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OB訪問

OB訪問ということで久しぶりに書き込みます。
16歳の時にSOLに出会ったので、もう12年ほど経ちます。
そんな私は、今はITエンジニアとして会社員をしています。
大学では、マッサージや鍼灸を学んで国家資格まで取りましたので、マッサージ師として就職するつもりでした。
ですが、ちょうど就活している時期とコロナが重なり、マッサージ師の求人は激減。
自分は本当は何をしたいのか悩むようになりました。
実は、マッサージ師を選んだのは、SOLがきっかけでもありました。
閃光やイベントでいろんな生徒さんにお会いしたのですが、会う度に、人からもらってばかりで、何も返せてないなと思い、何かちょっとでもお返しになることができるようになりたいというものでした。
悩みを掲示板に書いたのも懐かしいです。
長い時間考えた結果、中高生の時はパソコンをいじるのが好きでしたので、ひとまずパソコンを使った仕事をしようとなりました。
その結論を出した後は、事務職になるために職業訓練校で勉強を始めました。
しかし、WEBページの編集やExcelの自動化を楽しんでしているうちに、エンジニアをしてみないかというお誘いをいただき、今に至っています。
正直、今の仕事は自分に向いていると思うし、とても楽しくできています。
今の生徒さんに伝えられることがあるとすれば、やりたいことは悩んでいい、ただ、ちょっとでも興味あることには飛び込んでみよう。何がきっかけで人生変わるか分からないから。
あと、とーやま校長が退任する時にお話しされていた、「人は必要な時に必要な出会いをする」というのはその通りということ。
今後もSOLを見守っていきますので、よろしくお願いいたします。

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OBからのお祝いメッセージ

SCHOOL OF LOOK!20周年おめでとうございます!

自分は2010年4月1日〜2012年3月31日まで丸2年間、毎日登校してました。当時私は高2〜高3という大学受験シーズン、将来の夢に迷って、迷って、悩んで、悩んで。「未来の鍵を握る学校」というフレーズに惹かれて、お先真っ暗な毎日の自分の人生は一旦おいておいて、ラジオに救いを求めていたと思います。

2025年、SOLを卒業してから13年が経ちました。
ラジオを愛する気持ちから、地元広島を飛び出して、東京の大学に進学、メディアの研究を沢山しました。ラジオ部にも入りました。ラジオ好きな友達がたくさんできました。東京FMでもバイトを少しさせてもらいました。東京で就職して、結婚をして、家族ができました。今はラジオと違う仕事をしていますが、心のオアシスはいつもラジオです。

全国各地、様々な生徒の拠り所、未来の鍵を探す学校、それがスクールオブロック。
今の楽しい毎日のきっかけは、未来の鍵をくれたのは間違いなくこの学校です。

必ずラジオを好きになれとは言いません、この学校でやりたい事、なりたいもの、自分の救いになる言葉、熱い気持ち、なんでもいいんです、在校生のみんなは楽しく毎日登校してほしいです、元気にラジオと一緒に起立、礼、叫べーーの挨拶をしてほしいです。

未来の鍵と明るい未来は
おのずと必ず目の前に来ます。

これからも応援しています、校長、教頭、引き続きSOLと生徒のこと、よろしくお願いします!

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OB訪問を懐かしい思い出と共に話したい!

こもり校長お久しぶりです!そしてアンジー教頭初めまして!


今日はOB訪問ということで、今日だけは懐かしい思い出を胸に書き込んでおります!
僕が在籍していたのは小5年生から二十歳までの約9年間です。
ですが、そのほとんどが聴いているだけで、書き込みをしておりませんでした。書き込みをしたのは2020年1月(当時高校三年)から2021年11月までです。
約9年に渡ってこの学校に在籍しておりましたので、それなりに長く在籍していたのではと自負しております。
その9年の中でも、そのときそのタイミングに合わせて形を変えながら数多くの生徒さんの背中を押しているのを見て参りました。
個人的に23時前後にあったコーナーたちはかなり好きでしたw
そして、歴代の中2高2のお決まりの流れは憧れていました!(一度やってみたかった…)

この学校卒業後は、大学生活の中でダイビングのライセンスを取ったり、スポーツ関係の学問を専攻しつつ、その傍らアルバイトでテニスコーチをしておりました。そしてこの春大学も卒業し、今は営業の仕事で日々悪戦苦闘しながら日々奮闘してます。なかなか上手くはいかないことばかりのため、落ち込むこともあります。働くって大変だなと改めて感じ、社会人の先輩方のすごさを実感してます。まだまだ長い人生、挫けず頑張ってます!

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17年後の、現在のわたし。

17年前の2008年5月7日かりゆし58先生、初来校時、生放送教室で生でウクイウタを送ってもらった17歳の私。テーマは「頑張ってる人たちの◯◯宣言」。
親の顔を知らない17年の施設生活、境遇を理由に学校でのいじめ、絶望感しかなかった当時、それでも夢があったから頑張れた。
そのことを話して夢を宣言した「バレーボールの道を極める」。
それからも何度か逆電に出させてもらって、海外でバレーをプレーする夢も応援してもらったり、夢が変化していく過程も、変化した夢の話も全て聞いてくれた場所がスクールオブロック。
やましげ校長、やしろ教頭、とーやま校長、よしだ教頭、あしざわ教頭、みんなに支えてもらった10代〜20代。

そんな私は今、自分もお世話になった養護施設職員の責任者をしながら、自分の手で子どもたちやその親を支援できる場所を立ち上げるべく働いています。
1箇所だけじゃ足らないからこそ、全国にネットワーク、繋がりを作るように働いています。

「簡単じゃないからこそ、やる!やりたい!」って気持ち。
この気持ちは17年前、当時、17歳だった私と変わらない。
寄り添うって簡単じゃない。
寄り添い方に正解なんてない。
だから、私なりの寄り添い方を形にしたい。
いや、形にします!


子どもより子どもな大人の私ですが、こうやってスクールオブロックに、ただいまって帰ってこられるのは嬉しい。
今、10代のみんなにこんな生徒も居たんだな、こんな大人もいるんだなって伝わったらいいな。

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思い出の曲は最大公約数です。ららら。

いつもありがとうございます!!
RADを追いかけて16年、気づけばライブ参戦も40回を超えました。
そんな、僕にとって1番の思い出は最大公約数です。

高校生の頃に三重県から初めて一人で和歌山のライブに参戦して、「懐かしい曲をやっていいですか?国内ではまだやってないんだけど」とアンコールラストに最大公約数を歌ってくれました。
まさか、大好きな最大公約数を聴けるとは思わずに、
大興奮したのを今でも覚えています。同時にその大興奮を誰とも共感できなかったのを覚えています。

そして、10年越しに、昨年のライブツアーでは最大公約数を演奏してくれました。

10年越しの最大公約数は、
10年前と違って、大切な人と一緒に聴くことができました。声出しはもちろんのこと、歌詞の「君が8なら僕は2になる 僕が10なら君は5になる」では、隣で顔を合わせながら、2人で指をおって、息を合わせて、(2人の指の数の合計)で8を作ったり、10を作ったりと、、、たぶんライブ会場でそんなことしてるの俺らだけじゃね、?ってくらいの世界観でノリノリで聴いてました。

実は大切な人とはRADをきっかけでお付き合いを始めました。(改めてありがとうございます。)2人にとっても思い出の曲はたくさんです。辛い時、頑張りたい時、楽しい時、掃除してる時、ずっとRADを聴いてまいます。正直書ききるのが難しいのですが、、いつもいつもRADのおかげでリアル数字1.5馬力で気持ちを上げられています。
これからもずっとずっとRADを応援してますー!

一度でいいからRADのメンバーたちにお礼がいいたいです。

20周年ツアーも色々な曲を聴けることがこれから楽しみです。

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RADWIMPS先生!

RAD先生20周年おめでとうございます!

RAD先生との出会いは2016年、このスクールオブロックでした!そして、この日はスクールオブロックとの出会いの日でもあります。

あの日、なんとなく周波数を合わせて流れてきたのが、スクールオブロックで初フルオンエアされた「前前前世」だったんです。
当時の私は、小学校に通えておらず、未来なんて全く想像できませんでした。楽しいことなんて1つもない日々の中で、前前前世を聞いた瞬間、「こんな鮮やかな曲があるのか!こんな明るい世界があるんだ!」と衝撃を受けたことを覚えています。
布団の中で聴いていたのに、目の前が明るくなったあの瞬間を忘れることはありません。

それから、またあの音楽に出会いたい‥と思って、毎晩ラジオを聴くうちに、とーやま校長とあしざわ教頭のトークに引きこまれていました笑。これが、スクールオブロックを聴き始めたきっかけです。

それから6年後、高校の卒業式では正解を歌いました。中学の卒業式はコロナでなくなりましたが、必死に生きた学生時代の最後を、RAD先生の曲で締められて本当によかったです。

あの日、前前前世に出会えていなければ、私はスクールオブロックとも出会えていなかったし、何より世界はモノクロのままでした。

人生を変えてくれた前前前世を、9年越しに聞きたいです!!