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ドアを開けると

 日本人形、とりわけお菊人形なんかはなんとなく不気味、怖いと敬遠する者が多いが余は嫌いではない。どちらかといえば好きだ。
 ある日曜日、早朝、旅番組で人形を供養する神社が紹介されていた。大量のお菊人形が並べられた境内をカメラがゆっくりと移動していく。ふと、なぜだろう、やや大きめな一体が余の目にとまった。余は、すかさず静止画にしてじっくり見てみた。その人形は、明らかにほかの人形と違っていた。見た目が可愛らしいだけでなく、生き生きとしていてかつ、憂いがあった。余は、この人形を生で見てみたいと思った。で、その神社に行くことにした。
 昔ながらの幸せは、消費文明にはかなわない。金がなくても幸せにはなれる。幸せなんてものは原始時代から存在していたのだ。余は幸せなどいらぬ。快楽があればよい。余は金がある。暇もある。金と暇があればどこでもすぐ行ける。これすなわち快楽。
 目当ての人形は、あった。お馴染みのおかっぱ頭。少し髪がはねている。陽にあせた赤い着物。複雑な刺繍が施されている。下がり眉、二重まぶた、密集した長いまつげ、やや丸みのある鼻、小さく薄いおちょぼ口、ふっくらとした頬、小さなあご、うつむき加減で、憂いを帯びた表情。色は人形のように白い。ああ人形だった。
 いつまで眺めていたのかわからない。あたりはすっかり暗くなっていて、風が冷たかった。人形に、「さようなら」と言って神社を出た。一泊し、あちこち見てまわってから帰路についた。
 ドアを開けると、あの人形がいた。

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死神

「この世は本当に存在しているのか。すべては幻ではないのか」
「人間は外部を知覚することによっていわゆる人間になるのだ。いま認識しているこの世が脳のつくり出した幻だったとしても、まず最初に世の中ありきなのだ」
「誰ですかあなたは」
「わたしかね。まあこの世ならざるものとでも言っておこう」
「なるほど。急に目の前に現れるなんてまさにこの世のものとは思えない」
「さっきからいたよ。急に現れたように感じたのはお前がぼうっとしているからだ。鍵ぐらいかけておけ。ところでずいぶん悩んでいるようだな」
「いま、生きているという実感がないんです」
「若者なんてだいたいみんなそんなもんだ」
「そうですか。でも、悩んでいるんです」
「いまなんてどうでもいいではないか。人間は未来を志向する生きものだ。樹木を傷つけて一定時間経過後、染み出してきた樹液を食すサルなどもいるが、人間の未来志向には及ばない。男性なら子の誕生、女性なら孫の誕生により、いつ死んでもよいなんて心境になったりするのも未来志向だからなのだ」
「未来なんて不確かなものですよ。妄想の産物でしかない」
「人間は現実より妄想依存型なのだ。確かないまより不確かな未来。人間はパンによってのみ生きるのにあらず、妄想の力によって初めて人間として生きる。幻を生きるのが人間なのだ。お前はいまでさえ幻と感じている。完璧だ」
「……なんかよくわからないけど、希望が湧いてきました」
「そうか。たまには外出しろよ。天気もいい」
「はい。久しぶりにツーリングに出かけようと思います」


 ーーもしもし。A県のB警察署の者です。ご家族にCさんという方はおられますか? 高速道路で交通事故にあい、現在D市のE病院に救急搬送され……

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セールス

「むきむきになりたい。腹筋ばっきばきになりたい。でも筋トレするのはしんどいなあ。腹筋ベルトは高いし」
「よおっ」
「なんですかあなたは」
「わたしは悪魔だ。お前のような怠け者の願いをきいてやるのがわたしの仕事」
「やったー。ぼく、筋肉むきむきになりたいんです」
「こんな便利な世の中に生きてて過剰な筋肉など必要なのかね。それに人間には殺傷力のある道具を作る知恵がある。無駄な筋肉なんかはいらない」
「あの。願いを人生相談みたいにきいてあげるだけってことじゃないでしょうね」
「はは。まさか。ところであらかじめ警告しておくが、願いをきくのは三つまでだ。三つきいたらお前の魂をいただく」
「べつにいいですよ。ぼくは筋肉が欲しいだけなんだから」
「では、この薬を飲みたまえ」
「うわー、なんかいかにも効きそうな色だ。ごくっ……ぐあああああっ……ああっ、すごい。まるでギリシャ彫刻みたい」
「ふふん。どうだ」
「鏡見てきます。……うわあああっ」
「どうした? 全身むきむきだろうが」
「こんな不細工な顔じゃあ女の子にモテないよ」
「亀の甲羅でも嚙み砕ける咀嚼筋だ」
「顔は普通でいいんですよ。元に戻してください。ああでもそうしたら願いが二つに」
「失敗は成長に必要なコストだ。この薬を飲みたまえ」
「はあ〜。ごくっ……ぐああああ……はっ。あれっ? 全身元に戻ってる」
「元に戻せと言っただろうが」
「いや、ぼくが言ったのは……」
 で、結局、悪魔は魂を手に入れる。

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アマゾン

「いいなぁ〜。友だちみんな、お盆は海外だって。……おじいちゃんは海外行ったことある?」
「あるよ」
「えっ? どこに?」
「グアム」
「ほんとにー⁉︎」
「戦争でだけどな」
「……おじいちゃんって、いくつなの?」
「さぁ〜、忘れたな……海外なんか行って伝染病なんかにかかるよりは、家でのんびりしてたほうがましだ」
「いまでも伝染病が流行ってる国なんてあるの?」
「人口が密集しているにもかかわらず、農業利用などの糞尿を処理するインフラが確立されていなければ伝染病が流行るのは当たり前だ。
 太平洋戦争中の戦死者の6割は餓死と病死らしいが、野営地にトイレをつくらなかったがゆえのコレラなどによる死者もかなりの数に上っただろう。
 人口問題といえばまず食料問題だが、食料問題の解決のすぐ後には、排泄物の処理の問題が待っているのだ」
「おじいちゃん、よくわからないよ」
「しょうがない。もうぼけてるからな。はっはっは。ところでな、お前の欲しがってたアメコミ、買っといたぞ。ほら」
「あっ! バットマンだ! どこで買ったの?」
「友だちに頼んだんだ。なんでもアマゾンまで行って買ってきたらしい」
「おじいちゃん、それは……まあいいや。ありがとう」