたくさん涙した事があったのでそこにも共感しました。ミセス先生の曲はどんな曲でも、今を苦しんでる人に優しく見守って寄り添うので大好きだなぁと改めて感じました。
そして、何より一番大好きな部分は、MVの大合唱でもあり、歌詞では「苦みが重なっても 光ってる」のところです。経験は基本苦みしかなく常に胸が痛みますが、それでもあの時の楽しかった事やちょっとしたくだらない思い出も、自分を構成してるパーツであり少しの希望でもあるので心に響きました。それにひとしお好きだと思ったのは、ミセス先生が楽しそうに色々な役で大合唱しているラストシーンで、映像も楽曲もあのラストシーンは私の人生のお守りになるんだろうなと思い、日々の痛みに苦しくなったときも視聴したいと思います!!
疑問なのですが、なぜ学生のシーンの若井先生と藤澤先生はギターやピアノと本物の楽器を使って弾いているのに、大森先生はほうきだったんですか?意味がありそうなので気になっています!

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最近悩んでいる事

ミセス先生、こんばんは!

自分には悩んでいる事があります。毎日私は色々家事を好きではなくてもやっているのですが、好き嫌い関係なくやらなくてはいけなくて憂鬱ながらもしています。それはもう甘んじて受け入れているつもりなのですが、やはりふとした時に嫌になってしまうのです。でもそれを救ってくれるのが家族の感謝なので、毎日まだ頑張ろうかなと思って行動しています。
普段から思春期の弟が色々頼んできたり「あれ無いの?」「これだけ?」と言ったりするのに感謝を言わないでいた事を、私は「頼んでおいて感謝を言わないのは失礼だ。好きではないけど代わりにやっているのに」と言いました。そしたらある日、「最近感謝を意識するようになったら、友達が感謝を言わない事が多い事に気づいて自己嫌悪に陥るんだ」と言われました。私は友達にも家族にも恥じる前に感謝を伝えていて、それが一番良いと当たり前に思っていましたが、弟にとって、その周りにとって、感謝を言いにくい、意識しない部分だと直接言われて気づきました。それと同時に、自分は感謝を強要しているだけなのではないかと思うようになりました。
大人になっていくにつれて感謝は必要だと言っても、今の弟の世界には生きづらさを膨張させる不純物にも思いました。弟には感謝を言える大人になって欲しいですが、受験でこれから苦しくなるのにこんな小事で更に苦しませると思うと居た堪れない気持ちになります。でも私は感謝を言われないままずっと頑張れるか分かりませんし、どうしても苛ついて苦しくなってしまいます。でも感謝の強要ならばしたくはありません。どうすれば良いのでしょうか。

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ミセス先生、3年半、ありがとうございました

大森先生こんばんは!
3年半の講師お疲れ様でした。毎週とても楽しく聴かせて頂き、ありがとうございました。

私は小学生から不登校で、中学校にも通えず、本当は行きたいのに行けない、そして周りの大人に責められるという状況下だったので、学校という空間も、学生服の人も、近くでなる学校のチャイムも、先生も自分も全部嫌いでした。チャイムを聞く度、誰かが私をすごく責めて来るような感覚があったからです。ですが、中学生の頃、ミセス先生に出会い、後々このSCHOOL OF LOCKで先生を勤めていると知り、毎週出る記事で読み始め、2019年頃からラジオで聴き始めました。それから、此処にはこんなにも楽しい学校という空間があると知り、学校のチャイムにも脅えなくなり、チャイムがなり始まるのを楽しみにしている自分に気づき、此処で本当に心から慕える先生達にも出会えて、大森先生やミセスメンバーの言葉に感激し、私淑させて頂き、今も生かされています。本当にありがとうございます。

そして、ミセス掲示板に投稿して2回目ぐらいの時に、一人称に迷っているとの投稿をし、大森先生と藤澤先生を一人称地獄に落としてしまいすみませんでした。笑 親身に寄り添い、一緒に悩んでくださる姿勢に嬉しく思い、より一層応援していきたいと思いました。

“休講”の形で区切りをつけているので、寂しくもありますが、私は嬉しく感じました。またこう投稿できる日々や、大森先生、ミセスメンバーの声や言葉をラジオを通して聴ける日々を楽しみに待っています。本当にありがとうございました。