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学校に行くのがしんどいという生徒さんへ

高校2年のときに通っていた全日制高校を辞め、通信制高校に転入した者です。何の気休めにもならないかもしれませんが、自分の経験をもとに、お伝えしたいことがあります。

別室登校、保健室登校、フリースクール、通信制高校…
これらは、いわゆる"普通"の学校生活とは、少し違ったものになります。詳細については割愛しますが、上記のものが少しでも気になったという生徒さんは、ぜひ一度、調べてみてください。あなたに合った環境が見つかるかもしれません。

ただ、選択肢があるからと言って、状況を変えることは容易ではありません。学校によっては「保健室にいていいのは1時間まで」などという制限があります。進路選択への影響も気になるでしょう。親や先生に相談することが難しいという人もいると思います。たった一歩を踏み出すだけでも、ものすごく勇気がいりますよね。
しかし、何もしないことには何も変えられません。辛い気持ちを抱えている生徒さんには酷な話かもしれませんが、辛いと思っているだけでは、状況は変わってくれないんです。私自身、それに気づいてからやっと、人に相談することができました。
先程も言ったように、一歩を踏み出すのにはとてつもない勇気が必要です。もしかしたら、すぐには状況は変わらないかもしれない。人に話しても、傷つくだけかもしれない。誰も自分のことなんてわかってくれないかもしれない。そんな不安もあると思います。それでも、どうにか勇気を振り絞ってみてください。本当に、何もしなきゃ何も変えられないんです。

最後に。
事情や状況、抱えている感情などは人それぞれだと思います。ここまでいろいろと書いてきましたが、何も知らない私には、適当なことは言えません。ただ、ひとつだけ。
自分をたくさん甘やかしてあげてください。とても難しいことですが、ほんの少しでもいいので、自分に優しくしてあげてください。あなたのことを一番よく知っているのは、あなた自身です。あなたが今どうしたいか、どうしてほしいかは、あなたにしかわかり得ないことなんです。だからどうか、自分の気持ちに正直でいてあげてください。
1日でも早く、あなたのその辛さが軽くなることを願っています。

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2017年12月の自分へ

最近どう?元気にしてる?
あれから少し、生きるのが楽になったんじゃないかな。

もう生きていることが嫌になっていたあの日。今とは違うラジオネームだったけど、初めて逆電もらったね。
とーやま校長とあしざわ教頭に、たくさん話を聞いてもらった。
23時台には、大好きなアーティストさんの話もした。
最後は「好きな人のために生きてみろ」って黒板を書いてもらった。

2022年8月17日。5年近く経った今も、私は大好きな人たちのために生きてるよ。
あしざわ教頭とは、2019年の未確認の三次審査で少し話せた。
とーやま校長とはあれ以来まだ話せてないけど、『拝啓、とーやま校長へ』って企画で手紙を書いて、返事ももらった。
「このために生きたい」って思える存在もたくさん増えた。
あの時大好きだったアーティストさんのことは、もっと好きになってるよ。
それでね、そのメンバーの一人である小森さんが、今は校長になってる。びっくりだよね。(笑)
とーやま校長は校長じゃなくなっちゃったけど、SOL教育委員会ってところで、今も話を聴けてるよ。

SCHOOL OF LOCK!が見つけさせてくれたGENERATIONSっていう光は、18歳になっても、私の中で輝き続けてる。
当時のあなたと比べると、それよりもずっと辛いことが今までにいくつもあった。それでも乗り越えられたのは、紛れもなく、大好きな人たちのおかげだよ。
きっとこれから先も、辛いことは続いていくと思う。それでも、あの日の黒板を思い出せば、絶対に乗り越えられる。大丈夫。何も心配しなくていい。

その光、何があっても見失っちゃダメだよ。あなたはこれからも、大好きな人たちのために生きるんだから。

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昨日

昨日は逆電ありがとうございました。
校長の真っ直ぐな言葉と、教頭の優しい声音に救われました。

逆電中には話せなかったのですが、母を大好きだと言えるのには理由があります。
小学校高学年から中学2年の頃までは、母のことが大嫌いでした。正確に言えば、「自分はあの人のことが嫌いなんだ」と思い込んでいました。
しかし、中学2年のある日の夕食中、祖父から「朝お母さんが倒れたの知ってる?」と言われました。その時、母は仕事に出かけていました。後で聞いた話なのですが、実際は倒れたという程ではなく、すぐに病院に行き、特に異常もなかったそうです。しかし、その時はまだ母が「倒れた」としか聞かされていなかったので、自室に戻って一人になった途端とてつもない不安に襲われました。「もしお母さんに何かあったら」という恐怖と「なんで倒れたのに仕事に行ってるの」という心配から、しばらく涙が止まりませんでした。そこで初めて、母は自分にとって大切な存在なんだということに気づくことができました。

逆電中に校長が「8年間も不安を抱き続けてきたのはしんどかったと思う」と言ってくださったとき、それまでは気づかないふりをしていた感情が溢れ出してしまいました。その後、うまく話せなくなってしまってすみませんでした。でもそれと同時に、「わかってくれる人がいるんだ」と、自分の辛さが報われたような気がしました。

また、「お互いに愛が向く瞬間があるのに、それをキャッチし合えないのは辛い」という言葉を聴いて、本当にそうだなと思いました。

そして、「書き込みの言葉が全てだと思う」と言われて、自分の気持ちに気がつきました。愛されたいという思いもありますが、それ以上に自分は"愛されていると思いたい"んだと思います。

(続きます)

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おかえりなさい!

やしろ元教頭、おかえりなさい!
私はとーやま校長あしざわ教頭時代からの生徒なので、やしろ元教頭のことは「教頭」でも「先生」でもなく、「教授」と呼ぶのがしっくりきます。UNIVERSITYがあった頃は毎回欠かさず聴いていました。

恐らく教授がSOLを出禁になった原因だと思われるあの日のことは、今でもよく覚えています。教授に叩かれて(?)「痛っ!」となったさかた校長に教授が言った、「今日学校に行けなかった奴の痛みはこんなもんじゃないんだよ」という言葉は忘れられません。私はその年の3月まで学校に行けておらず、抱えている思いを吐露できる人も場所もないという状況で、ただただ罪悪感と孤独感に苛まれていました。教授のあの言葉は、そんな自分の痛みに寄り添ってくれているような気がして、とても嬉しく、ありがたかったです。
また、ずっとこの大切な居場所を守ってくれていたとーやま校長が退任されたことに、当時は漠然とした不安のようなものを抱えていました。教授の言葉はその不安も拭い、「SOLってそういう場所なんだ」「校長が誰とか教頭が誰とかじゃなくて、この場所だからいいんだ」と思わせてくれました。
だから、そんな言葉を発してくれる教授がSOLを出禁になったと聴いた時はとてもショックでした。そして、今回その出禁が解禁されると聴いた時は本当に嬉しかったです。久々の教授がいる生放送教室でどんなお話が聴けるのか楽しみです!

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進路

4月から受験生になるというのに、志望校どころか、未だに文系か理系かすら決まっていません。一応理系に進んではいるのですが、「″とりあえず″理系」といった感じです。文系科目と理系科目、どちらの方が得意なのか、自分でもあまりよくわかっていません。将来やりたいことや学びたいことが明確にあるわけでもありません。

高校受験の時は、周りの大人に促されるまま、流れで志望校が決まりました。自分の意志で選んだとは言えないような決まり方でした。選択肢がある程度限定されている高校受験でさえ自分で決めていないのに、選択の幅が大きく広がる大学受験なんて、どう考えれば良いのかわかりません。高校受験の時とは違い、今は進路について何か具体的なことを言ってくるような大人もいません。母は私を医学部に行かせたがっているようですが、性格からして、私は医者に向いていないと思います。

志望校を考えるにあたって、今現在、ほとんど手がかりがないという状態です。入試で必要のない科目の勉強に時間を割くのももったいないので、早く決めてしまわなければと焦っています。

このような場合、どのように進路を考え、また、どのように勉強を進めていけば良いでしょうか。何かアドバイスをいただけるとありがたいです。

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さっきの続き

でもやっぱり、前の高校への未練みたいなのが残ってる。高校受験の時は、周りの大人に決められただけだった。自分の意志で選んだわけじゃなかった。それでも、学校自体はそれなりに好きだった。
ただ、前の高校をやめたことを後悔してるわけでもない。と言うより、後悔できない。あの時の自分は限界だった。いろいろ積み重なった結果、体調を崩した。それでも、3ヶ月以上もの間、無理して学校に通い続けた。だけど、最後には身体が言うことを聞かなくなってた。その状態から解放される選択肢があるなら、その1択でしかなかった。だから前の高校をやめた。もしまだ通い続ける余裕があったら、どんなに精神的にしんどくても、きっと通い続けてた。
仮に他の選択肢があったとして、その中からやめるっていうことを選んでたのなら、好きなだけ悔やめた。気が済むまで「あの時ああしてれば」なんてこと言えた。でも今の自分にはそれができない。だから余計にもどかしい。

もし仮に今、前の高校に戻るか、今の高校に通い続けるか選べるって言われたとしても、決められる気がしない。ただ、いくら考えたところで過去を変えられるわけじゃない。だからってそんなに簡単に気持ちを切り替えられるわけでもない。結局何が言いたいのか自分でもよくわからないけど、今はとにかく複雑な思いを抱えてる。いつかこの経験を良かったと思えるようになったらいいな。

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ただの独り言

高校変わってから、いろんなこと感じたり、考えたりしてる。

まず、前の高校で自分がどれだけいい授業を受けさせてもらえてたかっていうことに気づいた。先生の説明がわかりやすいことはもちろん、そこから派生していろんな話が聞けてた。その派生した話も興味深いものが多かった。授業の内容全てが、自分の身になってたんだなって思った。
たぶん、高校変えてないとこのことには気づけてなかった。そういう意味では、変えて良かったと思う。でもその反面、もったいないことしたなとも思う。通信制に移って2ヶ月経った今でも、前の高校の授業を受けたくなることがある。

先月、今の高校で初めて行事に参加した。感染症対策のために内容が一部変更されて、楽しみにしてたことがなくなった。それでも、行事自体はなんだかんだ楽しかった。今月の行事にも参加する。
中学の時から行事になんか興味なかったのに、今の高校に入ってから行事が楽しみになった。これに関しては、純粋に高校変えて良かったと思ってる。

前に通ってた高校は、いわゆる「進学校」だった。部活も結構活発だったけど、自分は帰宅部だったから、「高校生=勉強」みたいなイメージで生活してた。
今通ってる高校は通信制だから、勉強は自分次第。それよりも、キャリア教育科目があったり、行事が多かったり、全日制高校ではあまりできなさそうな経験をさせてもらえる機会が多い。
ほとんどの人は、2つのうちどちらかの高校生活しか経験できない。でも自分は両方経験できてる。そう考えると、やっぱり高校変えて良かったなってなる。

(続く)