おやすみとチャールズに声をかけにいった時には0時をまわっていた。違和感しかなかった。
しかし、チャールズもおやすみと微笑む。
「明日は6時半までに起きてくださいね。」
瑛瑠はを平静を装って頷いてみせた。
6時こそ就寝時間である。日が昇る前から昇りきるまで、今まではだいたい6時に寝て12時に起きていたのに。
そんな考えも、体力と気力を使い果たした今、なやむことでもなかった。
初めてのベッドの中でもすぐ寝付いたのは、よっぽど疲れていたからだ。
白く染まる日の向こうで
ふたり手を繋いだままで、歩いた道を振り返る
この前くれた 開いた紙の匂い
乗り込んだ江ノ電 浮わついた気持ちすら
確かめるのは切なくて 苦しくて。
先輩の卒業式の日、私は泣いた。
勇気を出して挨拶をできたら挨拶が返ってきた日、
たまに話せて本当に嬉しかった日、
どうすれば仲良くなれるのだろうとずっと考えていた日は
もう二度とやってこないと思うと
涙が止まらなかった。
今はその恋心が無くなってしまったけど、
たまにすごく会いたくなる時がある。
あの毎日にはもう戻れない。
瑛瑠が食べ終わるのを見計らって、チャールズは再び口を開く。
「先程も申し上げましたが、明日、とりあえず始業式に出席していただきます。そこで、同じような方を見つけること。ただし、情報云々は考えなくて良いです。魔力持ちを見つけること、人間に馴染むこと。まずはこの2つができれば上出来ですね。お嬢さまを侮っているわけではありませんが、他のことは考えないでください。欲張ると、出来ることさえ出来なくなってしまいます。」
迫力に圧されるように頷く。夕食前に聞いた話だ。
大丈夫、覚えている。
ふっと空気が緩んだ。
「それでは、ここはお任せください。
お嬢さまは、寝るまでの支度をどうぞ。」
微笑まれると、もう従うしかない。
本来、これから活発になるのだが、これもイニシエーションというのだから仕方がない。今までのサイクルを急に昼夜逆転なんて、拷問に近い話ではあるが、耐え抜くしかないのだろう。チャールズも、経験したといっていた。
1週間のうち、2日間は休みだと話していたか。10年前のイニシエーションの内容を、時間をかけて聞く必要があるなと考えた。
カーテンを閉め、部屋にあるものを大まかに把握し、シャワーをあびてから、チャールズから聞いた準備というものをする。それが、制服と鞄。相変わらず軽くて薄い衣類なのだが、それ以上にスカートの丈が短いことに驚く。ハンガーに吊るす。やはり、やったことのないことばかりだった。
メイドは私の身の回りのことをここまでやっていてくれてたのね,と感心してしまう一方、こういうことがなければ、私は他の暮らしを、文化を知らなかったのか。そう、うすら寒い思いがする。初めて、通過儀礼的だと思った。
これとこれどっちがいい?
「どっちでもいいよ」
一口食べる?
「どっちでもいいよ」
何でもどっちでもいいって言うよね
そんな君が僕は嫌いだ
気を使わせないようにしてるの?
でも僕は君の「どっちでもいいよ」に
すごく気を使うし
すごく困るし
すごくイライラする
君にもこの気持ち気付いて欲しいから
今度君になんか聞かれたらこう答えてあげるよ
「どっちでもいいよ」
君に会いたいな
早く明日まで待てないよ
好きって伝えられなくていい
君の横に居れればいいだけだから
今は君の横には居ないけど
好きになっても意味ないと言われても
なんでそんな人を好きになるの
と言われてもあきらめない
好きな気持ちは変わらないから
目の前に広がるのは夕食。
「何もかも急ですみません。」
チャールズが用意したものだ。こんなに人数の少ないディナーは初めてだ。そして、ディナーというほど大袈裟でもなく。
瑛瑠としては、絵本の中に入ったような気分だった。大人数じゃないことも、味を好評しなくていいのも、マナーを注意するお世話係がいないのも、夕食1つにしてとても新鮮で好ましいものだった。
「いいえ、なぜチャールズが謝るの。」
スープから手をつける。
「もう少し前から説明できなかったものかと……」
ふと、瑛瑠は気になったことを質問してみる。
「チャールズは、イニシエーションを行ったの?」
「人間界に来ましたよ。お嬢さまと似たようなことを言われました。」
即答。しかし、妙な答え方をするものだ。
父のような隙は一瞬もなかった。どうやら本当のようではある。
瑛瑠は口をつぐみ食べ進める。
今度はチャールズが言葉を発した。
「慣れが早いですね。」
言われた意味が理解できない。首をかしげてみせる。
「寂しくはないですか?」
前の言葉との繋がりはまるで見えないけれど、首だけを横に振ってみせる。
「よかったです。」
微笑む。
綺麗な顔だなあと、そう思った。
朝のなんとなく憂鬱な気分で乗る電車
その電車の中で
右隣に立っているサラリーマンは
難しそうな顔で何か資料を読んでいて
左隣に立っている学生は
ニコニコしながらスマホを見ていて
目の前に座っている小学生くらいの少年は
窓に頭を預けて眠っていて。
どこかで女子高生はけらけら笑っていて
どこかで赤ちゃんが泣いていて
それらに舌打ちする大人がいて。
生ぬるい空気の中ただ時間と共に運ばれている僕は
このまま降りなければ
どこか理想郷へ…ううん理想郷じゃなくてもいい
どこか遠くへ着くかな
なんて寝ぼけた頭で考えてるんだよな
だって私はこのなんとも言えない感情を
自分のせいにしちゃうから。
誰かを嫌う自分を嫌って
泣いてる誰かの涙を笑って
そんなふうに生きてしまうから。
当たり前の日常を当たり前に思わないのは
毎日が過ぎるのに恐怖を感じてしまうから。
明日が今日と変わっているなら、
今日あったものが明日ないなら。
戻って掴んでどこかへ行きたい。
鉛みたいに重いくせして
君を見るだけで浮いてどこかへ行きそうな
この心臓はなんなんだ
瑛瑠はふっと微笑んだ。
「わかりました。それでは、10年前に関係のある情報を探ること、努力します。」
こうなったら最後まで踊ってやるんだから。そう、決心する。
"10年前"。この言葉は、どうやらキーワードらしい。今、チャールズでさえ、一瞬の動揺を見せた。
しかしすぐに、華のように微笑み、瑛瑠に言う。
「はい。私もお嬢さまがイニシエーションを完遂できるよう、ささやかながらお力添えをしますね。」
イニシエーションを完遂。妙な言い方をする。
チャールズがこうしてヒントを少しずつ小出しにしていたと気付くのは、もうしばらく先の話。
しかし、とすぐに続ける。
「日常的に起こるわけではないのです。この国は大きなことが起こりづらいと言われているので、使う必要はない。旦那さまは、そうおっしゃっていたのだと思いますよ。
……さて、これくらいでしょうか。」
瑛瑠は思わず叫ぶ。
「待って!肝心なところを聞いていない!
イニシエーション終了は?期間は?情報って何!」
チャールズはあくまで冷静だ。
「落ち着いてください。とりあえず、明日同じような方々を見つけてくればいいでしょう。そうでないと始まりません。」
瑛瑠は睨む。
「――策士。」
「お褒めいただき光栄です。」
やられた。まず、そう思った。
父が隠していたい部分を引き出し、あくまで明るみにしてもいい部分だけ教え、肝心なところを教えないと言う。
やはり、ただのイニシエーションだとはとてもじゃないけど思えない。
きっと、その"情報"とやらが、大人たちの欲しいものなのだろう。
「いつまでここにいなきゃならないの。」
「イニシエーションが終わるまで、ですよ。」
瑛瑠は黙って睨む。時間だけが流れる。
今まで飄々としていたチャールズが、始めて折れた。
「降参です。可愛らしいお顔が台無しですよ。」
「答えて。」
「長くて1年、でしょうか。」
「1年……」
そんなに長い通過儀礼があろうか。その間に成人を迎えてしまう。
イニシエーションが、ただの"イニシエーション"ではないと、確信に変わった。
ゆったりと、沈んでゆく。
何が沈んでゆくんだろう。
自分?それとも違う人?それとも物?
それは何もわかんない。
けど。
何かが沈んで、ぷかぷかぷかぷか。
何かが浮かんでくる。
それが、心の奥底にある何らかの。
思い出せない思い出だったらいいのに。
このチャールズとは、面識があるように思えてならない。しかし、記憶を手繰り寄せる限り、初めましてである。このような容貌の青年を忘れるだなんてことができるだろうか。
「……お嬢さま?よろしいですか?」
「え、ええ。続けて。」
チャールズは困ったように息をつくだけに留まった。
「そこで、ですが。ここは仮名文化なので。」
どういうことだろう。
「高校では、祝 瑛瑠(はふり える)と名乗っていただきます。」
「……はぁ。」
間の抜けた声になってしまう。
諦めの境地。いっそ、開き直りの境地である。
パプリエール、もとい祝瑛瑠は受け入れた。
「つまり、パプリエールではないまったくの別人として、人間として生活していけば良いという解釈でいい?」
「物分かりがはやくて助かります。」
にっこりと微笑む。
瑛瑠はその笑顔に聞く。
「それでは、魔力を使う必要がないと言われたのは、どういうこと?」
「人間は魔力を持ちませんから。」
一瞬の思考停止。
「……確かに。」
魔力を持っているからこそ、相手を傷つけ得る。傷つけられないために魔力を持つ。お互いに釣り合った魔力を持つことで、争いは抑止される。
そうなると、魔力を持たない人間はそういうことはないのだろうか。
またもや心を読んだかのように、
「人間は人間なりに相手を傷つけるものを作り、傷つけられないように再びにたようなものを作り、同じように抑止させるようなシステムになっているので、私たちとさして変わりません。」
そんなことを言う。
このチャールズとは、面識があるように思えてならない。しかし、記憶を手繰り寄せる限り、初めましてである。このような容貌の青年を忘れるだなんてことができるだろうか。
「……お嬢さま?よろしいですか?」
「え、ええ。続けて。」
チャールズは困ったように息をつくだけに留まった。
「そこで、ですが。ここは仮名文化なので。」
どういうことだろう。
「高校では、祝 瑛瑠(はふり える)と名乗っていただきます。」
「……はぁ。」
間の抜けた声になってしまう。
諦めの境地。いっそ、開き直りの境地である。
パプリエール、もとい祝瑛瑠は受け入れた。
「つまり、パプリエールではないまったくの別人として、人間として生活していけば良いという解釈でいい?」
「物分かりがはやくて助かります。」
にっこりと微笑む。
瑛瑠はその笑顔に聞く。
「それでは、魔力を使う必要がないと言われたのは、どういうこと?」
「人間は魔力を持ちませんから。」
一瞬の思考停止。
「……確かに。」
魔力を持っているからこそ、相手を傷つけ得る。傷つけられないために魔力を持つ。お互いに釣り合った魔力を持つことで、争いは抑止される。
そうなると、魔力を持たない人間はそういうことはないのだろうか。
またもや心を読んだかのように、
「人間は人間なりに相手を傷つけるものを作り、傷つけられないように再びにたようなものを作り、同じように抑止させるようなシステムになっているので、私たちとさして変わりません。」
そんなことを言う。
かえる
蛙が啼いて
蛙が啼いている田んぼ
蛙が啼いている田んぼのあいだ
蛙が啼いている田んぼのあいだに外灯
外灯
外灯がない
外灯がないほうの
外灯がないほうのみち
外灯がないほうの路を選んで
外灯がないほうの路を選んで気が
気が
気がついた
気がついたら知らない
気がついたら知らないまっくら
気がついたら知らない真っ暗な公園
公園
公園のぶらんこ
公園のぶらんこで揺れて
公園のぶらんこに揺れて
公園のぶらんこが揺れて
揺れて…
(ファンタジー、とはちょっと違うのかな)
(かえるのうたが…みたいなものが描きたくて)