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1

コーヒーはミルク多めで。

珍しいね時間通りに来るなんて 外は寒かったでしょう? 鼻の頭がまっかっか。 わたしはもう注文したけどあなたは… やっぱり変わらないね ホットココアとミルクレープ 甘いものばかりじゃない ほんとにこどものままね ああ、わたしは変わったって? いつからコーヒーなんか飲むようになったのか わたしだってもう大人よ いつまでも制服のままじゃいられないじゃない それより、少し真面目な話をしてもいかしら 『 好きなものを、好きと言うのは簡単だけど 好きだったものを好きだったと認めるのは難しいと思うのよね。つまり、今を大切にすることより過去を受け入れるほうが何倍も苦しいの。』ちょっとまって そのミルクレープひとくち頂戴 『だからね、わたし、好きなものが増えたって思うようにしたの。好きだったものを嫌いになったり、憎んだわけじゃなくって、それを含めて、新しいものを好きになろうって。』だから 過去を拒むのは もう終わりにしましょう どうしたの わたしなにか可笑しいこと言ったかしら え?さっきからコーヒーに口を付けいないじゃないかって? そういうところも相変わらずね 泣き顔がゆらゆら揺れてたなんて言えない ミルクを注いで 過去も未来もかき混ぜて 飲みほしてから 続きを話すわ

2

可哀想だろ、同情してくれよ

私はこの世界のすべてを憎んでいる。

足をやる代価にと私の声を奪っていきやがったポンコツ魔法のことも、見も知らないはずの町娘なんぞと結ばれやがったあの男のことも、

――そんな馬鹿野郎一匹片付けることができず、海の泡になることを選んでしまった私自身のことだって、恨んでいる。

とうに感覚のなくなっていた私の身体は、ハイヒールの脱げた爪先から順番に、少しまた少しと深くなっていく青色へしゅわしゅわ溶けていく。

はるか頭上の水面が月光に照らされる様をぼんやり眺めながら、脳裏を胸中を巡るのはあの男の笑顔だった。呑気に笑いやがって、全部、全部、お前のせいなんだぞ。

仕方がないから認めてやろう、私はあの男に恋をしていた。

艶やかに尾ひれを生やし、優美な歌を歌って暮らしていたあの頃から、立派な舟に乗り、大きく口を開けて笑う、あの男に恋をしていた。

しかし、すべてを捨ててまで追いかけたあのてのひらが選んだのは、こんなところで無様に最期を迎える私のことなどではなかった。

きっとあの男は今、他の女と見つめ合い、他の女と囁き合い、他の女と抱きしめ合っている。それでも私は、あの男に恋をしていた。それでも私は、あなたに、恋を、していた。

あなたのこと
大好きだったんだよ

絞り出したはずの声は声にならず、ごぽりという水音に変わって消えて行く。ほら見ろ、やっぱり私の心はあの男に届かない。

しゅわしゅわ、しゅわしゅわ。とうとう脳髄までも泡へと変わってしまったのだろうか、薄れ行く意識に促されるように目を閉じる。閉じた瞼の裏側に見えたのは、やっぱりあの男の笑顔だった。

繰り返すようだが、私はこの世界のすべてを恨んでいる。これっぽっちも私に優しくなかった、この世界のすべてを、恨んでいる。

私のような不孝者のために泣いてくれた、愛しい家族のことも、生まれて初めて歩いた地上の、柔らかな温もりのことも、思い出すだけで胸がじんわり痛むような、大事な想いと生きたあの日々のことも、

――あなたという、私の希望のことだって、恨んでいる。恨んでいるったら、恨んでいるのだ。

本当だっての、ばか。

1

とてもひさしぶりにBUMP OF CHICKENを聴いてみたら、BUMP OF CHICKENを聴いていたことを思い出した。景色は全部忘れたから、映像は映画からの借り物だけど、深夜だからかも知れないが、少しアンニュイに浸っていた。
あれからぼくも悲しいことがそこそこあって、ひどい裏切りの慰めかたも勉強した。かき集めて絞りとって捨てるときの料金も、並べて数えて管理するコストのやりくりも、人を傷つけて覚えて笑った。
青さに任せたむちゃくちゃが、横暴さに変わることに涙も出なかったし、寂しさを慰める薄紅色のメロディが、思い出の建物を鉄筋から粉砕することに驚いた。友達は減る分増えていって、増えすぎたときに減っていく。腹の底から嫌いな人と、食べる飯がなぜか旨くて不思議だった。
前だけ見られるほど足跡は綺麗じゃなくて、振り返ってはみるものの、あまりに照明が眩しすぎるから、全ての影が真っ黒で恐ろしかった。
これからぼくはどうにかして生きなきゃならない。青さを捨てる勇気もなけりゃ、真っ青に燃え尽きる根気もない。どっかに出掛けた夢が戻らないから、探しに出たまま戻れなくなった。

愚かなぼくにBUMP OF CHICKENがなにかを歌う。恋人の手を握り締めろって言っている。友達を殴って殴り返されろって言っている。

さようならとうたっている。離れたくないと泣いている。

ひさしぶりの声とひさしぶりの旋律が、わけのわからぬなにかを呼んだ。

2

アイ

「いらっしゃいませ」
「こんばんは〜。あ〜、リョウイチさんこんばんは〜。
あ、ありがとう。わざわざ持ってきてくれたんだ。
え?……最近会ってないからわかんない。
はあっ⁉︎
雑誌買わな〜い。流行りは友だちが教えてくれるもん。
そうそうそうこのひとさあ、弁護士なのお。
お客さんなんだけど。
なんかさあ。はまっちゃいそうなんだよね。
リョウイチさん、この曲ってどんな曲?
この歌詞に出てくる娘がわたしに似てるんだって。
あ、マジで。
そっかあ〜。
そうなんだ〜。
マジかあ。
ヤバい。
ねえところでなにこの水槽?」
「果たしてあなたに真の友がいるのでしょうか?」
「はあっ⁉︎」
「あなたは他者をほんとに愛せるひとですか? 一見他者を愛してるようですが、あなたが愛しているのは自分自身だけじゃないのでしょうか?」
「はあっ⁉︎ なんなのこの魚?」
「申し訳ありません。すぐしまいます」
「わたしはアイです。いまわたしが言ったことを頭のどこかに、心のどこかに置いといてください。他者への愛のないひとに愛とはなんであるか、また、他者を愛する喜び、憎しみを愛に変える理論を伝えるのがわたしの仕事です。どうか……」
「オメーの仕事なんて、いまの日本にはねーんだよ‼︎」