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シューアイス『神崎の場合』その2

「神崎、お前ってひどい奴だったんだな。」ちょっと怯えた表情で牧田が私に聞いてきて、ちょっとふきそうになった。ひどい奴って、言い方ひどくない?てか同じクラスでもないあんたに言われることじゃないと思うんですけど。2階廊下の一番端の理科室の前で、牧田は偉そうに腕を壁に突きだし、私を問い詰める。「彼氏がボコられたからって、あそこまでする必要ないだろ。意味わかんねえよ。」めんどくさいなあ。早く教室戻んないと後藤田に怒られるんですけど。朝からダルがらみとか本当に勘弁してほしい。「杉田なら3階の空き教室にいるから、迎えに行ってあげれば?あいつのことで話あんだったら本人連れてきてからにしてよ。」「お前がそんな奴だったなんて、知らなかったよ。もっとマトモで優しい女かと思ってたのに。」ああもうほんとグダグダうるさいなあこいつは!さすがに頭きた!偉そうに突き出された左腕を取って思いっきり捻りあげる。勢い余って牧田の顔が壁に激突し、鼻が折れたような音がする。牧田の顔辺りからドロドロした血が白塗りの壁をつたって落ちるのを見ながら、私は牧田にだけ聞こえるように、耳元で吐き捨てるように言った。「人を勝手に良い奴だとか悪い奴だとか決めつけてんじゃねえよ。ちょっと容姿良くて勉強できる女ならおしとやかな人間だって考えがそもそも甘いんだよ。ヘドが出る。お前みたいな奴がいるから生きてて息が詰まりそうになる。そんなに自分の価値観が大事なら、一生引き込もって家から出んな、クソ野郎。」腕を離すと牧田はそのまま崩れ落ちた。私は肩の埃を払うと、足早に教室に戻っていった。

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続々々・シューアイス【全校集会】

「私達は時として、最愛のものを食べてしまいたいと思う。生まれたての赤子に対して、食べてしまいたいほど可愛いという感情を、人は恐れもせずに抱くものである。愛とは、だからして、見るだけでは飽き足らぬものなのだ。目で愛し、観想し、出来ることなら食してしまいたいほど、私達は恋い焦がれてしまうものだ。しかるに愛の対象とは、目で見て、口に入れて、初めて満たされるようなものでなければならない。諸君、私の言わんとすることがわかるか。わからなければ想像してもらいたい。諸君にとって、目で愛し、食べて愛することができるものがなんなのか。そう、そうだ、シューアイスだ。あの甘美な楕円形を想像してみたまえ。そして、口に入れたときの、あの至福を思い出して見たまえ。私達がもっとも愛すべきものは、まるで天使のようにふわりと軽やかに、それでいて聖母のようにどっしりと安堵させるような甘さと食感で、私達を包み込んでくれるのである。私は、校長である前に、一人の人間である。この私という人間が、この世でもっとも愛すべき存在が、たった一つのシューアイスであるということを、私は隠すつもりもないし、むしろ声を大にして喧伝したい。私達はシューアイスを義務として愛するのではない。シューアイスが、愛すべき存在であるから、愛するのである。シューアイスを信ずる者たちよ、誇らしく胸を張れ。私達が愛するものは、愛であるがゆえに、正しいのだと。今一度、私達は、私達が愛するものは何か、この愛を示すには、どのような態度を持って接するのか、考えてみるべきである。もう一度言う。愛は、目で見て、観想し、出来ることなら食べてみて、初めて満たされるものだ。どうか、愛する心を失わぬよう。それではこれにて、月例の全校集会を終了とする。各自、解散。」生徒は眠い目をこすり、ぞろぞろと教室に戻っていった。

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シューアイス『杉田の場合』

「はりつけにされたら、無実の罪にさえも謝ってしまいそうだ。」肌寒さから目が覚めた。夏なのに、骨まで染みるような底冷えで、体が軋むように傷んだ。目の前には、夏の夜の深い青に染まった教室の、空っぽの机と椅子がずらりと並んでいた。神崎の執拗な拷問で気を失ってから、僕はどうやら教室の黒板にはりつけにされたようだ。空っぽの教室を眺めてみる。神崎にかけられたシューアイスの残り香が微かに香って、夜の冷たさに押し潰された。口の中がカラカラに渇いて、昔、西内と食べたシューアイスの味を思い出す。あの頃の僕は幼く、無知で愚かで無力だった。今の僕は、どうだろうか。高校生になった僕は、シューアイスへの愛すら全うできない、しょうもない奴じゃないか。怒りに身を任せてみたところで、自分を守ることさえもできない、最低の男になってしまった。喉の奥が痛いほど渇いて、シューアイスがどうしようもなく食べたくなった。けど、そんな資格はもう僕にはないんだ、と気付いて、唇を強く噛んだ。愛したものが必ず手に入るとは限らない。それは、気付かない内に、手の届かないところへ行ってしまう。外では、ねばりとした風が吹いて、暖かい空気を何処かへ運んでいってしまう。短い呼吸を繰り返す。こうしていれば、いつの間にか朝が来て、全部無かったことになるのだろうか。目をつぶって、もう一度、シューアイスの極上の一口を食べられるような朝を想像して、僕は眠りにつこうとする。

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主観に縛られない価値はあるのか。

私は、あると思います。
理由は、以下の通りです。
1.お題の解釈について
お題を考えるに辺り、言葉の定義を次の通りとして考えました。まず主観ですが、これは主体(この場合書き手である私)から見たもの全てとします。つまり私の意識を通して認識された全てのものです。また、縛られないという言葉については、「限定されない」とします。「影響を受けない」だと曖昧だし、そのまま捉えると如何様にも解釈可能なためです。そして、価値について、これは「誰かのためになり得る要素」とします。例えば美という価値は誰かにとってこころの安らぎとなり得るし、少し汚いですが排泄物等でも肥料として使えるため、価値があると言えます。
2.主観に縛られないものの可能性について
主観に縛られない、つまり私を通して認識されることによって限定されないものがあるかどうか、考えてみます。例えば花の色は、私から見たときには黄色く映るものでも、蜂や他の生物から見れば違う色に見えます。花の色は、私に認識されることによって色を限定されているのではなく、他者の認識によって変質されています。つまり花の色は、私という主観から認識され得ない色を持っているということになります。なので、主観からでは認識され得ないものがこの世界に存在するということになります。
3.主観によって縛られない価値について
主観に縛られないものがあるとしましたが、それは価値についても当てはまるか、考えてみます。価値というのは、前述で定義した通り、「誰かのためになり得る要素」としました。先ほどの花の例で言うと、花の色の美しさはこの価値の定義に当てはまります。花の色という価値は、主観を通すと限定されてしまうのかというと、そうではないと言えます。なぜなら、この花の色という価値は、他者から見たときに私にとっての価値と違う捉えられ方をするからです。例えば、黄色い色は私にとってはあまり良いと思えない色ですが、他の人から見れば幸福のサインと捉えられる可能性があります。つまり、花の色という価値は、私の認識を通すことによって限定されないものと言うことができます。

以上から、私は主観に縛られない価値はあると考えます。