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学校に行きたくなかった

朝から失礼します。
久しぶりの書き込みです。
昨日のテーマや皆さんの想いに触れて、自分の過去を振り返ってみました。
小さい頃から吃音で、リアクションが大きい子供でした。それでいて活発な人間だったので、割と注目は浴びやすかったのかもしれません。最初の小学校のときは、低学年だったこともあり、あまり負の面として感じることなく友達と過ごしていましたし、友達も自然と受け入れてくれていました。
しかし、4年生のときに転校。転校先の小学校で酷く揶揄われたりネタにされたりました。
それ以来、高校の終わりまで滑舌の悪さやオーバーリアクションのような形で日々貶される日々。しかし僕は生徒会に関わっていたり、授業が好きだったりしていたことなどから遅刻早退せず毎日登校していました。
心の何処かで行きたくないと思いつつ、今日こそは誰かが救ってくれる。誰かが分かってくれる。そう信じていましたが、高校までに負の面を理解してくれた人は10人もいませんでした。
副会長やルーム長を務めて、課外活動も様々に取り組みながら、自分はこういう人なのだと、結構身を削りながら吃音のことなど話していましたが、やはり完璧ではない人間は気に食わないのでしょうか。
その滑舌の悪さが原因で中学の生徒会担当と上手くいかず、嘘つきだと言い残されたこともあります。
スクールカウンセラーに頼ったときも満足いかず、中学以来カウンセリングは信じていません。
こんな僕でも、中高合わせて欠席は5日ちょいでした。それはみんなの笑顔が見たかったから。自分が人を笑顔にしたかったから。中2から高3にかけてほぼ毎日胃が痛かったけれど、誰かが僕を見て貶すことなく笑ってほしかったから、毎日ホームルームから通うことができました。
こうして振り返ってみるとだいぶ自分を虐めていたんだと思いました。
手足じゃなくて口や視線でのいじめなのだと今でも思っています。大学では色んな価値観が混ざっているので、大学でやっと負の面を気にせずに生活できているから、今日この文章を書くことができました。
解決しないことを気にするよりも、相手が自分をどんな風に思っていて、自分は相手をどんな風に思っているのか。そう互いの言葉で話すことができたら良かったなと後悔しています。

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受験報告会

まず、こもり校長をはじめ、応援いただいた方々、ありがとうございました。
出席は掲示板だけ(たまに拝聴)でしたが、仲間に包まれたこの空間が大好きです。
僕は第一志望の国立大に落ちました。そして第二志望の私立に進学することを決めました。前期で決めたので家探しなどは既に終わり、少しゆっくりする時間が生まれました。
共テの点数ではE判定。前期はぎりぎり戦えるけれど、後期は出せない。そんな得点率でした。なので前期に全てを掛けて準備しました。
来る試験当日、出題様式がガラッと変わっていました。英語の大問5つのうち、2問の文法問題がどちらも長文読解に。これで大問5つ全てが長文読解を解く内容になりました。更に問題数が8問増加。本文と設問文は全て英語な上、理系学部と同じ問題を解く従来のスタイルは継続でした。全く歯が立たない一日でした。
帰りの特急では、対応力を問われるような大学受験だったのだと、国立大に入るとはこういうことなのだと振り返る一方、ここまで準備してきたのは一体何だったのかと悔いきれない苦しみにも襲われました。
僕がやりたいことはまだどの大学でもできる訳ではなく、共テ利用の第二志望の合格を受けて、そこに進学することにしました。
課外活動を4つ、部活を6月まで、1年間の副生徒会長と副委員長、ルーム長とを行った自分には、推薦の声が学校や友達から絶えませんでした。でも僕は、共テを受けてやれるところまで戦う。そう決めることができたことが、高校生活で最高の選択だったと思います。
受かる人がいるのなら夢が叶わない人がいる。道が閉ざされる一方で誰かの新たな道となる。
ゆっくりする時間の中でこんなことを考えています。改めて、今年度受験をした全ての皆さん、お疲れさまでした。

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いま近くにいる大切な人

(長いです…!)
両親はもちろんのこと、長期休みでいつも遊ぶ親友もいるのですが、今日は大切なもう1人の友達について書きます。
高校生になって初めて出会い、3年間同じクラスでした。以前掲示板にも書いたように、僕は人のために動くのが癖で自分をいつも色々と抑えていたり、物事を深くまで考えすぎたりしてしまいます。
そんな僕の良き理解者であったのが彼女(付き合ってはいません)でした。
3年生で、東日本大震災後に作られた『群青』を指揮することになったとき。彼女は伴奏者でした。
僕はその歌を指揮することが嫌でした。なぜなら、僕が中3のときに震災時の映像や画像、実話などを観たときの記憶が蘇ってくるからです。
だからその曲を聴くと、あの場で震災を経験していない僕でさえも胸が苦しくなって涙が止まらなくなります。
指揮者は本気で嫌だったけど、担任やクラス内の声でやるしかなくなりました。
彼女曰く僕が一番話しやすい人だったらしく、そんな僕がぐちゃぐちゃの感情を持つ人間のはどうなのかなと思っていました。
でも彼女はそんな僕を受け入れてくれて、常に認めてくれるような言葉を投げかけてくれました。
こんな友達は初めてでした。
合唱コンクール残り2日の夜、学校に残って2人で色々話をしたときに、「どんなあなたでもいいからいつまでもあなた自身でいてほしい」と言われました。
僕の価値観とか考えなんて丸っきり分かってもらえないと思っていたので、初めて友達の言葉で心が揺れました。
合唱コンクール前日は休ませていただきました。心が弱っていたのもあるけれど、もう少しあの言葉を噛み締めたかったからかもしれません。
結果的に銅賞をいただきました。が、僕が一番嬉しかったことは、彼女の伴奏で指揮をすることができたことです。