表示件数
0

コールセンター

 文明が発達し、清潔文化が行きすぎると人間は、有機的なものを気持ち悪いと感じるようになる。
 近年、その度合いはいよいよ激しくなり、若者は美を二次元── マンガやアニメ、ゲームなどのキャラクター──に求めるようになった。
 パンデミック後のライフスタイルからのフィードバックも手伝って、極端に潔癖症となった人々は、人工物に近いものほど美しいととらえるようになり、あげく、美は無機的であり、醜は有機的(少し前に流行ったSF映画のセットのような有機的デザインは、無機物を有機に擬態したもの、あくまでも、的、なのであって有機そのものではない)、美は善、醜は悪という考えかたがスタンダードとなった。
 当然、恋愛離れも増加傾向にある。恋愛は基本的に、生理現象に基づく有機的行為だが、しなくてもいいものだからだ。    
 このままいくと人類は最終的に、排泄を行うことにも嫌悪感をおぼえ、有機体であることに嫌気がさし、肉体を捨て、脳を人工物に移植するようになるだろう。  
 というエッセイをSNSにアップしてから一時間後、コメント欄を見たら、なんと、すでに脳を移植する時代は到来しているとのこと。URLをクリックすると、ちゃんとした国の機関らしい。早速チャットで質問する。
費用はどれくらいですか?
国の財源でまかなわれるので、いっさいかかりません。  
どのような手術をするのですか?  
手術は行いません。脳の記憶をコンピュータに移し替えるだけです。
ということは単にコピーを作成するだけなんですね。ありがとうございました。
 チャットを終えようとしたところに、電話がかかってきた。非通知は拒否されるはずなのに。反射的に出てしまう。

 ──もしもし。
 ──こちらは厚生労働省記憶管理センターです。コピーを作成するだけと解釈されたようですが、それは認識不足です。コピーではありません。
 ──どう考えてもコピーでしょう。  
 ──コピーかどうかは視点の問題です。オリジナルが消滅すれば、もはやコピーではありません。  ──それはオリジナルであるわたしに死ねということですか?  
 ──いいじゃないですか。気持ち悪いんでしょう。いまの自分が。

 移植されたいまも、コールセンターの仕事のかたわら、このようにエッセイの投稿をせっせと続けている。

0

僕の好きな先生

 鶏が先か卵が先かは、進化の視点で見ればすぐにこたえの出る問題である。  
 鳥類は爬虫類から進化している。  
 爬虫類は成体の段階でいきなり変異したのだろうか。  
 否である。
 突然変異説を支持しようがエピジェネティック説を支持しようが結果は同じ。変異したのは生殖細胞内の段階でだ。  
 鶏に進化する前の祖先の鳥でも、それはもちろん変わらない。  
 ということはつまり。
 卵が先である。
 こんな小学校六年生でもちょっと考えればわかるようなことをいつまでも論争しているというのは、おそらく結論を出したくないからだ。  
 なぜか。
 永遠におしゃべりしていたいから。  
 きっとそいつらは口から先に生まれてきたのだろう。  
 おしゃべりの度合いの高さに比例して女性性は高くなる。
 女性的な協調性、男性的な探究心が文明の発達につながり、人類は繁栄してきた。つまり女性性の高い男性ほど進化しているといえるし、また、男性性の高い女性ほど進化しているといえる。  
 だがしかし、けっこうなことじゃないかと手放しで喜べないのは、逆に文明が発達しすぎて栄養過多となり、男性ホルモン、女性ホルモンの分泌過剰なハイパーが増えているように感じられるからである。豊かさが三代続かなければ脳は発達しないと最近よくきくが、発達しすぎなのだ。男性的な寛大さもなく、女性的な穏やかさもない、ヒステリックで自己愛の強い、頭でっかちで統合失調症ぎみの自分病の未来人が牽引する世界。終わってる。  
 といった内容のことを得意になって担任のクリスチャンの生物の先生に話したら、わたしは進化論は信じない、というセリフとほぼ同時に胸ぐらをつかまれ、顔面に拳を叩き込まれた。  
 先生は拳から生まれてきたんだな、と鼻血をたらしながら思いましたとさ。

0

廃墟(後編)

 振動が心地よく、うとうとしてしまう。腕をつつかれ目を覚ます。窓外の景色が、田舎のそれに変わっている。
「終点みたい」
 バス停看板に、廃墟前と書かれていた。女のすすり泣く声が、どこかからきこえた。僕と元カノは顔を見合わせ、どちらからともなく声のするほうに歩き出した。  
 緑のなかにぽつんと、小さなメリーゴーランドがあった。泣き声の主が、そこにいた。木馬に横座りして、顔を両手でおおい、肩を震わせているもっさりとしたベージュ色のワンピース姿の女。今カノだった。  
 僕は声をかけることをためらった。元カノと一緒にいることが気まずかったからではない。元カノに、もっさりベージュが今カノだと知られてしまうことが嫌だったのだ。なぜか。ファッションセンスがないのはともかくとして、絵に描いたようなブスだから。  
 そんな僕の事情、心情などわかりようもない元カノは今カノに近づき、「どうして泣いてるの?」とたずねた。すると今カノは顔を上げ、「この人、誰?」と僕に言った。元カノが振り返って僕を見る。
「元カノだよ」
 頭をかきながら僕はこたえた。
「で、どうして泣いてるの?」と元カノが今カノに顔を戻して再びたずねる。
「……だって、今日は初デート記念日なのに、ユウちゃん忘れてるんだもの」
「なんだ、そんなこと」
「そんなことって……あなただって同じ目にあったら傷つくでしょ!?」
「全然。そもそも記念日なんて作らないし……美人は毎日が特別な日。常に向こうから特別なことがやってくる。ブスは特別な日を自分で作るしかない。ブスほど記念日にこだわるのはそのため」
「ふんぎー!」
「ま、いいじゃない。わたしがこうして彼を思い出の場所に連れてきてあげたんだから」
 元カノがそう言い終えると、光が降りてきた。元カノは光に導かれ、天高く昇ってゆき、消えた。
 狭量な僕と今カノは、いつまでも地上をさまようしかない。

0

じゃがいもの美味しい季節ですね

 世界中の飢餓を救い、不毛と考えられていた極寒の地への民族の進出を促進し、また、その地における人口の増大にもつながった生命力の強い作物といえば何か。  
 じゃがいもである。
 その性質、人類への貢献度から花言葉は、恩恵、慈愛、慈善、情け深い、である。ちなみに、5月17日の誕生花。5月17日生まれの人の誕生日にはぜひ、じゃがいもの花を贈ってほしい(じゃがいもの品種は2,000種類以上あるそうだから選ぶのも楽しいね)。  
 そんなじゃがいもの消費量世界一はベラルーシ。生産量も当然多く、ウォッカの原料として輸出もしている。
 そうそう、じゃがいもは酒の原料にもなっているのだった。  
 飢餓を救ったばかりでなく、日々のうさを晴らす薬のもととしても重宝されるじゃがいも、果てしなく懐が深い。    
 ところで、ベラルーシだけでもじゃがいも料理のレシピは1,000種類におよぶといわれている。ベラルーシほどレパートリーが豊富な国はまずないだろうが、民族の数だけじゃがいも料理があるわけだから、もしかしたら卵料理よりも多いかもしれない。いや、多いに違いない。    
 わたしのおすすめのじゃがいも料理は、ドラニキである。ロシアやウクライナにもあるが、発祥はベラルーシ。じゃがいもを使ったパンケーキだ。
 千切りもしくはすりおろしたじゃがいもと、みじん切りにした玉ねぎを卵、薄力粉、ベーキングパウダーと混ぜ両面をきつね色になるまで焼く。それ、卵が入っているから卵料理でもあるよね、なんて突っ込みは無用。あくまでメインはじゃがいもなのだ。これにサワークリームをのせ、いただく。両脇にはベラルーシ美女、なんて演出も欠かせない。  ベラルーシ美女といってもぴんと来ないという人はロシアの元プロテニスプレイヤーのマリア・シャラポワ(両親はベラルーシ人)を思い浮かべてほしい。知らない人は検索してね。    
 だいたいあんな感じ。
 お顔、スタイルはともかく、ベラルーシの女性の平均身長は178センチ(シャラポワは188センチ)だから日本人男性は萎縮してしまうかもしれない。  そうですね。ベラルーシ美女のことは忘れてください。    
 さて、つらつらじゃがいもについて書いてきたが、カレーが好きな人はともかく、意外とそんなに普段、じゃがいもって食べないよね。

0

沼貝(後編)

 妹の手のひらから転がり落ち、湖につかった沼貝たちは息を吹き返した。
「ほらね。元気になったでしょう」と得意げに妹は言ったが、オキクルミには、とくに何か変わったようには感じられなかった。    
 しばらくして、自分たちを虐待したのはサマユンクルの妹、助けてくれたのはオキクルミの妹だと知った沼貝たちはその年、サマユンクルの妹の村は凶作にして、オキクルミの妹の村には豊作をもたらした。
 これはあのときの貝の力によるものだと気づいたサマユンクルの妹の村の人たちとオキクルミの妹の村の人たちは、畏怖の念から沼貝の殻を加工し、あわ、ひえ、もちきびの穂を摘む農具とした。  
 以来、どこの村でも収穫には、沼貝の殻を使うようになった。    
 収穫をコントロールする能力があるのに自力で湖に移動する能力はないなんておかしくないかと突っ込みたくなるだろうが、この話で本当に伝えたいのは、すべては連鎖していて、ちっぽけな貝といえども雑に扱ったら報復を受け、逆にていねいに扱えば恵みが与えられるということなのである。だからこれでいいのだ。    
 ところでこのエピソードは、知里幸惠(ちりゆきえ)のアイヌ神謡集をもとにしているのだが、地域によってサマユンクル側が助けるバージョンがあることをつけ加えておく。

0

沼貝(前編)

 アイヌは畑作は行っていたが、水稲には手を出さなかった。これはもっぱら民族的な気質によるものだろう。そのおかげでアイヌは自らが神になることはなく、自然神(カムイ)とともに生きることになった。
 雑穀を収穫するのにアイヌは、貝で作った穂摘み具を使っていた。紐を通し、フラメンコのカスタネットのようにした二枚貝でちぎり取るのである。鎌を使ったほうがはかどる思うが、鎌は魔を断つためのもので、神の恵みである食物には使用しなかった。  
 なぜ貝を用いるようになったのかについて、こんなエピソードがある。    
 日照り続きで沼の水が枯れ、パニックにおちいった沼貝たちは、口ぐちに助けを求めた。
「誰かー」
「どうかわたしたちを水のある場所に移してくださーい!」    
 と、そこにサマユンクルとその妹が通りかかった。    
 生理前でいらいらしていた妹は、手を差し伸べようとしたサマユンクルを制し、「おめーら、うるせえんだよ!」と言って沼貝たちを踏みつけ、蹴飛ばし、「はー、すっきりした。お兄ちゃん、お昼ごはんはかわうその脳みそがいいなー」と言って、兄の手を引き、去った。
 まさに踏んだり蹴ったりで、救助を呼ぶ気力まで奪われ、瀕死の沼貝たちのもとに、今度はオキクルミとその妹が通りかかった。
 沼貝たちを見下ろして妹は言った。
「お兄ちゃん、なんだかこの貝、ぐったりしてるように見えない?」    
 妹がそう言うとオキクルミは、「貝なんてみんなこんなもんだろ」とめんどくさそうにこたえた。
 すると頑固な性格の妹はオキクルミをきっとにらんで、「絶対ぐったりしてる! わかるもん、わたし」と言って沼貝たちを両手ですくい上げ、湖の方向に歩き出した。オキクルミは、「なぜわかるのかエビデンスを示せ」などとぶつぶつ言いながらも、妹について行った。

0

飯杖

 ダンボールを開けると、ハリーポッターに出てくるような杖が入っていた。    
 親の反対を押し切り、女優を目指して上京したものの、バイトをクビになって、お金も食料も底をつき、途方にくれていたところに一筋の光。数年ぶりにお婆ちゃんから電話があったので、親に内緒でお米を送ってくれるよう頼んだのだが、ダンボールには木の杖。    
 わたしはうなだれ、肩を落とした。    
 お婆ちゃんはもう、ぼけてしまったのか。    
 女が手っ取り早く稼げる方法といえば、キャバクラ、風俗、立ちんぼ。  
 こうやって落ちてゆくのだ。    
 お婆ちゃんがぼけてしまったことによるショックと落ちぶれたダブルパンチで涙が出た。  
 こんなふうにオーディションでも上手く泣ければ合格してたかもしれないなあ。    
 お腹減ったなあ。
 などと考えながら再びダンボールに目を向ける。
 おや。蓋の内側に封筒がへばりついているではないか。    
 急いで中身を確認すると、やったあ。三万円入ってた。    
 そうかそうか、これは孫を喜ばせるためのお婆ちゃんジョークだったのだ。そしてわたしはこの三万円で当座をしのいでオーディションを受け、泣きの演技が素晴らしいと絶賛されてヒロインに選ばれ、めでたしめでたし。    
 あ、手紙も入ってた。    

 なっちゃんへ
 この杖は先祖代々伝わる宝物です。飯杖といって、神に選ばれた者だけが使えるそうです。お茶碗に向けてひと振りすれば、あら不思議。ほかほかごはんが現れるのだとか。どうぞ試してみてください。じゃあまたね。  

 なんとなんと、わたしはその神に選ばれた者だった。なのでもう、ごはんには困らない。  
 オーディションでは、まだ一度も選ばれてないけど。  
 ごはんの上でひと振りすると、ふりかけの出てくるふりかけ杖を使える男の人がいたら結婚しようかな、と最近思っています。  

0

裸の王様

 むかし、ある王国に、とってもおしゃれな王様がいた。  
 トレンドはすべてキャッチし、また自らもトレンドを生み出すファッションアイコンになっているにもかかわらず、まだまだもの足りないなあ、なんて思っていたところに、世界各国を放浪して服飾ビジネスの勉強をしてきたという仕立て屋が現れた。  仕立て屋が王様にすすめたのは賢い者にしか見えない生地で作ったスーツ。王様はスーツが仕上がるとさっそくおひろめパレードを行った。  
 城門から王が姿を現すと、国民はちょっとざわついたが、賢い者にしか見えない生地というおふれが出ていたのでみな神妙な顔で見送った。誰も王様は裸だ、などと声をあげたりはしなかった。パレードは無事終了した。  
 仮に王様は裸だ、なんて言うやからがいたとしても、王様は動揺しなかっただろう。何代も続いている王族からしてみたら庶民など犬猫同然、裸を見られたところで恥ずかしくも何ともない。だったらファッションを自慢する意味もないのでは、とおっしゃるかたもおられるだろうが、そこはそれ。代々続いた王族なんてものは著しく精神のバランスを欠いた存在なのだ。一般人の常識を当てはめてはいけない。

0

フランクフルト

 スマートウォッチなど、ウェアラブルが当たり前の世のなかになって久しい。  
 近い将来、デバイスは体内埋め込み式が主流になるのだとか。  
 などとのんきにかまえていたらなんということだ。すでに実用化されているのであった。  
 つい先ほどのできごと。イヤホンも何もしていない、前歯のない、ワンカップを片手に持った老紳士が一人で大声で話しながら、駅の改札とイルミネーションで飾られたロータリーを行ったり来たりしていた。  
 便利だからついやっちゃうんだろうけど、マナーは大事だよなぁ。  
 などと考えつつ、小腹が減ったのでコンビニでフランクフルトを買い、食べながら歩いていると、角からナイフを持った男が現れた。
「あ、お父さん」
「おかえり」
 残りのひとかけらをのみ込み、「会社は?」とわたしはきいた。
「辞めた」
「そうなんだ。お母さん、家にいるの?」
「断食修行に出た」
「そんな……食欲の秋なのに」
「一二月は秋じゃない」
「もうすぐクリスマスだね」
「クリスマスはどうするつもりだ」
「今年もあなたと過ごしたい」
「カレン、もうこんな関係は終わりにしよう」
 そう言ってお父さんはわたしを刺した。意識がなくなる直前、フランクフルトの串が地面に落ちる音をきいた。