生まれたところも同じで人生を共にしてきたといってもいい親友が今週の卒業式で高校も変わりお別れになってしまいます、親友はこんなわがままな自分に文句もなしにこの15年間付き合ってくれました。こうしてみるとすごくいい友達を持ったと思います!最後にこの今までの人生の感謝を伝えたいです!
今一緒に暮らしてる家族と
ある日突然会えなくなる
いつも一緒に遊んでる友達とも
ある日突然遊べなくなる
こんなことが起きてしまったのが13年前の今日で。
人との繋がりを大切に「今」を生きるしかない、それが震災で生き残った僕らのすべきことなんじゃないかなって思いました。
大切な人と、会えなくなる前に。
私の大切な人は石川県に住んでいるおばあちゃんです。おばあちゃんはとても優しいし、一緒にいて楽しいです!私が成人するまで生きると約束しているので、これからも元気でいてほしいです!
※東日本大震災のことについて書き込もうと思います
不快に感じる人いたらすみません
当時、僕は幼稚園に入るよりも前の赤ん坊、記憶はほとんどありません。
でも、福島から被災してきて、今でも関係が続いている福島の友達を思うと、この震災の痛みがよく分かります。
今でもたまには雑談したりする仲なのですが、そんな被災者の友達は、僕が辛い時にも僕にいつも勇気をくれる大切な人です。
いつかこの震災の痛みも、毎日の他愛ない話で回復できたらいいのに。
わたしの大切な人は、家族です。
今は弟2人と私と父4人で暮らしているけど、春からは1人で暮らすことになります。4人で過ごせるのもあと1週間です。だからこそ、少しの時間を大切にしたいなって思います。
13年前の今日、私は年長さんでした。その日もいつも通り保育園に行ったのに、そのいつも通りは、一瞬で壊れてしまった。私の家は内陸なので、津波の被害などもなく、親族も皆無事でしたが、同じ県内でも、津波や地震の被害でご家族を亡くされた方、行方不明のままの方がたくさんいると思います。
だからこそ私は、家族全員で過ごせることが、どれだけ幸せなことで、当たり前のことなんかじゃないと、強く思います。いつか会えるからと後回しにしたら、そのいつかは来なくなってしまうかもしれない。いつでも会えるけど、いつでも会えなくなるかもしれない。そう思うから、ちょくちょく家族に会いに帰ってきたいし、これからも4人の日常を大切にしたいです。
お父さん、18年間、育ててくれてありがとう。父子家庭なのが悔しかったこともあったし、お母さんがいたらって思ったこともあったけど、ここまで育ててくれたことに感謝しています。これからは少しずつ返していくから待っててね。
弟たち、私の弟として生まれてきてくれてありがとう。正直苦しい生活で、文句もたくさんあるだろうけど、私は君たちが生まれてきてくれて本当に良かったって思ってるよ。君たちのお姉ちゃんになれて幸せだよ。これからたくさん悩んで、たくさん格闘して、もっともっと成長していく君たちを側で見守ることはできないけど、お姉ちゃんはいつでも君たち2人の幸せを祈っています。いつでも頼っていいからね。大好きだよ。
私の大切な人は部活の同級生です。私の中学生生活の中で1番気があって1番相談しやすくて1番遊んで1番思い出深い人たちだからです。私は周りの子となかなか趣味が合わなくて自分の好きなことに対して話をすることができませんでした。だけど,偶然にもみんな同じような趣味があったので仲良くできました。受験前までは毎日夜みんなでゲームして遊びました。部活の先生に「昨日ゲームしてないでしょうね。」と言われたことに対して「はい昨日はしてないです。今日はしました。」みたいに夜遅くまでやったり,深夜テンションでお母さんからうるさいと言われるくらいに話しながらやったことなど色々ありました。友達とはなかなか遊べなくて,少し離れている存在な気がしたけど,部活の時に今日やろとか毎日言ってくれて嬉しかったです。だけど,昨日部活の三年生を送る会があり,さらに卒業もしてしまったのでもう遊んだり話したりはしないのかなと思うと少し寂しいです。高校もそれぞれ違います。頑張って写真撮ろと言って撮ることはできたけど感謝を伝えることはできませんでした。本当は毎日のように遊んだり話したりできて楽しかったよ。人生で1番幸せな時間を過ごせたと思う。高校はみんな違う場所行くけどまたたくさん遊ぼう!!!3年間本当にありがとう。と言いたかったです。
少し特殊かもしれないですが、私の大切な人はスキマという方です
スキマさんはYouTubeでゲーム実況をしていて、よく叫んだり怒ったり泣いたりと喜怒哀楽が激しい方です
リスナーとの距離も近くてよくコメントを読んでくれる上に、リスナーのコメントもセンスがあって面白いので スキマさんとリスナーで配信を作ってる雰囲気がしてとても楽しいです
落ち込んだ時に観ると絶対に笑って元気になれるので、私の心の栄養です
いつも恥ずかしくて伝えられていませんが、スキマさんにはいつもありがとうと伝えたいです
こもり校長、COCO教頭、生徒の皆さん、こんばんは!
私の大切な人は「兄」です。
私には、中学3年生の兄がいます。
たまに喧嘩したり、ウザイなー!と思うけれど、やっぱり大好きな兄です。
そんな兄が、明後日卒業を迎えます。
卒業式の何週間か前にやる3年生を送る会で、私は生徒会なので色々と準備をしました。
その頃から、「もう少しで卒業か」と寂しくなることがありました。
今まで本当に色々なことがありました。
私が迷惑をかけたこともあれば、向こうが迷惑をかけたこともありました。
それでも、「たった1人の兄弟」同士で互いに助け合って、支え合ってきました。
明後日はたぶん、卒業生よりも泣いてしまうと思いますが、それでも笑顔で「おめでとう」を言って、私自身も2年生へ向けて切り替えて行こうと思います!
全国の卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます!
お兄ちゃん、卒業おめでとう!
2024年3月11日。今日で東日本大震災から13年が経ちました。もうあれから13年となるとあっという間に感じました。私は震災の時は、まだ小学校入学前でした。昼寝していた時に、突然揺れが来て、今までにないくらい恐怖を感じました。
そして13年が経った今、今日はとある場所に行ってきました。この場所は中学生になってから毎年行くようになりました。その場所は、「仙台空港」です。
去年の12年の時はキズナ祭で、東京でその日は過ごしましたが、今年は2年ぶりに3月11日に仙台空港へ行きました。そして地震が発生した、午後2時46分、仙台空港で黙祷しました。この13年が経って感じたのは、生きることができて本当によかったなと思いました。数多くの命がこの震災では奪われたので、時間が経つにつれて、悲しさは増していきます。今年元日にも能登半島地震が発生して、甚大な被害が出ました。
地震はいつ起こるかわかりません。平和なのがどれだけ最高なのかを思い知らされた13年だと思いました。このようなことは無くならないとは思いますが、2度と起きてほしくないと思いました。
私の大切な人は小学校の頃に同じ塾で、今は同じ中学校に通っている同級生です。
中学校に入学した時のオリエンテーションで誕生日が同じことを知り、心の距離が近くなりました。
今はちょっと上手くいっていないけど、私にとって本当に大切で切れない人です。
皆さんより年齢は上ですが汗
書き込もうと思います。当時私は、高校2年生でした。学年末考査中で、早く家に帰れた私はテレビを見ていました。テレビから「地震です!揺れています」と聞こえ最初は、「大きいなぁ」としか思っていませんでした。しかし、テレビから流れてくる映像に「本当に日本で起きていることなのか?どこか違う国で起こっている事なのではないか?」と思ってしまいました。
しかし、考え方を変えるきっかけをくれたのはスクールオブロックでした。
震災後最初の放送で、当時のやしろ教頭が「昔、無意味に悲しいことをしてはいけないと言われたけれど言わなければ一度も思わないままかもしれないからあえて言いたいんですけど、今まで一緒に過ごして来たこの学校の生徒が多分亡くなってしまって、
「僕は死んでしまいました。」とその子は書き込めないから。みんなずっと覚えてろとは言わないけれど、夜が来たらたまにでもいいから思い浮かべてほしい」という言葉を聞いて、自分には地震の影響はほとんどありませんでしたが震災を身近に感じ考え方が変わりました。
今日の授業と少し繋がる部分はあるかもしれませんが私の大切な人はスクールオブロックの校長、教頭、そして、生徒の皆さんです!!長くなってしまいすみません!
私の大切な人は校長、教頭、職員の皆さん、ここに通っている生徒のみんなです。スクールオブロックに出会って7年。実際に隣にいるわけではないけれど夜10時になれば電波の中で繋がってまた明日って言える。そんな大切な人たち、場所があったから今日まで生きてこれました。先日、何度も辞めたいと思った高校を卒業することが出来ました。本当にスクールオブロックという学校に出会えて良かった。毎日生放送を届けると言うことはとても大変なことだと思います。本当にありがとうございます。大切な人に会えることは当たり前じゃないのだと忘れずに今日も登校したいと思います。私も誰かの大切な人になれる様頑張ります。
初めに、東日本大震災で被災された方々にお悔やみ申し上げます。
僕が大切な方はクラスメイトの「友達」です!!
二年生になった初めの頃は、仲が良い友達と別れてしまった関係もあって前のクラスが良かったと思っていたのですが、修学旅行や球技大会の行事をして今のクラス好きになりました!!
更に、体育の授業でボールを使う際には僕にゴールを決めるまでパスをだして下さったりするので、とても優しいクラスメイトです!!
なので、クラスメイトの友達が僕にとって大切な方です!!来年度はクラス替えが無いので、三年生はクラスメイトに感謝を伝えながら過ごしていきたい
です!!
私の大切な人は中学校三年間を一緒に過ごしてくれた学年の仲間達です。
時間が止まって欲しいと何度も思った修学旅行。
クラスごとに嬉し涙、悲し涙を流した体育祭。
三年生みんなでとれた合唱祭の金賞。
まだまだ数え切れないほどの思い出があります。クラスでぶつかることもありましたが、なんだかんだ仲の良い学年だったと思います。
しかしそんなかけがえのない仲間達とも明日でお別れです。
卒業式の合唱で私たちは
radwimps先生の「正解」を歌います。
その歌詞の中で「君のいない明日からの日々を、」という歌詞があります。
歌っていく中で、本当にお別れしてしまうんだなと改めて実感し、とても寂しくなりました。
本当に学年のみんなには感謝でいっぱいです。
なので明日は最高の仲間と最高の1日で締めくくりたいと思います。
こもり校長、COCO教頭、こんばんは!
僕は、今周りに大切な人が沢山います!
幼稚園からの友達、小学校からの友達、中学校からの友達、高校からの友達、今までできた先輩と後輩、今まで育ててくれた学校の先生、部活の顧問、そして何より1番そばに居てくれる家族。
数え始めたらキリがない程の、たくさんの大切な人が僕の周りにはいます。
友達はいつも笑顔で楽しく絡んでくれて、自分を支えてくれてる優しい人たちです!
先輩はいつも後輩の僕を気にかけてくれ緊張を払拭してくれるように関わってくれる尊敬する人です!
後輩はみんなフレンドリーで明るくて話してて楽しくて遊んだりする最高な子達です!
学校の先生は、自分のことを認め応援してくれここまで支えてくれました!
家族は唯一血の繋がる一生涯を共にする仲間で、ここまで成長するのにずっと見守り正しい道に進めてくれた手放せない存在の人達です!
自分と関わってくれた人全員が僕にとっては大切な人達で愛する人たちです。いざと言う時に助けてくれて支えてくれる、そんな人たちばっかりです。
僕にとってどんな人も物理的な距離はあっても、心の距離は近くすぐそばに居てくれてるので、自分と関わってくれた人全員が大切で愛する人です!
だから、、僕は自分と関わってくれてる全ての人が自分のすぐそばにいる大切な人です!
僕の大切な人は、同い年の恋人です。それぞれ別の高校に通っていてなかなか会って話をする時間が作れない中でも、たまに電話をするときはお互いのことを話すのが止まらなくなって、気づいたら2時間近く話をしてしまうような関係です。奥手だし不器用で非力な自分のことを受け入れてくれて、いつも元気づけてくれるその人のことが僕は本当に大好きです。
この春からはその人は地元に残り、僕は愛知へと離れて新生活を送ることになります。これまで一緒に過ごしてきたこの地元を発つ日が迫る今、これだけでも伝えたいということがあります。
「さみしくなったときには、また電話で話そうね。いつか飛行機で一緒に旅ができたらいいな」
東日本大地震で被災したかたがたにお悔やみ申し上げます。
僕の大切な人は中学で一緒のクラスだった親友です。
彼とはいつも一緒で楽しく過ごしていました。たわいのない話をしたり楽しい日々でした。先週卒業式があり彼は県外の高校に行くので卒業式には出席できず最後まで一緒にはいられませんでした。また一緒に遊ぶのでたわいのない話をして笑い合いたいです。
最後に自慢ですが卒業式の時に第二ボタンを"欲しい"と言う女子がいたのでちぎって渡しました。
自分にとって大切な人は中学時代の恩師です。
生徒会役員だった僕は先生との関わりが人より多くありました。その先生が中3の担任になり、進路相談もしてもらうようになりました。推薦入試に落ちた日、一般に向けて願書を書く必要があり受験校をどうするか考えていた時に先生から一言「受験校のレベル下げるとか認めない。今まで頑張ってきたんだろ?」と言われ、びっくりしました。その結果見事合格! 今はその先生のような教師になりたいと思い大学入試の勉強を頑張っています
先生、俺先生のおかげで教師って夢見つけられました。先生みたいになれるように精一杯頑張るので応援しててください
初めに、今日東日本大震災から13年が経ちました。被害に遭われた方、心からお悔やみ申し上げます。そして未だ避難生活を送っている方、一日でも早く笑顔溢れる生活に戻れることを心から願っています。
私にとって1番大切な人は大好きな母です。
よく友達に「ほんと仲良すぎだよ!」と言われるほど仲良しな母。お互いにいじりあったり、小さなことで喧嘩したり、、親子と言うより親友みたいな関係値で、母といる時が1番楽しくて幸せです。
ですが、そんな仲良しな母だからこそなんだか照れくさくて、日頃の感謝をなかなか伝えれません。だからこの機会に伝えたいです。いつも本当にありがとう。ママの娘で産まれてこれて私は世界一幸せです!これからも世界一仲良しな親子で居ようね!
今日は3月11日ですね。
テレビではずっと東北の震災の話が流れてましたが、最近震災の話に触れようとすると精神的にツラくなりがちなので今日はテレビを全然観ませんでした。
…ダメですね、東京の人なのに、勝手にダメージ喰らって、苦しんで。
東北の人たちの方がもっと苦しい思いをしたっていうのに。
13年前を経験した人は時の流れで記憶が薄れたり、そもそも当時幼過ぎて覚えてなかったりするんでしょうけど、ぼくは大学の授業でたまたまメディア関係の授業を受けた際に震災の話題に触れて当時のことを思い返したら、ちょっと怖くなっちゃったんです。
なぜかは分からないけど、あの時の「恐怖」が蘇るようになったというか。
おかしいですよね、こんなの。
やっぱり自分は弱いんだとしみじみ。
でも今日のSOLは聴きます。
校長と教頭の明るい声が聴きたいから。
最後に高1の時に高校の希望者だけで行った「東北研修」で聞いた、東北の人たちの言葉を載せておきますね(特に意味はない)。
(南三陸町にて、バスの車内でガイドさんが言った言葉)「やっぱり、今どきは地域の繋がりが重要なんだ」(この方は地震直後、津波が来ると分かって近くにいた子どもに避難を呼びかけたが、『知らない人には着いて行くなと言われてる』と言われてしまったという)
(同じく南三陸町にて、別のバスガイドの言葉)「本当に、人生何が起こるか分からない」(この方は震災当時海沿いのホテル勤めだったそうだが、偶然に偶然が重なり津波から生き延びた、ついでに家族も偶然に偶然が重なり生き残った)
(東松島市にて、湾の中の島々を見る遊覧船の中でガイドさんが言った言葉)「島が自然の防波堤になって(街を)守ってくれたんだ」(東松島も津波の被害を受けたが、湾の中の島々が津波の威力を打ち消したお陰で比較的被害は少なかったらしい)
私の大切な人は幼稚園からの親友です!
その子とは小学校では離れちゃったのですがそれでも仲はとてもよくて中学でまた一緒になってクラスもずっと一緒で、もう姉妹みたいな存在です。話をしなくても意思疎通できたりもう家族同然の子で私が久々に学校に行って嫌なことがあった時とかに何も言わずに話を聞いてくれて本当に彼女は心の支えです!
そんなだいすきな彼女に普段は照れくさくてありがとうが伝えられて無いけど、もうすぐ新学期で3年生になるので、クラス替えの前に感謝を伝えたいです!
ぼくの大切な人はクラスメイトです。この1年間にたくさんの思い出が詰まりすぎています笑。
明々後日に卒業してしまうのが寂しいです。卒業までにたくさんの感謝と愛を伝えたいです。
そしてまた胸を張って会えるように、まずは明日の公立一般入試で第一志望の高校に合格します!
私の大切な人は、恩師です。もう卒業してしまったためそばにはいませんが、尊敬するとても大切な人です。
共通の好きな話題で盛り上がったこと、悩みを相談したら温かい言葉をたくさんくださったこと、ご自身の経験を教えてくださったこと。そして何より、夢を諦めずに叶えようと思わせてくださったこと。
私には将来の夢があります。ですが、周囲の人に反対されています。そのことを去年知り、周囲からは傷つくような苦しい言葉をたくさんかけられました。もう折れそうになったとき、その先生からの言葉をいただき頑張るエネルギーとなりました。感謝に尽き、頭が一生上がりません。
今、先生のおかげで頑張れているよ、と伝えたいです。
私の大切な人は高校三年生の時に仲良くなった友達です。
その3人とはいつも一緒で何度も助けてもらいました。
私が人間関係で悩み、ボロボロになってしまった時に1人だった私にお昼ご飯一緒に食べよ?と声をかけてくれたのもその3人でした。
本当に声をかけてくれたことが嬉しかったし、その3人のおかげで学校が楽しいと思えるようになりました。
朝や放課後にふざけたことで笑い、4人で色んなとこに遊びにも行きました。
本当に毎日が楽しくて学校に行くのが幸せでした!
悲しいことがあった時もすぐに連絡をくれたり、そばにいてくれました。
卒業してからも私が他の子と喧嘩してしまった時に真っ先にLINEをくれたのがその子たちでした。 大丈夫だからねと声をかけてくれたり、ずっと味方だからねって声をかけてくれたことは本当に嬉しくてこの子達と仲良くなれて良かったなと思いました。
進路はみんなバラバラだけど、私が高校生活を笑顔で終わることが出来たのはこの3人のおかげです。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
またみんなで会いたいな
先生から来るよーって言われてた仲いい不登校のお友達。まさかの風邪で行けなくなったらしい。先生に言われてたから会えるのが嬉しかったけどなんか一緒に卒業出来ないのが辛い……。仕方ないけれどその子の分まで私は明日頑張る。
私の大切な人は、1年間寮で同部屋だった後輩です。
4月に初めて会ったとき、緊張して人見知りをしている姿が入学当初の私を見ているようで守ってあげたいと思ったことを覚えています。
最初はあまりコミュニケーションを取ることができなくて、どう接したらよいのかここで相談に乗ってもらったこともありました。それでも少しずつ距離を縮めて、今ではゆったりと話せる唯一無二の関係になりました。お互いまだ完全に打ち解けたわけではないけれど、それもまたそれでいいなと思います。
この同部屋ももうあと4日で解散です。プライベートのない共同生活、不便なこともあったけれど、私を笑顔にしてくれて、頼ってくれて、とても楽しい日々でした。後輩と同部屋になれてよかったと心から思います。
あの時の揺れの怖さ。今も忘れられません。能登の方々もきっと同じ思いだったと思います。ラジオのメッセージやSNSを通じていくつか伝えてますが、福島の完全な復興は、まだまだこれからです。能登の皆さんも一緒に歩いていきましょう。
自分の大切な人は、家族です。あの日も、その前からも、暗くを共にしてきました。これからは自分たち兄弟が支える番となります。少しづつできるところからささえていこうと思います。
私は大切な人として色んな人が思い浮かぶけど、私を変えてくれたSNSで出会った友達が大切です。
その人とは私が精神的に1番辛い時に出会って、好きなバンドが同じという共通点があって仲良くなりました。
私の自信が持てないし、完璧で居なきゃいけないと思って、色んな人が怖かった気持ちを、否定しないで優しく言葉をかけてくれて、好きな事に自信を持てるようになったし、完璧じゃなくてもいいんだと思わせてくれたから、そばに居る人を怖がるのも少なくなってすごく救われました。
歳も結構離れてるし、性別も違うけど、その人の言葉はいつも私に寄り添ってくれます。
物理的にはそばに居ないし、最近は何故か分からないけど相手の都合でDMを送ってももう少し待っていてと言われて返信が返ってこないけど、その人の言葉はいつも私のそばにいます。
まずは東日本大震災で被害に遭われた方々へ、お悔やみ申し上げます。日本が早く復興しますように。
僕の大切な人は、友達です。明日卒業して、来月からは高校生になります。特に高校が違う人とは会える機会は少なくなりますが、繋がりを大切にしていきたいです。