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こもり校長

こもり校長の退任、とにかく寂しいです。でも、生徒を大切に思っている校長を知っているからこそ、校長の決断を前向きに応援したいと思っています。

今の私は校長がつないでくれた夢の先を生きています。
ぼんやりと抱いていた研究者という夢を、初めて応援してくれた大人がこもり校長とさかた元校長でした。高3で受験で失敗して目標を変えようとした時もありましたが、校長が逆電でかけてくれた当時の言葉のおかげでこれまで頑張ってこれました。
そして、今年の9月には、研究者を目指して京都で一人で頑張っている時に「夢を諦めそうになったら俺のために頑張ってくれ!」と逆電で声をかけてくれました。今は、この言葉を胸に大学院入試に向けて勉強を頑張っています。

どんな時も毎日声を届けてくれた校長。
私は家庭の問題で、祖父母の家で過ごす日もあり、色んな夜を過ごしてきました。正直、高校生の時は人生を終わらせたくなった日も何度もありました。そんな時、ラジオをつけると校長が明るい声で生徒と話していて、その声に心から救われていました。高校を卒業してからも、心が辛くなった時にふとラジオをつけるといつだって校長がいて、救われた夜が何度もありました。

校長から繋いでもらった人生を、私はこれからも自分らしく彩っていこうと思います。
校長もあと5ヶ月、生徒の皆さんと思いっきり楽しんで、校長の人生をさらに彩っていってほしいなと思います!!!

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20年の賜物逆電!

自分がRADWIMPSと出会ったのは、映画「君の名は。」でお馴染み「前前前世」がSOLで(おそらく)宇宙初オンエアされた2016年の7月の下旬(正確な日付は覚えていない)でした。
あの日、その時期にしては珍しくたまたま生放送教室を最初から聴くことができて、いつものようにギターチャイムからのとーやま校長とあしざわ教頭のオープニングトークを聴いていましたね。
それでその当時は存在した「さーけーべーっ‼︎」の掛け声からのジングルが鳴り終わったと同時にあの衝撃的なイントロが流れ出して、一瞬で耳が釘付けになりました。
当時の自分は今に比べてもたくさん曲を聴いている訳じゃなかったからなのか、iPodに繋いだスピーカーから流れる「前前前世」はとてつもない衝撃で、「これは一体どこのバンドのなんて曲なんだろう?」と気になって仕方がなかったです。
で、当時の掲示板も相当盛り上がったらしくとーやま校長が興奮した口調で掲示板の感想書き込みを読み上げていたこと、そしてCMに入る直前に「RADWIMPS『前前前世』‼︎」と力強くタイトルを言っていたことは今でもよく覚えています…!

それから9年。
SOLでRAD先生が“期間限定の先先先生”として毎週水曜日に授業を持ってくれてすごく嬉しかったのですが、RAD先生が去っていったあとは忙しかったこともありなぜかRAD先生への興味が薄れていきました。
でも一浪して大学に入って、たまたま学祭実行委員会に入ったところ同じ部局の先輩(同い年)がRAD先生大好きで、「セプテンバーさん」や「会心の一撃」をなにかと流しているうちに「あーやっぱりRADっていいなぁ」と思うようになりました。
特に「会心の一撃」は自分がSOLで出会った曲なので思い入れがありますね!
というわけで、RAD先生がひっさびさにSOLに来てくれて嬉しいです‼︎
ありがとうございます〜!

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RADWIMPS先生!

RAD先生20周年おめでとうございます!

RAD先生との出会いは2016年、このスクールオブロックでした!そして、この日はスクールオブロックとの出会いの日でもあります。

あの日、なんとなく周波数を合わせて流れてきたのが、スクールオブロックで初フルオンエアされた「前前前世」だったんです。
当時の私は、小学校に通えておらず、未来なんて全く想像できませんでした。楽しいことなんて1つもない日々の中で、前前前世を聞いた瞬間、「こんな鮮やかな曲があるのか!こんな明るい世界があるんだ!」と衝撃を受けたことを覚えています。
布団の中で聴いていたのに、目の前が明るくなったあの瞬間を忘れることはありません。

それから、またあの音楽に出会いたい‥と思って、毎晩ラジオを聴くうちに、とーやま校長とあしざわ教頭のトークに引きこまれていました笑。これが、スクールオブロックを聴き始めたきっかけです。

それから6年後、高校の卒業式では正解を歌いました。中学の卒業式はコロナでなくなりましたが、必死に生きた学生時代の最後を、RAD先生の曲で締められて本当によかったです。

あの日、前前前世に出会えていなければ、私はスクールオブロックとも出会えていなかったし、何より世界はモノクロのままでした。

人生を変えてくれた前前前世を、9年越しに聞きたいです!!

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あの時の先生へ

特にお世話になったのは高1の時の担任の先生です。
高1の時はとにかく親とうまくいかなくて、親と一緒にいると辛いことをされて家に居場所がなかったし、親と離れて暮らしていました。
そんな私にとって、唯一の居場所が学校でした。先生は当時25歳でしたが、誰よりも私のことを心配してくれて、ほぼ毎日、朝と放課後に一対一でお話ししてくれました。そして、どんなに先生が忙しくても、私が言葉に詰まって何も話せなくても、先生はとにかくゆっくり待ってくれたし、私の辛さを全部受け止めてくれました。家に帰るのが辛くても、なんとか朝が来て学校に行けば守ってくれる人がいるという安心感があったからなんとか生きられていたんだと思います。

私は今、周りからもお墨付きなポジティブ人間で、好きなことを極めた最高な人生を送っています!
それは先生から、受験で戦う力や進路のアドバイスだけじゃなく、たくさんの愛をもらえたからだと思っています。担任であり、親や兄のようでもあり、そして友達のように好きな音楽の話につきあってくれた先生、本当にありがとうございました!!

卒業して異動になっちゃったけど、成人式にきてくれるらしいから楽しみだな。成長した姿を誰よりも見せたい人です笑