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トカゲの木 1



 ……まだ時間ございますが、お話は以上でよろしいでしょうか。さようですか。ええ、お代金ですな……こちらになります。
 ああ、焦らないで結構ですから。ほら、何か落とされましたよ。……どうぞ。いえいえ、今のお写真、お嬢さんでございますか。可愛らしい。違いましたか、これは失敬。へえ、わたくしの子もですって?何故そうお思いに……ああ、これでございますね。この写真の子供はわたくしの子じゃございませんで。友人の子供でしょうか。この子は何を指差しているのか……それがわたくしにも分からないのですよ。言われるまま撮らせていただいたもので。あの時、尋ねましたが、上手くはぐらかされてしまいまして。わたくしとしたことが、お恥ずかしい。子供には弱くってですね。いやはや、子供とは不思議なものです。我々には見えぬものが見えているのでしょう。何を言い出すのか、いつも楽しみにさせていただいております。あなたもお分かりですか。ええ、この写真の話が気になると。……良いでしょう。それでは、時間もしばらくございますし、のんびりお話ししましょう。
 この世にはいろいろとヘンな話があるもので、こんな職業ですから、スピリチュアルとは縁遠いわたくしにも、そういった『持ちネタ』はあるものでございます。とは言ってもわたくしの体験した話などではございません。これは、この写真の子供が話していたことです。
 それはこんな話です。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 12

 次の日の放課後。
 部活に参加した俺に、件の先輩がやって来た。部活の始まる前からソワソワした様子で辺りを見回していた。俺を見つけるとぱっと明るい顔で俺の名を呼びつつ駆け寄ってきたのだ。
「で、昨日どーだったよ!?」
 やっぱりな。
 先輩はおっかなびっくり訊いてきた。
「どうだったって……」
 甲斐田正秀はいましたよ。彼と話して、彼は噂とは全く違う人物で、空襲で死んだ中学生でした。
 ……とは言わなかった。言いたくなかった。
 あの少年は、そうやって大っぴらにして恐れられて良い対象ではない。もっと純粋で幼くて、切ないものだ。会って、直接話を聞いてやらなければならない。あそこに行こうと思った者だけが密かに確かに知って、ずっと心に止めておけば良いのだ。彼もそれを望んでいる。
 だから俺は
「何もありませんでしたよ」
 そう言った。
「……なあんだ、そうだよな、ははは、期待して損しちまったぜ」
「そうっすよ。それより、あれから大変だったんすよ!昇降口全部しまってて、職員室行ったら何でいるんだってチョー怒られて!」
「ははは、どんまーい」
「元凶先輩っすよ!」
「へへへ」
「もう!」
「おい!そこうるせーぞ!」
「すいません!」「すいません!」
 またも先生に怒鳴られ、部活を始めた。

 あれ以来、俺はあの時間にあの教室に行くことはなかったけど、後輩には教えてやった。
 甲斐田正秀の『恐ろしい噂』を。


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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 11

 そんな訳はないが、沈黙が10分くらい続いたように感じる。でも多分、本当は1分くらいなんだと思う。
 そんな沈黙を甲斐田が破ってくれた。
「マア、そもそも生きとる若いもんが死について考えんなんてのは早すぎるってもんじゃ。死ぬことなんて、考えんで言いなら考えん方が良かくさ」
「そうなのか……」
 よくよく考えれば、この頃、死のことばかり考えている気がする。確かにそれは健全ではない……のかも今の俺には分からない。だから中途半端な返事になってしまった。
「というか、もうこんな時間じゃないか」
 甲斐田が急に話を変えてきた。無理矢理な感じもするが、反射的に甲斐田が視線を向けた時計を見上げてしまった。
 時計の分針は7を指そうとしていた。
「じゃ、わしはここいらで」
「……は?」
 え、え……?唐突に話を終わらせようとし出したぞ。まだ話は終わってないにも関わらずだ!
 しかし、だからといって何を言えばいいのかも分からない。
「そいじゃあ、もうこんな遅くに残ってんじゃないぞ」
「えっあ、え、ま、また」
「もー会わんよ阿呆が。じゃあな、暗うなる前にはよ帰るんじゃぞー」
「ちょっと待てって」
 俺は焦って言葉足らずながらも止めようと試みる。甲斐田の方に手を伸ばすが勿論届かない。甲斐田は窓の外の藍の空をバックに幼く無邪気な笑顔を浮かべる。
 そうして最後に言った言葉に、俺は一言
「……無粋だ」
 それだけ呟いた。
 悪態は俺しかいない仄暗い教室に行き場なく響いた。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 10

 意外な反応に俺はもう一度、ちゃんと彼の顔を見た。彼は虚しそうに、なのに口角を上げていて、何というか、表情を歪ませていたのだ。俺はやっと、自分が酷いことを言ったと自覚した。
「散々嘆いて、平和な時代を生きとるお前らを呪い倒せばいいんか」
 先程と違い静かに抑えた声だった。なのに俺を制した言葉よりもずっと恐ろしかった。甲斐田の肩は力が入って小さく震えている。
「そんなのはわしの身が持たん」
 甲斐田は冗談めいて言う。俺は何も言えず、ただ突っ立っているだけだ。そんな中で俺よりも背の低い痩せた少年は続ける。
「わしだってなあ、兄ちゃんを、家族を救うために軍人になりたかった。でもな、そんなこと言ってられん世ん中じゃ、せめて国に尽くして死にたかった。なのにホントんとこはどうじゃ、こんな中途半端なところで死んで、何もでけん自分が情けなくってしょうがない。……今でもな、思い出す。あん時の激痛、苦しさも無念も……だから笑っとるんじゃ。笑っとらんといかんのじゃ」
 甲斐田は今にも泣き崩れそうな顔で、涙一つも流さなかった。
 俺はそこでようやく彼が笑顔を携え、涙を落とさない理由に気がついた。……余りに遅すぎた。
 甲斐田は悲嘆する訳にはいかなかったのだ。
 何も救えず何も残さなかった。最後まで足掻かずに日本人がまだ耐え忍んでいるうちに死んでしまった。最後まで死なずに苦しんだ人々を置いて闘いを『離脱』してしまった。
 彼にしてみれば、図らずともそんな卑怯な真似をしてしまったことは酷な罪なのだろう。だから彼は泣けない。何も恨めない。
「ごめん」
 やっと俺は謝った。
「いや謝らんでいい。わしこそ、変な話ししてすまんかったのう」
 甲斐田はケロッとして言う。
 そうしたらもう何を言えばいいか検討つかなくなって、折角重苦しい雰囲気から抜け出したにも関わらず双方黙ってしまった。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 9

「そこまで吹っ飛ばされた。バシィってな、叩きつけられた。窓硝子が体中に刺さってくるわ机や木片で顔も肺も潰れるわ炎が服に燃え移るわで……酷いんじゃぞ、破片が目やなんかにも瞼の上から突き刺さっとるから、霞む目ちょっと開いて、首も下を向いたまま動かんから、自分の体の様子だけ分かったんじゃが、あの時窓側に向いとった右上半身にワァーっといっぱい硝子片が刺さっとるんよ。その溶けたのなんかもただれた身と同化して黒いんだか赤いんだか何なんだか……お前、集合体は大丈夫な方か?」
 甲斐田はニヤニヤしている。
 俺は何も言わなかった。勿論笑いもしなかった。
「あん時の姿にもなれるが……まあやめとくか」
 何故こいつは、こんな酷い話をヘラヘラしてできるのだろう。幽霊であることよりもずっとその方が不気味だ。
 俺はこの話を聞いて、本当に辛く思った。戦争の不条理も悲しんでいるし、甲斐田の味わった痛みに胸も痛む。右腕に手を当てて、むず痒い感じもした。でも、そんな薄っぺらい感情よりも何よりも深く、そんな酷い経験を笑って語る甲斐田が腹立たしくて仕方ないのだ。
 俺は拳に力を入れてその怒りをできるだけ態度に出さないように堪えた。爪が手の平に刺さる。でも痛みはなかった。そんなのを考えられないくらい頭がいっぱいだった。
「……と、まあこんな感じだが……っておい、お前」
 話し終えたようだ。しかしその途端、何だか焦った様子で俺に話しかけてきた。
「やっぱり、嫌だったか」
 甲斐田は心配そうに俺の顔を覗く。
「……違う」
 俺の声は震えていた。
「何でそんな風に言うんだよ」
「何でってお前が訊いたからじゃろ」
「違う、そういうことじゃない」
「じゃあどういうことだ」
 鈍い甲斐田が恨めしかった。怒鳴ってやりたい。でも、彼にそんなことはできない。そんなことはしてはいけない。
「おかしいだろ。自分が死んだときのことだぞ。大したことじゃないみたいな」
「もうしばらく経っとるからのう。今じゃ気にしとらんよ」
「命を何だと思って――」
「じゃあ」
 俺がキレかけたところで、甲斐田は声を張って俺の発言を制した。大声ではあったのに、怒鳴っているわけではなくて、でも怖いという印象を受けた。それは霊的な力だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 8

「でな、実際ここいらにアメリカが爆弾を落とすことは殆どなかった。じゃから今回もそのクチだろうと思って油断しとったんじゃな。でもボーイングは確実に近づいていた。警報は依然やまない。もしかしたら今回は、と、ちと怖くはあったが、本を取りにこの教室に戻った。どうせ今日に限って落としてくることなかろうし、落ちても学校にピンポイントで当たるまいとたかを括っとった。それに何より、アメリカの兵器を前に、勉強すら諦めるのが嫌じゃった……そう思ったのが間違いじゃった。よう考えれば、学校がここいらで1番大きい建物じゃったし、軍の駐屯地は隠れとったから学校が狙われるに決まっとったんじゃが、そういう可能性はもっぱら排除して考えんかった。とにかく本を取りに行きたくてしょうがなかった。それで急いで3階まで駆け上がって、丁度、わしが机の上にあった本を手に取ったとき、この教室に焼夷弾がヒューッと落ちてきた。お前は見たことないじゃろう、まああっちゃ困るが、ありゃ考えた奴は本当の非道だったろうなあ。木造の日本家屋が燃えやすいように、火薬だけじゃなく油を入れるんじゃ。だから爆風と一緒に燃えた油が飛んできた。あん頃は校舎も全部木だったからのう、すぐに一面焼けた。もう遅い時間じゃったからな、わし以外には生徒はおらんかったから良かったと思うが、安心したのも束の間のことで、すぐにも第二陣が降ってくる音がする。でも火に囲まれて逃げられんし……背水の陣、四面楚歌、そんな様子じゃ。熱いを通り越して、皮膚がジリジリ唸るように痛んだ。自分は死ぬんじゃと確信した。わしは元々卒業したら早々に海軍に志願しようと思っとったから、もちろん死ぬ覚悟もできていた……と、思っとった。死ぬときになってわかったが、わしは本当は死にとうなかったんじゃ。まだ生きたい。そう思ったとき、2発目が落ちて、わしは割れた硝子や机と一緒に、そっちの方……」
 そう言いながら俺、ではなく、その後ろ――黒板を指さした。

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×××××中学校の七不思議 甲斐田正秀 7

「わしはな、高等小学校2年の時分にここで死んだ。酷い死に方……確かにそうだったかも知れん。1944年の8月にあった空襲だ。わしはそんとき、兄ちゃんが海軍に志願して出てった後じゃったけ、家じゃ妹弟がギャーギャーうるさくって世話もせにゃいけんかったからのう、学校に残って考査の勉強しとった。そんとき……5時50分くらいじゃろか、空襲警報が鳴った。ありゃ気味悪い音でもう、忘れたくても忘れられん、何回何十回も聞いた酷い不協和音じゃ。今でもたまに鳴り出すぞ、頭ン中でな。当然それを聞いた途端にわしは荷物持って急いで教室から逃げ出して、防空壕に潜り込んだ。学校の防空壕ってのはな、不思議でどこからか人が湧いて出て、たくさん入っとる。もうすし詰め状態よ。それでも何とか入れたから、ボーイングが去るまでじっと待ってようと壕の入口付近でしゃがんでいた。そんとき、わしは重大なことに気付いた。本を1冊、置いてきたんじゃ。今思うと下らない。じゃがそんときは死活問題じゃった。命あっての物種というが、もう1冊買う金もないし、それがなければ技師を諦めなくてはいけないという焦りがあった。もうその考えで頭がいっぱいだった」
「技師?」
「ああ、わしはちっこい頃から飛行機の技師になりたくてのう。そんでわがまま言って母ちゃんに高等小学校に入れさせてもらったんじゃよ。兄ちゃんが海軍の戦闘機乗りで、それを安全に整備して、空の勇士たちが無事に帰ってこられるような戦闘機に乗せたかったんじゃ。後方で働けば殉死はできんが、せめて、兄ちゃんらに正しい戦死を遂げてほしかったんじゃ」
 正しい死。
 何だかもやっとした。
 正しい死なんてあるのか?実兄に死を望むか?本当の望みは正しい戦死なんてものではなくて、帰還ではないのか?
 俺の中に湧いた感情は確実に同情や悲観ではなかった。多分、多分だけど、軽蔑だ。何に対してかは分からない。目の前にいる小さくて痩せた少年の話を止めてやるべきだと思ったが、そのための理由付けもできないから、口をつぐんだまま甲斐田の話を聞くしかない。