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大好きなこの場所への想い

私は今日が10代最後の日なんです。
なので自分の胸の内にある想いとスクールオブロックへの愛を最後に叫ばせてください!
14歳の夏、高校受験の勉強をしている時にたまたまこの学校に出会って、当時は顔を名前も知らないおじさん2人(笑)がとにかく叫んでいて「何なんだこのラジオは!」と思ったのが第一印象でした。もちろんそのおじさん2人はとーやま校長とあしざわ教頭ですが…笑
それから数ヶ月が経ち、高校受験の約2週間ほど前にコロナの影響で突然休校になり、その時にまたこの学校に戻ってきました。当時はスマホを持っていなかったので何もわかっていなかったのですが、思い返せばこれがこの学校に正式に入学した日だったのかもしれません。
それからというもの、毎晩この学校に通うようになり、気付けばありのままの自分を出せる大切な居場所になっていました。高校時代はコロナの影響もあり思うような学校生活は送れなかったし、私自身もいじめられていたり、体調が安定しなくて学校に行くのが辛かった時期もあり、ずっと泣いてばかりでしたが、学校に行けた日は授業中に「今日のSOLの授業テーマ何かなぁ」と考えたり、休み時間に保健室や図書室で1人でスクールオブロックをTFしたり、FAXを描いたり、間違いなくスクールオブロックが私の日常になっていました。悩みを相談している生徒さんの思いを聴きながら涙したり、嬉しい話は自分のことのように喜んだり、何だか勝手にこの場所で出会った皆さんのことは他人事だとは思えなくて、ずっと頭の中にあったりします。
10代の半分以上の時間をスクールオブロックと過ごせて本当に良かったですし、心の底から感謝の気持ちでいっぱいです。この場所がなければ間違いなく今の私はいません。
私が歴代の校長や教頭、職員さん、そしてこの学校に救われたように私もラジオの力で誰かの日常を宝石にできるような、そんな人になりたいです!
20歳になっても頑張ります!そして絶対に職員さんになって戻ってきます!
本当にお世話になりました。

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やったことないけどやったらできそうなこと

私が頑張ればできそうなことは、願望も込めて、「日本全国のすごろくを現実で再現する」ことです。
まだ小さい頃は工作と旅行が大好きで、小学校に進学した辺りでは日本全国のすごろくを大きな紙に描いて家族と遊んでいました。この前自分の部屋を掃除していたらそのすごろくが出てきて懐かしいなと思いながら、なかなかの出来だと我ながら感心しました。
全国の比較的栄えている都市が一都道府県につき大体六つくらい書かれてあって、それをマスに道が繋がれていて、実際に鉄道路線一本で行ける所がショートカットの交通手段、ゲーム内でのお金もそれなりにリアルに設定されていて全部のマスの指示がちゃんとその地域の特徴が活かされていて…と、なかなか現実的だったので、意外と再現できるんじゃないかな…と当時は思いもしなかった野望を抱くようになりました笑。
例えば始発から終電、本数がとても少ない早朝や深夜帯を除いて約15時間、1時間に1回サイコロを振ってその目だけ自由なルートで進み、スタートの旭川からゴールの鹿児島(このすごろくではゴールが鹿児島中央駅になってた)を目指す、みたいな感じで、意外と行けるんじゃないかな〜と思っています。細かいルールとかはやるって決めてから考えようと思いますが、北海道にお住まいの方、北海道に行く予定のある方、もし旭川駅で一人でサイコロを振っている人がいたらその人は227の住人かもしれません笑。