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8/25から8/29の1週間日記

中高生の夏休みはこの時期に終わりだけど、大学生の夏休みはまだ続きます(例外あり)。
てな訳で今週の1週間日記です。

月:ボカコレ2025夏の公式生放送を観て、今夏のボカコレを見届けた。史上最高に胸熱なボカコレだったと思う。
火:久々に絵を1枚完成させられた。この調子で趣味絵もどんどん描けたらいいんだけどなぁ。
水:まだ詳細は発表されていないけれど、とりあえず大学で所属している漫研サークルの、秋の学祭のための会誌の原稿の下準備を始めた。今回は大作になるかも…?
木:水・木と家族から大学の単位取得に関して苦言を呈された。正直まだモヤついてる。
金:ずっと家にいるのも嫌だし、そろそろ大学のゼミナールの発表資料の準備しなきゃなーってことで、地元の図書館にどんな資料があるか探してきた。正直収穫はあまりなかった。

〈総括〉
今週もそこまでなにもしていないような気がする平日でした。
恐ろしいことに1回しか外出していないし、親に色々言われてやる気失せて実は布団の上でゴロゴロしまくってたり…
ホントの所、あまりなにもしていないんです(むしろ日記の内容は無理やり思い出してひねり出してる感じ)。
でもなんとか、頑張って親に「図書館行ってくる」と言って出かけられたのは大きいと思います。
別に自信なんてつかないけど、これを次もできるようにしたいな。

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50周年イヤーのコミケ、あるいは初参加者の記録 その5

その4の続き。

〈総括(教訓?)〉
・とりあえずサークル参加の場合、例え同行者が2回しか会ったことのない奴だとしても(自分の場合本当にそうだった)事前にサークル参加者向け入場券を渡しておく(例年そうだからといって会場周辺で待ち合わせるのは本当に難しい)。
・サークル参加者は館内放送にはしっかり耳を傾ける。適当に聞き流してもいいやってなってると重要なことが抜け落ちる。
・大学の漫研サークルには全然参加者が来なくて当然、てかガッツリ事前の宣伝活動に力を入れないと誰も薄い本を買ってくれない(おそらく宣伝しても変わらないと思うが、宣伝はもっとすべきだったと思う)。しかし「ほとんどのサークルは1冊も売れない」「参加することに意義がある」と親は言うので、例え1冊も売れなくとも参加し甲斐はある(なにせあの空気感がいいんじゃ)。
・例えにわかであっても初心者であっても、コミケ用語の類(準備会・スペース・頒布etc…)はしっかり予習すべき。なんか同行者は準備会のこと“運営”呼ばわりしてたけど、コミケは“参加者みんなで作るもの”だから“準備会=運営”っていうのは語弊があるんだよ…
・ずっと憧れていたイベントだったけど、想像以上にワクワクして、想像以上に楽しい“祭”だった。いっぱいだらだら書いちゃったけど、またいつか、どんな形でもいいから参加したい、という言葉で自分にとってのC106は締めくくりたいと思います。

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50周年イヤーのコミケ、あるいは初参加者の記録 その4

その3の続き。

・どこの漫研も人が来ないのは同じなので、あちこちで挨拶と言いつつ大学の漫研同士持ち込んだ頒布物の交換会が開かれていた。ウチらも地方の大学の子と会誌の交換をした。
・コミケ直前に親が2日目の入場リストバンドを買っていたので「もしかしたら当日親が自分たちのスペースに来るかも…⁈」とひやひやしながら待っていたけど、閉場1時間前になっても来なかったので「おそらくアイツ来ねーな」と思い自分たちの漫研が配置されている周辺のサークルを見て回ったり、近くにある準備会の出版物(カタログなど)が売っているところで公式書籍的なものを買った。あと某有名大学の漫研の子たちが売っていた“まんが共通テスト”というネタみたいだけど至極真面目な中身のアイテムを買わせていただきました(そのサークルの子たちはマジで喜んでた)。
・閉場1時間前を切っても人は来ないし、周りのサークルの中にも撤収しているところがあったので副会長の提案で泣く泣く撤収準備をした。ちなみに撤収の際、スペースの長机に貼ってあるスペースナンバーのシール(剥がせと館内放送で流れていた)を剥がし忘れたのはここだけの秘密。
・会誌は50冊くらいしか発注していないとはいえ、段ボール1箱をそのまま持ち帰る訳にはいかないので某宅急便屋さんの会場からの宅配サービスに会誌の入った箱を預けて会場から出るところで、ちょうど閉場時刻になった。本当に拍手が沸き起こって、やっぱ感動した。

その5に続く。

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50周年イヤーのコミケ、あるいは初参加者の記録 その3

その2の続き。

・自分たちが配置されているスペースの左隣のスペースの某有名私立大の漫研の人や、右隣の某地方国立大の漫研の人と挨拶がてら会誌の交換をした。ちなみに右隣のサークルは1センチくらいある薄くない会誌を持ち込んできていた(それに比べて我々は厚さ3ミリもない会誌である…)。
・10時半の開場を告げる館内放送が流れた時、噂には聞いていたけど本当に拍手が巻き起こって感動した。あと一斉点検(不審物がないかの点検)の時は謎のテーマ曲に合わせて手拍子が起きたりもした。
・わかってはいたけど、開場後は暇な時間が続いた。まぁ大学の漫研で二次創作(版権もの)はリスクが高すぎてできないことが多くて頒布物は一次創作がメインだし、みんな美術系でもなんでもない一般大学のサークルしかいないから、漫研の類が配置されているスペースに人は全然来なかったりする。ウチの大学は一応有名どころの一種だけど、みんな名前だけ見て立ち去っていく感じでもある(どこの漫研も一緒)。
・持ち込んだ小さい折りたたみ椅子に座っている時にふと後ろを見たら、売り子が本気のコスプレをしている漫研がいてびっくりした。どこの学校かしらと思ったら、医療系大学の子たちらしくてもっとびっくり。
・自分たちのスペースと通路を挟んだ向こうにあるサークル(創作系)のスペースをよく見たら、しれっとスーパー戦隊シリーズの怪人デザインの人のサークルだった。別にコミケにプロが参戦することは全然OKなんだけど…なかなか衝撃的だった。
・午後になって我々のスペースに来た人で「ここの漫研に〇〇くんっていますか?」って聞いてきた人がいて一瞬誰を指しているのか分からず混乱した。どうやら前の会長の高校の同級生らしく、前の会長に会いに来たらしいのだが…ウチの漫研は基本会長と副会長しかコミケに参加しないので、「いませんね」と答えるしかなかった。とりあえずその人は会誌を立ち読みしただけでそのまま去っていった。

その4に続く。

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50周年イヤーのコミケ、あるいは初参加者の記録 その2

その1の続き。

・西・南館方面からの入場待機列にたどり着いたものの、虹の大橋という有明がある埋立地とと狭義のお台場(閃光ライオットの会場があるダイバーシティの建物や港区・品川区の飛び地があるところ)がある埋立地の間にかかるデカい橋(21世紀の特撮にはちょいちょい出てくるので、多分地元民じゃなくても見たことある人は結構いるはず)の上で待機することになった。台場の方を振り向くと、ダイバーシティの建物が思いっきり見えてなんとも言えない気分になった。あと一瞬弱い天気雨に降られた。
・10時台に有明に到着したけど、実際に建物内に入れたのは12時台になってからだった。でもワクワク感でそこまで長く待機したって気はしなかったかも。
・何気に物心ついた頃(3、4歳)からビッグサイトにはたまに行ってるけど、前に行ったのが5年くらい前だったから、建物内の風景なんて入場するまで忘れていた。でも建物内に入ったら時々ビッグサイトのイベントに行っていた小学生の頃とほとんど変わっていなくって、ちょっと感動した(でも人が多すぎて動く歩道は全部止められてた)。
・なんとか入場して、お目当ての東館に着いたので親とはお目当てのサークルの同人誌を買いに別行動した。自分は高校時代に運命的な出会いをした「アサルトリリィ」の原作者のサークルスペースを探してデザイン画集を買った。原作者に直接還元できたことがすごく嬉しかった。
・昼ごはんは奇跡的に席が空いていたCoCo壱でカレーを食べた。何気に初めてで新鮮でした。
・「都営バスが企業ブース出してる」ということで、午後は南館の2階にある企業ブースへ向かった。その途中で屋外のコスプレエリア(コスプレする参加者さんたちの写真を撮っていいスペース)の横を通ったけど、いろんなレイヤーさんがいてすごかった(ミクさんだとか八雲紫だとか)。

その3に続く。

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50周年イヤーのコミケ、あるいは初参加者の記録 その1

2週間くらい前…8/16、8/17に地元で開催された日本最大級の同人誌即売会・コミックマーケット106に、自分はまさかまさかの初参加(一般・サークル)をしました。
当書き込みはそれについて忘れないため、そして今後もしかしたら現れるかもしれない“コミケに参加してみたい!”って生徒のための備忘録的ななにかです。
めっちゃ長いし簡潔にするため箇条書きにする(でもまとまりがない)けど、よかったらお付き合いを。

〈1日目〉
・初日は“偵察”という形でベテラン一般参加者の母親と一緒に会場のビッグサイトまで向かったが、会場に入場するための待機列に並んでしまうとなかなかお手洗いに行けなくなってしまうので、あえてビッグサイトの最寄り駅の少し手前で降りてバスで参戦する参加者くらいしか知らないであろう穴場のお手洗いの場所を教えてもらった(どこかは秘密)。
・自分も親も目当てのサークル(同人誌を売る側はサークルと呼ぶ)のスペース(各参加サークルに割り振られる同人誌を売る場所、基本は長机1つを2つのサークルで分け合う)が“東館”というところだったので東館からの入場列に向かった…が、東館から入場できる参加者の数がキャパオーバーだったため西・南館からの入場列の方へと回らされた。そのため朝から暑い中有明をひたすら歩き回ることに…
・移動中、親に「明日はどこで待ち合わせるの?」みたいなことを聞かれて、国際展示場駅の近くで待ち合わせるって答えたら怒られた。準備会も周辺での待ち合わせはやめてほしいって言ってたけど、さすがにウチの親にそれを言ったら小言を言われましたね。とりあえず駅の脇のベンチがある所かバスロータリーの方にある謎のオブジェの前で待ち合わせなさい、ていうか事前にサークル参加者向け入場券は同行者に渡して自スペース集合にしろ!って文句をつけられた。まぁそうよなと思いつつ、「じゃあなんで引き継ぎ資料にはそういうことが一切書いてないんだろう?」「普通の人はそれくらい言われなくても分かるのかな⁇」と疑問に思った。

長いのでその2に続く。

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昔話

自分は発達障がいが確定(診断を受けた)したのが高3の時で、それ以前は検診や検査の類では“発達に問題なし”という扱いを受けていたから、ずっと自分を皆と同じ“健常者”だと思っていた。
おそらくそれは今の言葉でいう“発達障がいグレーゾーン”だったんだろうけど、昔はそんな言葉なかったんだ。
だからこそ小学校高学年のときは罵倒されたり、中学時代は陰口叩かれたり、「○ね」とすれ違いざまに吐き捨てられたり、長年の人間不信で人の声や大きな音に敏感になっていることに目をつけられてわざと大きな声を上げたり、身体を触ってきたり…
高校は地元から逃げてどうにかマトモな学校に入ったけど、コロナ禍でマスクを外せなくなった結果他人と余計に喋れなくなって、元々うまくいってなかった親ともどんどんうまくいかなくなって、学力も落ちて、その内に親が「発達障がいかどうか分からない状態にケリをつける」ために心療内科に連れてかれて結局“発達障がい(自閉症)”と言われた。
正直受け入れられなかった。
だって自分は多少おかしい所はあっても“健常者”だと本気で信じて生きてきたから。
それでも親に無理やり説得されて精神障がい者手帳を取得することになったんだけどね。
その後は結局浪人して、色々頑張ったけど親に“もうこれ以上は無理だ”と言われて予備校を辞めさせられそうになった。
でも抵抗した。
だって(おこがましいしアホくさいかもしれないけど)健常者みたいに生きたかったから。
みんなと同じ幸せを享受したかった、たったそれだけ。
まぁ親にはそんなこと言わなかったけどさ、でも全力で抵抗して通っていた高校のレベルよりは学力は落ちるけどなんとか大学に入った。
そこでたまたま学祭実行委員会に入って、たまたま愉快な仲間たちに出会って、やっと多少は喋ったり笑ったりできるくらいにはなってきたんだ。

ここまで随分長かったなって思う。
相変わらず親とは思うように話せないし、怖くて仕方ないし、自分のことを未だに全然わかってくれないんだけどさ。
それでもあの時全力で親に抵抗して、自力で掴み取ったものが自分をここまで引っ張り上げてくれたのだと思う。
学祭実行委員はもう卒業しちゃったけど、それでもあの場所で手にしたものはきっと本物だから。
だから自分の意思で選択するって大事だよなって、今さら思う。

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しんどいわけじゃないんだけどよ

昨日親に「後期は大学の単位たくさん取りなさい」って文句つけられた。
親からしてみれば「この修得単位数じゃ4年で卒業できない、4年生で就活できない」って言うんだけど、正直こっちからしてみれば(前期で取った科目全てで単位を取得できた場合)残りの取らなきゃいけない単位数って28単位なのよ。
で、4年生で必修のゼミナールが通年科目で4単位で、出さないと話にならない卒論が8単位、さらに3年生のゼミナール(通年だから1年かけて受ける)が4単位分だから、3年生の後期で履修登録しなくちゃいけない科目数は単純計算で16単位分…つまり8科目。
大学で出入りしている障がい学生支援室の人からは「順調だね」と褒められているんだけど、歳の近い妹が言うには「普通は1、2年のうちに単位を取れるだけ取って3、4年では趣味の科目と必修だけ取るようにするもの」って言われちゃった。
まぁアイツが言うんならそうなのかなぁって思うんだけど、でも逆に本当にそれだけが正しいのかなって思ったりもする。
ウチの大学は新入生ガイダンスで「無理に単位を取りすぎると逆に単位を落としまくるから計画的に取りなさい」って言ってたから、それを信じてやってきたんだけど…
最終的に卒業要件ぴったりになるように単位を取る方法は間違ってるのかな?
普通の人は最終的に卒業要件の基準をオーバーするのが当たり前なの⁇
(言い訳みたいだけど)自分は発達障がいがあるし、同じ学科に友達はいないし、よその学科や学部にはなんやかや友達はいるけどしょっちゅう会って話すことはないし、そもそもこんなこと友達に話していいのか分からないから、正直どうなんだろう。
まぁ普通の、健常者の大学生は遊んだりバイトしたり教職や公務員の資格課程でめっちゃ忙しくしてたりして、多少でも単位を落とすのは仕方ないんだろうし、資格課程の単位は卒業要件に何気に含まれないからそういう子たちはいっぱい科目を取ってたりするんだけども。
自分は障がい者だから普通の大学生にできることが全然できなくて、それで逆に余裕があるから単位を落とさずにここまで来れてるのよね。
これからも単位を落とさない保証はないから、もっとたくさん科目を取るしかないのかな。
でも所属学科で開講している専門科目はだいぶ取ってしまったから選択肢がもうそこまで残ってないのだけど…