一瞬にして、世界が変わったと思った。ラジオもテレビも、日常見ていたもの全てが。震災後してから、向かえた生放送教室からの放送。最後にやしろ教頭が言った、「思い浮かべて」の言葉が、今でも残っています。
◎3/12(火) sumika先生
◎3/13(水) 小林由依ちゃん(欅坂46)
◎3/14(木) 秦基博先生
3日連続のゲスト講師来校は最高過ぎますなぁ(≧∀≦)
今週も豪華ですねー!!!❤️
特に水曜日は…欅ヲタが大集合して掲示板もすごい盛り上がりを見せそうな予感…!!w
とーやま校長のテンションもおかしくなりそう…w
桜嵐的には、sumika先生が特に楽しみですねー!( ¨̮ )︎︎❤︎︎久々なので嬉しいです(*´∀`*)♥
今週も楽しみにしてまーす(*´艸`)
今日で8年。今、君は何を思うか。
まず、今日という1日を振り返ってみてほしい。この日は、特に今生きている日本人にとって、頑張って生きなきゃいけない日だった。そして、今日感じたことを、考えたことを心に刻み前に進んでいかなければならない、今日からまた1年後に向けたスタートの日だった。さぁ、どうだっただろうか。
僕は高台に住んでいたからこうして生きる使命を得ることができているが、この日のことは今でも忘れられない、忘れられるはずがない。この日の、薄赤くいっそう陰惨な雲の下、真夜中に光続ける気仙沼の石油コンビナートの火。気仙沼から100キロを超える場所からも見えた。その時、僕は小学3年生で感受性もまだ豊かとはいえない年齢ではあったが衝撃的で、今までの光とは何か違う、黒ずんだ赤い炎に見えて仕方がなかった。そして、ラジオ、電気が復活してからはテレビで震災の情報を得て、映像で見たときには悲惨過ぎた。ごめんなさい、小学3年生の僕はとても呑気に生きていた。場所も場所で、両親や自衛隊の方の食料や水の配布など苦しい生活を強いられてはいなかった。だから、正直、上辺だけだった。
そのような薄い日々を過ごしていた僕も中学生になると、恩師に出会った。野球部の監督だ。監督は日々、信念を持ち、物事の本質を追求していた。そして、毎年、3月10日になると生徒を集めてある話をしてくれた。「明日は、今生きている人にとって、一番頑張って生きなければならない日なんだ。俺だって、できるなら、実際に現地に行って復旧そして、復興の手伝いをしたい。だけど、それは俺にはできない。君たちだってそうだ。だから、どうするのか。頑張るんだ。一年に頑張る日はそうそうないけど、明日がその日。思うだけじゃだめだ。君たちが、学生という立場で何ができるのか、考えて行動に移すんだ。そうしないと、生きている価値はない。」と。それから、僕は毎日恩師の言葉を思い出し、度々、今日のように文を綴ったり、その年齢でその日に感じられたことを留めるようにしている。
今日、僕は何ができただろうか。今日という特別な日に何を感じ、何を思い、何をしたかが、これからの未来の豊かさを決めていく。日本の未来を語る前に、今の自分を、想像されうる未来を今日、自分で考えてみてほしい。
停電して、断水して、食べ物がなくて。
ありえないくらい星空が綺麗だった。みんなで協力してバケツリレーをした。炊き出しのひとつひとつがすごく美味しかった。
当たり前って幸せ。
どうも、久しぶりの書き込み、おとまさです。
あの日、僕は幼稚園を卒園したばっかりで、その記念に家族で四国に旅行に行く、その途中でした。突然、車の中のアナログテレビから緊急地震速報が流れ、幼かった僕でも、何かとんでもないことが起きるんじゃないか、と思っていました。しばらくして、津波が到達。思わず「これって、映画……?」と呟くほどにその黒い波が現実味を帯びていなかったことを覚えています。
あの日から8年。僕は九州に住んでいて、あまり地震に対し「この辺は大丈夫だ」と思っていました。しかし熊本地震が起き、その考えは180°変わりました。
もう起きてしまったこと、失ってしまったこと、それは事実であり、変わりません。大事なのはこれから僕たちが、あの日を忘れずに後世に伝え、災害から身を守れることだと思います。
1日でも早い復興を、そしてこれから先、こんな悲しいことが起こらないことを願います。
3/11の時、私はその時は中学生でした。あの時は自分のことで一杯で、何もわかっていませんでした。あの日、お昼すぎにテレビをつけたとき、迫ってくる黒色の津波。それを見て、何が起こっていたのかわからず、ただ呆然とテレビを見ていたのを覚えています。
きっと、テレビ越しであんな何も考える事ができなくなるほどだったのに、実際のその場に居合わせていた人たちは。そのことを思うと今も言葉が出ません。
しかし、日を追うごとにテレビなどの報道も薄れ、私は人が培ってきたそのすべての事が揺らいでしまった、あの出来事をどこか遠くのことと、心の隅では思っていてしまいました。
数年経って、故郷を出て、暮らし始めていた時、自分の生まれ育った熊本でも地震が起き、初めて他人事ではなく、いつ起こるかわからない。そして、絶対起きないなんてない。身近な出来事だったんだと思い知らされました。
実家に一ヶ月後に急いで車で帰ったとき、故郷の変わり果てた姿に、何も言葉はでませんでした。きっと、東日本大震災のとき、被災地の人たちはこれ以上のとてつもない絶望や。苦しみがあったんだ。と。
先日。今住んでいる岐阜でも少し大きな地震があり、どうしたらいいのか冷静になんてなれませんでした。
経験しないとわからないこと。きっと熊本や東日本大震災はこれ以上の揺れだったわけですから、私の想像しているより遥かにその場にいた人たちはパニックになり、どうしたらいいのかわからない状況の中で必死に逃げ、生き延びてくださって今少しずつ復興へと歩んでいるんですね。
本当に自分の意識の低さを痛感しましたし、今でも被災された方にどう言葉をかけたらいいのか、むしろこんな考えていた私に言葉をかける権利があるのかわかりません。実に無力だとおもいます。
本当に被災された皆様。今でも避難の生活を余儀なくされていらっしゃる方もいると思います。。
一日でも少しずつでも、笑顔が戻れることを、お祈りしています。
今日であの日から8年が経ちました。僕は当時小3で、大きい揺れで避難しました。幸い、クラスのみんなが無事で怪我をした人もいませんでした。でも、停電、水が出ない、ライフラインが一気に停まって絶望的でした。海からは遠いですが、僕の住んでいる地域は最上川が流れているので、いつ氾濫するかわからず怖かったです。
辛くて、怖くて、絶望的で、忘れたいと思う人がいると思います。思い出したく無いという人がいると思います。でも、忘れてはいけないし、しっかり覚えておかなければいけないことだと思います。
被災地の復興の為に、僕が身近に出来るのは募金に協力することです。積極的に頑張ります!そして、一日も早い復興を願います。
頑張ろう東北!頑張ろう日本!
8年前、私は小学2年生でした。学校の中を歩いていたのと新しくなったばかりの校舎で耐震化がされていたので揺れを感じませんでした。家に帰ると、お母さんから東北の方で大きな地震があったと聞きました。当時の自分は、東北なんてどこにあるのか、地震でどんなことが起こるのか知りませんでした。正直言って、土日の番組が全て地震情報でつまらなかいと思ったいたのが当時小学2年生の自分です。でも、今はそんな事は全く思ってないし、むしろそんな風に思った自分がバカだと思っています。
震災から8年経つと、震災を経験していない人や知らない人が増えていると思います。そして、震災があったことも薄れているように感じます。(東北の方では、そんな事はあまりないかもしれませんが、私が住むところではそんな風に感じられます。)震災のことを後世にきちんと伝えて、次起きた時に1人でも多くの人の命が残るようにしていくのが私たちの役目ではないかと思います。
8年前はまだ5歳だったけれど、この日の記憶は鮮明に残ってるし、これがきっかけで夢が出来た。
この夢は8年経っても変わってない。
5歳で人生が少し変わった、絶対に忘れてはならない
初めて書き込みます。今は高校1年生です。
東日本大震災の時自分は小学2年生でした。地震が起こったときは学校にいて、最初は何が起こったのかよく分かりませんでした。でも周りから聞こえる友達の泣き声を聞くと現実味が出てきて急に怖くなりました。親が学校に迎えに来てくれて帰る途中にマンホールが隆起していたり、液状化しているいつもの帰り道を見ていつもの日常は何処へ行ったのだろうと思ったのを覚えています。
震災は一瞬にして日常とを非日常に変えるとても恐ろしいものです。今も仮設住宅に住んでる人もいます。その現実は変わりません。だからこそそういった人たちにも前の生活に戻れるような手助けをする人たちがもっと増えて欲しいと思います。
はじめて書きます。
あれから8年、何気ない日常が壊された日…
日本で本当にこんなことが起きているのかと自分を何度も疑った。しかしそれは現実だった…
あの日、多くの人の日常が壊れた。
助けてあげたい、何度も思った。しかしまだ小さかった私は助けることができなかった。でも、多くの人が被災地に行きボランティアをしている姿を見て感動した。今、15歳となっても私はまだ助けたい。という気持ちがある。
言葉だけでは申し訳ないと思うが言いたい。
[頑張れ!頑張れば必ず報われるから!]
ありがとうございました。
あの時は自分が保育園に通ってた最後の年だった。迎えに来た母は、何故か分からないがずっと先生と話をしていた。思い出せば、そのときに「地震」と「津波」というフレーズが行き交っていたのは覚えてる。
家に帰り、毎日のようにNHKのEテレをつけたらなんだか見慣れない日本地図に、赤と白の線が入った小さい図が出ていた。その頃は、津波が日本に来ているともわからずテレビを観ていた。
ふとした瞬間母は、テレビを1チャンネルに変えNHKニュースにした。
妹が「何でチャンネル変えるの?」と言っていた。
母は、「お願い今日だけ観させて。あなた達にも知ってほしいから。」って言っていた。
なぜ変えられたのかはまだ分からなくでも、母にチャンネルを変えてと言えるような雰囲気ではなかった。
それから、母がいろんなチャンネルを忙しく行き来しているとNHKニュースから津波の予想到達時刻と、津波の大きさが出ていた。
母は、「こんな時にもテレQ(7チャンネル)はこんな番組流して」と言っていた記憶がある。
そんなことを言っていると、いつの間にかヘリコプターのうるさい音と、アナウンサーの少し落ち着きの無い声と、とある県の上空の映像に変わっていた。
それから数分すると、海というところから海水が道路に入って行く様子が映っていた。
自分の知ってる海は、有明海ぐらいしか知らなく、海にも連れて行ってもらったことが、まだなかったので、干潟ではない普通の海水がある海がとても珍しく、黙って映像を観ていた。
そんなことを思っている間、母と娘は、津波のことについて話をしていたが自分には理解が難しかった。いつの間にかテレビは津波が押し寄せる映像に変わっていて、主に木が沢山流されていてこんなにゴミが流されている風景に唖然としていた。
それから、夜ご飯を食べ終えまだニュースが流れてる中僕は眠くなり眠りに着きました。
そんなことを覚えています。
「LIVE!LOVE!SING! 生きて愛して歌うこと」
このドラマ知ってる人いますかね??
地震に関するドラマだった。。これは、私が凄い心の奥で残ってるドラマです
3月11日が誕生日や何かいいこと記念日の人たちの声を聞いて思った。
僕らが語り継ぐべきは「2011年」の3月11日に起きた「東日本大震災」という名前の、歴史上最大規模の地震災害であって、「3.11」という日付の名前そのものじゃないから。歴史に残る事件、事故、災害があれば人はみな○.○○って略すけど、大事なのは日付じゃなくて、そこで起きた出来事、被害、強いて言うなら、それが起きた年。そしてそれを語り継ぐことだから。省略しないでちゃんと、その出来事の名称を使うべきだと思うな。
だからあえて言います。
「2011年の」3月11日に発生した「東日本大震災」にて亡くなられたすべての方々に、追悼の意を表します。
そして、「3月11日」が誕生日、何かいいこと記念日のみんな、おめでとう!
今絶賛お店います!
前のは時間なくて来れなくてめっちゃ後悔してたんで嬉しいです!!
壁一面(2面だけど笑)絵!!!
すごすぎる、ファイルもパンパンに絵入ってて
カフェオレのフテネコも可愛いし美味しい!!
また来ます!!!!
近くないけど何度もきたい!!
あとでガチャガチャして帰ります〜
(グッズはお金ないから今度で笑)
東日本大震災から今日で8年。
私は当時も関西圏に住んでいましたが、揺れました。小学1年でした。幼かったこともあり揺れて怖かったという漠然とした記憶だけ残っています。
神戸であった阪神・淡路大震災が身近なので神戸と東北陸前高田が交流会をしていることもあり、この日は忘れません。
地震はいつ起こるかわからない、災害で、大切な命を失わないように、災害対策防災グッズの再確認が必要だと思いました。
↑タイトルは私が聞いた言葉です。
3.11を元にした舞台を一緒に観に行った人が、被災者の方から言われたそうです。
『3.11が近くなると特番が増える、取材が増える、けれど3月以外もずっと私たちは懸命に進んでいる、進もうとしている。それを3.11にだけ急に「可哀想」と言うのはやめてほしい。3.11にだけ慰めて数日経つと忘れられてしまうのが一番悲しい』
そういった内容だったと思います。
それが自分の態度を改めようと思ったきっかけになったので投稿しようと思いました。
結局、私も3.11に投稿してしまっているあたり、自分でも出来てはいないのですが、この言葉が届くことを願います。
もう8年もたつのか...
僕は北海道に住んでいるのであまり揺れはひどくなかったですが、テレビで建物や車、人々が津波に飲み込まれていくところが放送されていました...
これを見た僕は地震は自分が思っていた以上に恐ろしいものだと思いました...
今日で東日本大震災から8年の時が過ぎました。まだ心の傷を負っている方も多いと思います。
私たちに出来ることは、この恐ろしい記憶を後世に残し、伝えていくことだと思います。
経験していない私にとっては、正直まだあの時のことが分かりません。
それはきっと経験された東日本の方々にしか分からないものだと思います。
綺麗事ですが、皆さんの痛みを分かち合いたいです。そして未来へ進んでいく必要があると思いました。
東日本大震災の全被害者の方々にご冥福をお祈りします。
☆LiSA LOCKS! ☆
今週は、毎月2週目担当のLiSA先生が毎日登校だよ♡登校初日✨全国ツアー「LiVE is Smile Always-eNcore-」が無事終了!お疲れ様です✨
ということで!今夜の授業は、去年6月から続いていた一連のツアーを総括!
そして、デート(ライブ)に参加してくれた生徒からの感想書き込みも紹介していくよ♪
(LiSA先生、ツアーお疲れ様でした!無事完走して良かった☆)
☆生放送授業☆
3.11
東日本大震災から今日で8年が経過。
SOLは、今年も東北に訪れた。あしざわ教頭は、宮城県の18歳、《RNあつりえ》に会いに宮城県石巻市へ、とーやま校長とやしろ元教頭は、《RNエゴイスト》と岩手県陸前高田市へ訪れた。
今夜はその模様をオンエアしていく。
さらに、全国の生徒から届いた声も届けていく!!
(今こうして、当たり前のように毎日を過ごせていることが、本当に幸せだなって改めて感じた。当たり前の毎日に感謝だね。☺️)
☆きみのこえがききたい。☆
今週は、#10「卒業」をオンエア♪♪( ¨̮ )︎︎❤︎︎今週の主人公は、果たして誰と誰なのか!?乞うご期待✨
(今週のテーマは"卒業"かぁ♪今週はどんな物語が繰り広げられるのか…楽しみだ♥)
☆バトルクイズ SCHOOL 4ORCE☆
今週の挑戦者は!?!?
(今週は、果たしてどうなるか…!!最近レベル高いから期待は出来そうだよね♪)
☆Perfume LOCKS!☆
今回の研究テーマ: 『卒業生に贈るメッセージを研究せよ!』
この春、卒業を迎える全ての卒業生生徒に向けて、かしゆか・のっち・あ〜ちゃんからの言葉を研究☆メッセージを届けてくれるよ☆
(Perfume研究員からのメッセージ、しかと受け取ろう!!☺️)
《その他の情報》
*2010年からの8年間のSOLの歴史を刻んだ記録本『DAYS4』が絶賛発売中✨
*【ドライ部】毎週月曜日の夜に動画を更新中‼️SOLの公式YouTubeチャンネルが未登録の生徒は、是非登録を☆もれなく校長が喜ぶよ☺️笑
(しれっと宣伝…✌️w)
*3/12(火):sumika先生が久々の来校!
*3/13(水):欅坂46の小林由依ちゃんが来校!
*3/14(木):秦先生が来校!
時間が経つのが早いなって思いました。
まだ当時は2年生で訓練とかも遊び半分な感じで受けてしまっていたのでほんとに来た時は命の危険を感じました。「これが地震なのか」「校庭に噴水みたいなのがいくつもある(地盤沈下)」いつも見慣れていた裏山とかも見たことなぐらいに地盤沈下でぐちゃぐちゃになっていて悲しかった。
時間が経って元どうりになった校庭とかも地震の恐怖の薄れが少し怖くなってきた。
東日本大震災が起こったあの日。
私は、幼稚園の年長でした。
8年も前のこと。ほとんど覚えていないのですが、東日本大震災が起こったときのことだけは、鮮明に覚えています。
毎年のようにみる津波の映像。あれがトラウマで寝られなくなったり、津波の夢みたり。。
実際に被害にあった訳じゃないのに、怖かったです。。
実際に被災した東北のみなさんは、もっともっと私には計り知れないぐらい、怖かったんだと思います。
私の妹は、東日本大震災が起こったときはまだ小さくて、覚えていません。
弟は、2011年の8月生まれなので東日本大震災の時のことを知りません。
私は、この記憶を消すわけにはいかないと、妹、弟になんども東日本大震災の話をします。
そして、この静岡でも東海地震、南海トラフ地震が起こるという話をします。
少しでも早く、東北の復興が進むことを願っています。
そして、次の大きな地震で東日本大震災ののうにたくさんのかたが亡くならないように、このことを語り継いでいきたいです。
私が福島県民として発しなければいけないと思うことは、やっぱりこれです。
今までも時々この掲示板に原発について書くことがありました。この8年の間にも地震の災害は全国的に起こり、他人事ではないと感じている人も増えていると思います。しかし、原発事故に関してはどうしても、忘れてしまっている、どんなものなのかわからないという人も多いのではないかと思い、ここにいる生徒さんに1人でも多く伝わればと、印象的な原発に関するニュースを見た時はここに書き込んでいました。
私の経験を書かせてください。
当時まだ小学生でした。母親が原発のニュースを見て「え…?」と呟いたこと、外で遊ぶのがかなり制限されたこと、携帯式線量計が皆に配られて首から下げていたこと、定期的に甲状腺検査をしたこと、約束通り祖父母の畑を手伝えなくなってしまったこと、しっかり覚えています。今思えば異様なことだったと感じます。
未だにいろんな場所に線量計は設置されているし、天気予報では各地域の線量も伝えられます。
私には実際に風評被害に遭われた方や産業が事故前より不自由になってしまった方のお気持ちは想像してもしきれません。それがもどかしく、悔しく思います。
ただ私は本当に福島が好きです。暗いイメージを持って欲しくありません。だから私にできることとして、これからもこうやって伝えられる場所で伝えていきたいと思います。
どうかこれを見た人は心のどこかに留めてくれると嬉しいです。私たちの世代が後世に伝えていかなければなりません。原発事故は人災であり、地震とはまた違った意味(人間の失敗として)でも語り継がなければならないことのひとつだと思っています。
私が体験したり見聞きしてきたことを中心に書かせて頂きましたが、これはほんの一部に過ぎず、知ってもらいたい、また私自身知るべきことはまだまだたくさんあります。
ニュースなどで目にした時だけでも、ぜひ一緒に考えてください。お願いします。
そして福島、原発事故に焦点を当てて書いてきましたが、東日本大震災はもちろん、全国的に起こった数多くの震災で被災されたたくさんのたくさんの方々のことを、私自身心に留めて生きていきます。
今日は東日本大震災から8年。
それと同時に私が生まれてから16年です。
8年前の誕生日から多くの人が苦しみ、悲しんで いる日に、「おめでとう!」と言われること罪悪感を感じて素直に喜べずにいます。
誕生日と東日本大震災が同じ日だからこそ私は絶対にあの日を忘れることは無いし、伝えていくことが出来るのかな。と感じるようになりましたが、今でも出来れば誕生日を迎えたくない。と思ってしまいます。
皆さんより年上ですが書き込みします。毎年この日になると書き込むことがあります。
8年前、私は高校生でした。試験期間中で早く自宅に帰った私はテレビを見ていました。
すると、地震速報が入りその時までは「地震があったんだ」と気にも止めていませんでした。
しかし、テレビから流れる映像や情報を聞いていくうちに「これは本当に日本で起きていることなのか?」とどこか違う国で起きたことのように思っていました。
しかし、震災のことを考えるきっかけをくれたのがやしろ初代教頭でした。
震災後、最初の放送の黒板の所で「前にラジオで無意味に悲しいことをしてはいけないと言われたけれど言わなければ一度も思わないままかもしれないから敢えて言いたいんだけど、今まで一緒に過ごしてきたこの学校の生徒、同じ学校の生徒が亡くなってしまって掲示板に「私は亡くなりました」と掲示板に書き込むことはできないからみんなずっと覚えてろとは言わないけれどたまにでもいいから思い浮かべてほしい。と泣きながら私たちにやしろ教頭が伝えてくれた言葉です。
私は、福岡に住んでいて震災の影響はまったくなくそれまで震災について日本では無くどこか違う国のことのようであまり実感が湧きませんでした。しかし、このやしろ教頭の言葉を聴いて震災を身近に感じ、震災について考えるようになりました。とーやま校長とやしろ教頭がその当時毎日泣きながら私たちに沢山の思いを伝えてくれたことを今でも忘れていません。
長くなってしまいすいません。