表示件数
0

ミセス先生はじめまして!

ミセス先生こんばんは
初書き込みです。
今までミセスLOCKS!は聴いていたのですがなかなか書き込む勇気が出ませんでした。
今回書き込んでみようと思ったきっかけはSoranjiです。
僕にとってミセス先生は初めてはまったバンドで、好きになって以来ずっと聞き続けています。
今回のミセスLOCKS!を受けて信じるということについて考えました。
僕自身友達に恵まれており、信頼関係は充実していると思っています。
しかし、「自分自身のことを信じる」というのと「ほかの人を信じる」というのは別のニュアンスを持つ全く別のコトバという風に感じます。
あくまで個人の感想なのですが、「自分自身を信じる」というのは自分で決めたことを貫き通し、それを達成することで得られるものなのではないかと考えます。
僕の一意見としては「自分自身を信じる」ということは達成感に結びつけて考えます。
「ほかの人を信じる」ということは期待なのではないかと考えました。
例えば、人間不信というのは人のことを「信じる」ことができないのであって、他者への期待が壊れることによって生まれてしまうものであると思います。

単に「信じる」と言っても対象の違いによって大きく変わるのかなと考えました。
「信じる」ということについて考えたことを踏まえてSoranjiを聴きます。
普段はこんなに深く考えもしなかったのにいい機会になりました。
今後の学校生活にもこの教訓を生かします。
ありがとうミセス、信じてます。

0

信じるということ

愛と想いと願い、求めていたものと違っていたとしても許し受け止める
ということでしょうか元貴先生

0

こんばんは!!

ミセス先生こんばんは!
ゼンジンsold outおめでとうございます!!
どんなライブなのかとても楽しみです!
私は、落ち込んだ時ミセスの我逢人を聞いて元気を出しています!
ミセス先生のオススメのリフレッシュ方法は何かありますか??
これからも応援しています!頑張ってください!!

0

信じる…

先生方、こんばんは。

改めて、今回の授業を経て、さらにSoranji聴いて、"信じる"とは何か、思い返してみました。
ですがやっぱりそう簡単に出るものではなく、
逆に軽率に使ってきた自分を反省するまでに至っております。

個人的に自分を客観視し、自分自身の分析をよくするのですが、
その中で一つ、自分の中の答えに近いのかなと思える事があります。
「自分に対して嘘をつきたくない、自分が決めたことからは目を逸らしたくない。」
という事です。
僕にはある夢があって、たまに自信がなくなることが多々あるのですが、それでも自分で決めたことなのだから、走り続けるしかない。
そう思うと、少しだけ、気持ちが落ち着くと言うか、軽くなれる気がするのです。
ある意味迷走ともとれますが、それでも自分の決めたことだけは曲げない。
そういう意志が、僕にとって"信じる"ということに繋がるのかな、と思いました。

あくまで僕個人の話で、僕自身も胸を張って言えたことではないのですが、やっぱり時間をかけてでも、"生きる"、"信じる"と言う事を、深く、向き合っていきたいなと思いました。

0

トリックオアトリート!

ミセス先生こんにちは!もうハロウィンですね!
ミセス先生たちの仮装を見て思った以上にびっくりしました!ところで!ミセス先生は小さい頃になんのお菓子を必ずもらっていましたか?ちなみに僕はマシュマロです

0

ゼンジン!!

ミセス先生こんばんは!!
ゼンジン未到とリライアンス〜復諳編〜 、ソールドアウトおめでとうございますー!!
この前の一般販売で!なんと!!チケットを勝ち取ることができました!!めちゃめちゃ嬉しいです〜〜
今回の一般販売は、どの公演も10秒ぐらいで売り切れたらしく、チケット取ることがでたのはもう一生分の運を使い切りました笑 無事ツアー完走することをJAM'S全員が願っています!!楽しみです!!

0

信じるの対義語

ミセス先生こんばんは。

前回の大森先生の言葉を聴いて、私も考えました。
「信じる」とは何か考えてみると、とても抽象的で言い表せなかったので、「信じない・信じれない」とはどういう状況かを考えることにしてみました。

その中で私がたどり着いた「信じる」とは、
「受け止める」でした。

信じない・信じれない時というのは「傷つきたくない」という思いが裏にあるような気がして、
しかし傷ついてしまうのは「期待」をしているから。

ここで期待することと信じることの違いとは、どのような結果になっても受け止めることができるかどうかであるという風に考えました。

何が正解か、正解はあるのかは分かりませんが、考える機会を下さったことに感謝しています。

これからも「考える」ことを大切にしていきたいです。

0

信じる

「どんなに残酷な現実を知っても、どんなに裏切られても、その対象をどうしようもなく自分の思う理想像と重ねてしまうこと、裏切られてるわけじゃない、だめになったわけじゃないと思って、希望を抱え続けてしまうこと」かな…と思いました。だから「信じる」ことも「信じられる」こともある意味呪いのようになってしまいそうだし、大森先生の言った「見返りがないと信じれない人」っていうのはきっと私もそっち寄りで「信じられる」とそんなに君が思うほど素敵な人じゃないし裏切りだって、傷つけることだってたくさんあるよ、思ってしまったり逆に「信じる」ことは自分が誰から「信じられる」ことを受け入れられてないから出来ていないな…とか色々考えました。Soranji、もっとたくさん聴き込みたいなと思います。

1

信じる

あくまで勝手な解釈ですが、自分なりの答えを出したい、進むべき道が見えることだと思うんですけど、Sorangjiの楽曲としては神様に縋るような、人の弱さとか憂いに近いものを感じました。安心感を得る(リスク)があって、傷をつけて自身を慰撫することが信じる根源だと思いました。それを外に押し付けると期待に変わるし、自分の中で完結させるものだと思います。

0

Soranji

ミセス先生こんばんは!
つい先日映画館に行った際「ラーゲリより愛をこめて」の予告が流れたんです!!
1人だけテンション上がってしまってずっとイヤホンや携帯でしか聴いてなかったので初めて映画館という大音量のところで聴いてイヤホンとか携帯で聴くよりも迫力が凄かったです!映画公開楽しみです!

0

信じるとは!

大森先生、若井先生、藤澤先生こんにちはー
"soranji"を始めて聞いた時鳥肌が止まらなくて自然と涙が出ていました。本当に綺麗な曲で今このコメントを書いている時も聴いています。
私なりの「信じる」を考えてみました!
「信じる」とは藤澤先生と似てしまう部分もあるけど"愛"だと思います。自分自身のこと(相手のこと)を理解していて、これからとる行動の結果がある程度分かっている。そのとろうとしている行動について肯定しているから「頑張れ」や「大丈夫だよ」「1人じゃないよ」と我々は声をかけていると思います。
いざ行動する時勿論不安で、怖くてたまらないし、心配もあるけれどそれでも受け入れられるのが"愛"であり自分自身(相手のこと)を「信じる」ということだと思います。

0

信じること

信じるに限らず、言葉を細分化して説明することは難しいことだと思います。なぜなら、その言葉自体をそういうものだとおもって使うからです。でも、だからこそ自分はどういう風にその言葉を捉えているかを考えるのは大事なことでもあると思います。難しいけど、信じることがどういうことか、私なりの解釈を書いてみます!信じるとは、何があっても相手を、自分を認め続けて生きていくことだと思います。相手に何があっても、自分に何があっても、認められる。それが信じることではないかと思います。また、信じるは期待すると紙一重だと思います。信じるは一歩間違えたら期待になる。「信じてたのに○○だった。」とか。それは信じてるんじゃなくて期待に変わっちゃってると思うんです。期待は悪いことじゃないけど、信じることと意味を混合させてはいけないと私は思いました。

0

「信じる」

ミセス先生こんばんは。前回のミセスロックスを聞いて、「信じる」ということは何か沢山考えました。私の周りでよく使われる「信じている」という言葉は、ほとんどが「期待している」という意味で使われているように感じます。でも私は「信じる」と「期待する」は全く別物だと思います。多くの「信じる」と言った人は「〇〇であってほしい」「〇〇になってほしい」と相手を枠で囲み、その人が枠から外れた時に「裏切られた」と言います。「信じる」とは本当にそういう感情なのでしょうか?何度か平和学習で戦争経験者のお話を聞いたり、書物を読んだり、そして今回Soranjiを聞いて、誰かを「信じる」ということは相手に未来を委ね、それがたとえ自分の予想や望みとは違ったとしても、新しく出会った枠の外の相手も愛することだと思います。

私はMrs. GREEN APPLEの皆さんを信じています。

0

信じる

私は人との「心のつながり」が信じることだと思うなぁ、と聴きながら考えていました。私は1人では生きられないからこそ、誰かと向き合って心をつなげていくこと、が信じる。真剣に誰かと、または物や夢と向き合うからこそ、不安になったり崩れてしまうこともあるけれど、だからこそ尊いものなのかなとも思います。
また、なにより心のつながりは私自身を強くしてくれる、支えてくれるものであるなぁと思っています。つながりで自分自身を肯定できることで、ほかの誰かにも寄り添えるのではないかなと!まとまりませんがたくさん想いを巡らせました!!こんな機会をありがとうミセス!!!

0

信じるとはなにか若いながら考えてみました

ミセス先生こんばんは今日の授業をきいて、
「信じるとはなにか」というのを自分なりに考えてみました。自分は、相手の幸せを無条件で願う事が出来る関係、お互い一緒の未来を無条件に約束する事が出来る。それだけが信じることという訳ではないと思っています。勝手な自分の意見ですが信じる事と裏切られる事は対(つい)な気がして、相手に尽くしても、相手からは何もかえってこない。その瞬間に怒りや悲しみ、後悔が自分から湧き出てくれば、自分は相手を信じていたのかと、そこで初めて明確に答えが出るんじゃないかなと思います。
めちゃくちゃ難しい話だし、人生13年ちょっとしか生きてないガキんちょの意見でしかないですが、
相手と出会って仲良くなって一緒に思い出を作って行きたいと思ったその時に、裏切りやいつか居なくなってしまうかもしれないという悲しみがよぎって、この人になら裏切られてもいいかななんてそんな綺麗事は決して言いたくないし、許せそうにもない。だけどそれでもこの人と一緒に居たい、歩いて行きたいそう思うことが出来ればそれは立派で最高な『信じる』ことなんじゃないかなって思いました。 伝えたい事が交差して書きたいこと全然書けてない気が汗汗、、伝わってくれ!!今の自分にとっての信じることはこれだけど、大人になったら考えも変わるのかなー?って少し楽しみです。今の自分の考えを大事にして、頭の片隅に入れながら生きて行けたらいいなーって思います!考える機会をくださって本当にありがとうございます!最後にミセス先生!大好きです。

0

Soranji

ミセス先生こんばんわ。今回の授業での信じるとはと言う問いに私なりの答えを出してみました。
信じるとは、自分の近い将来でも遠い将来でも、それを相手や自分自身に委ねると言うことだと思いました。なので一方通行では完成しないものだと思います。なぜなら何も知らない赤の他人に自分を委ねることはできないからです。相手も自分と同じ思いや望みがあってその上お互いの信頼関係の上で成り立つものだと思います。ここで言う信頼関係は、もし裏切られたとしても、この人に裏切られるんだったら仕方ないなと思えることです。この裏切りはきっと不本意だったんだよね、と思えることです。そしてまたこの人と頑張りたいと思えることです。なので信じると言う言葉は自分が大事だと思う人や大切にしていることだけに使える言葉だと思います!誰にでも使える言葉ではないと思います!
以上!GREENきゅーたでした!

0

信じる

ミセス先生の今回のお話はなかなかに深く難しいものでしたね。皆とは少し違いますが、私は「信じる」とはある程度自分のエゴも入ってると思います。信じるの主体は自分自身で、相手の中に自分の理想を描いているからこそ、裏切られたという感情も出てくるのではないでしょうか。
だからこそ、Soranjiの「信じて欲しい」という歌詞は、何に対してでも良いから自分の理想や希望を見出して生きて欲しい。あなたがそう思うのならそれは間違いじゃないというメッセージなのかなと、今日改めて思いました!

0

私が考える「信じる」

「信じる」は他人に託す!みたいなイメージがあるけれど、実は自分に対する覚悟とか決意が根源にあると思います。自分で決意して、自分に対して責任がつく、だからこそ「信じる」ことって難しいんだと思います。「信じる」に似た「期待」という言葉は、相手の行動の結果に何か見返りを求めているけれど、「信じる」という思いは、相手に何か求めることが1番の目的ではなく、実は自分の意思を貫くことが軸にあるんじゃないかなーと思いました。

0

信じるということ

信じるとは知ることだと思います。
誰かや自分、人に限らずあらゆるものを信じるには知っていなければ信じることは困難です。

知らないことを信じるのは、これから起きる事全てを受け入れなければなりません。
何も知らなければ受け止めるものが多すぎて、時には壊れてしまうこともあります。

全てを知ることは出来ないかもしれない、それでも知らなければ始まらない。

知った上で受け入れることができるかどうかだと思います。

言葉にするのはとても難しくて、正しくないかもしれない。それでも考え続けて言葉にしていくことがとても大切なのだと思っています。