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月の涙 4

 妹に半ば強引に氷枯村行きを決めさせられてから数分後。私は読んでいた本に丁寧に栞を挟みこみ圭一さんと連絡をとっていた。年始に親戚が一同に集まった時に連絡先を交換しておいてよかった。この計画は圭一さんが一緒に来てくれるかどうかですべてが決まる。果たして彼から来た返事は、
「……OKだって」
少しだけ、圭一さん断ってくれないかなという思いがないでもなかったために私の呟き声にも似た声はあまりよく響かなかったが、妹には伝わったようだ。
「ほんと?」
「ほんとほんと。ほら」
スマホの画面を妹に向ける。妹は一瞬だけ頬が緩みそうになったがすぐに引き締めた。完全には無理だったようでちょっとにやついて見えるけど。なぜ笑みをこらえるのだろう?
 私たちは次に、どうやって氷枯村まで行くかを検討した。この時点で圭一さんにも電話越しに話し合いに参加してもらった。
「久しぶり、二人とも。元気してた?」
「お久しぶりです、圭一さん。ええ、元気でした。そちらもお変わりないようで」
「はは、堅苦しい挨拶はやめとこう。性に合わないみたいだ」
圭一さんはとても親しみやすい人で、大学でも多くの友人を持っていると聞く。どんな人にも適切な距離感を知っているようで少し羨ましい。
「君たちの親には連絡したのか?」
「はい。圭一さんと一緒なら大丈夫だろう、と」
「これは責任重大だな」
もう一度、ははと笑った。爽やかだな。
 話し合いの結果、直通バスは難しいとのことだったので電車とバスを乗り継いで行くことにした。費用は一部圭一さんが出してくれるとのこと。
「本当にありがとうございます」
「いいって。僕も月涙花見てみたいし。写真でしか見たことないから楽しみだよ」
「そうですか……」
「……なんだい? あまり楽しそうに聞こえないけれど」
 

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月の涙 3

「そんなわけで無理です。あ、従兄の圭一さん呼んだ……ら……」

圭一さんは父方の従兄であり現在大学に通っているため年齢的にも心強い。ひ弱な女子高生である私よりも安心して妹を任せられるわと楽観していたら、妹が瞳に涙を溜めていた。そろそろ溢れそうだ。
「姉ちゃんと……見にいきたい……」
目から涙がつうと頬を伝う。えっ何で、と思っているうちにますます涙があふれてきて嗚咽も混ざり始めた。唐突なことに頭が混乱しながらとりあえず妹を不明の理由から慰めようと声をかける。
「ごめん! 何がいけなかったのか分からないけど、とりあえずごめん! お姉ちゃん、何でもするから。ほら、泣き止んで? お願い」
「……ホントに?」
「え?」
「ホントに何でもしてくれるの?」
「……いや、それはその……」
妹の濡れた瞳が見る見るうちに輝き始める。妹が見せるこの手の顔には非常に弱い。ああ、これはもう降参するしかないな。
見事に妹にしてやられた感はあるが、妹は過去から現在に至るまで純真を貫いており、あれが決して嘘泣きだったという訳ではない。だからこそ前言撤回する隙など微塵もないのだが。私は仕方なく圭一さんを連れていくことを条件にその話を呑んだ。さよなら、読む予定だった十冊の本。
「分かった。まずそのアイス食え」
妹の手に握られていた棒アイスは半ば溶けていた。

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月の涙 2

 写真集は探せばすぐ見つかるし、インターネットなら画像検索でいくらだって画像を見れる。何故家を出てまで見に行かなければならないのだろう。
「絶対生で見た方がきれいじゃん」
というのが我が妹の意見だった。何でも妹の友達が去年月涙花を見に行ったらしく、その時えらく感動したとか何とかで、学校が明けてからその感動を妹にまくしたてるように話したらしい。で、それに感化されて今年見に行きたい、と。
 しかし我が妹は現在小学六年生。五歳差の十七歳の私から見てもまだまだ子供であり、実際月涙花が咲く時間帯は小学生が一人で出歩いていい時間ではない。親に頼めばいいのではという疑問がちらついたが、そういえば両親は二人で旅行中だった。なるほどそれで保護者責任が付く私に頼んだという訳か。しかし、
「いや、私もアウトだから」
 町の条例で定められている高校生の外出制限は夜の十一時まで。それ以降に外出しているところを見つかると補導の対象となる。月涙花がいつ咲き始めるのか分からない中でこの数字はやや心もとない。
「しかも私、家で本読まないといけないんですけど」
これは義務です、と言わんばかりに少し語気を高めて言う。群生地の氷枯村はこの街から北方、大分離れた山の中にある。観光地であり都市から直通のバスが通ってるとはいえ、今客の数はピークだろう。バスに乗れない可能性が高い。バスを使わないで行くにも電車とローカルバスをいくつも乗り継いで行くしかない。バイトで貯めた金があるとはいえ出費が痛い。何より乗り物の中で本を読むと酔うので無理。
「そんなわけで無理です。あ、従兄の圭一さん呼んだ……ら……」

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月の涙 1

 「月涙花を見に行きたい」
 妹が突然こんなことを言うものだから、私は一瞬その意味を図りかねて本をめくる手を硬直させた。
「……。……何言ってるの?」

 夏の盛り。八月下旬。私は家で残りの夏休みを精一杯謳歌するべく、毎日古今東西の本を読み漁っていた。インドアも引くほどのインドアな私は、家で読書という英語の例文にでも出てきそうな過ごし方が大好きだった。そのため夏休み最初の二週間で宿題をほぼ終わらせ、残った時間でせっせと本を借りては読んでいるという状況だ。ここ一週間くらいで20冊近く読み終わり、夏休み終わりまであと四日と迫っていた。あと十冊は読める。
 そんな風に思いながら次のページに手をかけていたものだから、まるで外出を強制するような妹のその一言に身を硬直させてしまったのだ。見に行く、だって?
「聞こえなかった? 月涙花見たいって……」
「いや、それは聞こえたけど」
 妹は冷房直下のソファに寝転がってスマホを見ながらそう言った。片手には棒アイスが握られている。
 月涙花というのは夏のごく限られた期間にだけ咲く青い花だ。ある時期になると一斉に咲き出す月涙花は非常に幻想的であり、日本で唯一の月涙花の群生地、氷枯《ひかれ》村にはこの時期に多くの観光客がやってくる。ほら、と言って妹が見せてきたスマホの画面にも月涙花の写真が写る氷枯村のホームページがあり、今年の月涙花の見ごろの時期なども一緒に載っていた。
「明日から明々後日にかけて……」
月涙花はその美しさの反面、すぐに枯れてしまうという性質がある。咲いている時間も特殊で、咲き出すのは陽が沈んでから、夜明けまでにはほぼすべての花が閉じそのまま二度と開くことなく数日で枯れていってしまう。さらに群生している月涙花は同じ根から咲いていることが大抵であり、一つの群生地で見ごろを逃すとその場所ではもう見ることができなくなってしまう。次に同じ場所で見られるのは五年後なので、よくカップルなんかが五年ごとに写真を撮って記念にするのが定番だったりする。
 妹が差し出してきたスマホを眺めながら昔どこかで読んだ本の記憶をあさりつつ、私は思ったことをそのまま口にした。
 「なんで?」

***
物語です。長くはしないつもり。